goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

種の蒔かれるところ

2007-07-12 08:59:00 | CS(子供伝道)

これからまた実家に行きます。千葉、三鷹、お茶の水へ行って土曜日には帰ってくる予定です。写真はマナ愛児園でプランターで育てているトウモロコシ。

        
子供のときに聖書の神さまを知ることは、ものすごく価値のあることです。たとえ、中高生あるいは大人になって教会から離れてしまったとしても、蒔かれた種は長い人生の中できっと芽を出すでしょう。ときには命を救うこともあるでしょう。

17年前娘がマナで過ごせたことがどれほど価値のあることだったのかと、今さらながら思っています。マナ愛児園卒園児母として書いた詩を紹介します。(05年に教会月報に掲載された詩です)

    
          君は思い出すでしょう

たくさんの友達に囲まれているのに
ひとりぼっちを感じたとき
君は思い出すでしょう

裏切られ傷ついて、もう誰のことも
信じられなくなったとき
君は思い出すでしょう

思いもよらぬことが起き、なすすべもなく
ひとり途方に暮れたとき
君は思い出すでしょう

病に倒れ、痛み、苦しみ、死の恐怖
不安がおそいかかるとき
君は思い出すでしょう

罪に気づき、どうすることもできなくて
胸をたたいて泣いたとき
君は思い出すでしょう

年老いて、だんだんと体がおとろえて
死を間近かに感じたとき
君は思い出すでしょう

マナ愛児園で聞いた
ご自分の命を捨ててまで愛して下さる
イエスさまのことを

「それは非常によかった」のに……

2007-07-07 11:57:26 | CS(子供伝道)
コメントにリンクを貼ったり、宣伝文など書かれたものがありましたら無断で削除させていただきますので、ご了承下さい。


今年の2月、教会で教育講演会がありました。「子供の発達とメディア」と題して児童文学者斉藤惇夫氏と小児科医田澤雄作氏が語ってくださいました。
(2月19,20日に書いています)カテゴリーCS子供伝道をクリックして読んで下さい。)

教会学校では、講演会の内容を受けて3月と4月の2回、教育主事のI先生が子どもたちに特別なメッセージをしてくださいました。1回目は3月6日に書きましたが、2回目に語られたことをまだ紹介していませんでしたので、今日紹介させていただきます。(青字がI先生の語られたこと、緑字は聖書の言葉です。)


神さまは、天と地、太陽、月、地球、海、鳥、魚、地上の動物、木、草、花、そして人間を造って下さいました。聖書の創世記に「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった(1:31)」と書かれているように、神さまの造ったものはすべて良いものです。
ところが、良いいものが良いことのためにだけ使われていない場合があります。良いものを、悪いことのために使うのは罪です。

たとえば、手はどうでしょう? 手をつなぐと友だちになれますね。それは良いことですが、手で悪いこともできます。
車はどうでしょう? ほとんどのお友達が教会に来るのに車に乗ってきています。車があると便利ですね。でも、運転を間違うと大変なことになります。人に怪我をさせたり、死亡事故もあります。
包丁はどうでしょう? お母さんが料理をするのに使いますね。悪いことに使うと人を傷つけたり、使い方を誤ると大変なことになります。

(注:車や包丁は人間が作った物ですが、神さまが創造された鉱物などを材料としています。神さまが創造された材料を使わずに人間が作り出した物はないので、これらも神さまが造ったものといっています)

 
みなさんは、たくさんの良いものを持っています。やさしい心、勉強や運動をする力等……。聖書のテモテの手紙2には「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。(1:14)」と書かれています。神さまからゆだねられたというのは、神さまがまかせてくださったという意味です。神さまが喜ばれるような使い方をしたいですね。
「神さまの下さった良いものを良いことのために使うにはどうしたらよいでしょうか?」


最後に子供たちへの問いかけがありました。


メッセージのあと話し合うと、低学年の男の子が「包丁で人を殺す」「人間の皮をはぐ」と言ったのでびっくりしました。本人は残酷なことを言っているつもりはなく、もちろん実際にやっていいことだと思っているわけではありません。このような言葉が子供の口から出てくるのは、やはりメディアの影響だと思います。

わたしたちは、神さまから与えられた物の管理者としてまかされています。神さまから与えられたものはすべて良いものなのに、いままでどれだけのものが悪いことのために使われてきたでしょう……。


アインシュタインは、1930年ごろ原子爆弾を作るもとになる理論を考えつきました。実際に原子爆弾を作る仕事にかかわったわけではなく、人の命が奪われることを望んだわけではありませんでした。しかし、その理論を元にアメリカで原子爆弾が作られ、日本に落とされてしまいました。
そのことをアインシュタインが知ったとき,彼はうめき声をあげたという有名な話があります.
神さまの与えられた物で間違った使い方をしてしまったことによる最大の悲劇ですね。


規範なき時代にあって、良いことと悪いことの判断さえつかなくなっている社会の中に生きている子供たちに、聖書から正しい規範を学んでほしいと思いました。




神さまがいちばん

2007-03-06 11:29:44 | CS(子供伝道)
明日母が白内障の手術(右目)を受けるので、今日からまた三鷹の実家に行きます。今回は娘も来て三鷹に泊まるので嬉しいです。娘はとっくに春休みに入っているのに忙しいからとまだ帰省していません。メール送っても返事がなく、電話もなかなか出ないのでやきもきしていました。あまり干渉してはいけませんが、ときどきは連絡をとりたいのです。


4日の教会学校では、教育主事のI先生が子どもたちに特別なメッセージをしてくださいました。先月17日に教会で「子供の発達とメディア」の講演会がありました(2月19,20日に書いています)が、その内容を受けてのメッセージです。「ゲームやビデオが悪い」というのではなく、子どもたちに考えさせるような内容だったので紹介させていただきます。


1)やりすぎはよくない
大好きなケーキを食べるのはよいことです。でも、食べ過ぎるとおなかをこわしてしまいます。走ることが好きでも、一日中走っていると疲れてしまいます。よいことでもやりすぎると、よくないことになります。

2)神さまがいちばん
新車を買って夢中になると車が気になって、車からから離れられなくなります。大切な宝物が人の心を奪ってしまうことがあります。
神さまのことをいちばん大切にすると、必要なものは神さまが与えて下さいます。

3)よいことを見分ける心を持とう
よいい物を悪いことに使ってしまうことがあります。家にある物、学校にある物、教会にある物を考えてみましょう。

聖書の言葉

すべてのことがわたしには許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。(Ⅰコリント6:12)


神さまはわたしたちに自由を下さいました。その自由をよいことのために使いましょう。


大人にも言えることですね。いえ、大人こそ気をつけなければならないことです。
子供は、親によってゲームの時間を制限されたり、よくないことをしようとしたとき、ストップしてもらえます。でも大人は、何かに心を奪われたとしても、誰にもとがめられないので、それが悪いことだと気づかないことさえあります。

わたしは凝り性なので、ひとつのことをやり始めると時間を忘れてし続けてしまうことがあります。最近は、意志的に時間をきめて中断していますが、以前はパソコンの前に何時間もすわっていたり、ピアノを弾き続けて体をこわしていました。
心の中を占めているものは何だろう? と考えたとき、いつも神さまがいちばんになっているようにしたいです。

子どもたちを守るために(その2)

2007-02-20 11:31:53 | CS(子供伝道)

メディアの発達によって確かに便利になりました。このブログもインターネットを通して多くの人に読まれています。ネットの検索機能を使えば、あらゆることが調べられ、簡単に資料が集められます。
でも、情報の中には間違ったもの、危険なものもあり、特に子供に害を与えるものが多分に含まれていることを大人は知り、守ってあげなければなりません。


テレビゲームの害について話を聞き、怖いと思いました。
ゲームをやりすぎると慢性疲労になり、朝起きられなくなり、不定愁訴を訴えたり、不登校になったりするそうです。

慢性疲労になった子供の顔写真がスクリーンに映し出されました。目の輝きが失われ、疲れ切った表情をしていました。横にはキラキラ目の輝いた子供の顔写真がありました。同じ子供だと聞いてびっくりしました。その子供の場合は一週間ゲームを禁止しただけで、慢性疲労が治ったそうです。


ゲームをやめさせる。ただそれだけのことで問題が解決することがあるのに、親はやめさせることができず、ゲーム中毒になっている子供は、ますます仮想世界にのめりこんでいきます。

現実世界を離れての時間が行き過ぎると、現実世界の中で直接顔を会わせることによってつくられる親子の絆(人間の絆)の形成に障害が起こります。その結果、「自分の気持ち」を伝える言葉や、「ほかの人の気持ち」を感じる力に障害が起きます。そのため人間として生きる力が育たないので、色々な問題が起きているようです。


子どもたちの描く絵にも変化が現れてきているそうです。家で食事をする絵を描かせると、テーブルとテレビが大きく描かれ、人間は顔がなく記号化している絵。あるいは人間が描かれていない絵。食卓の食事も粗末に描かれている絵が映し出されました。
家族団らんがなくなってきている証拠ですね。子供がひとりでテレビを見ながら夕飯を食べ、その夕飯もコンビニで買ってきた物だったりするわけです。


子どもたちをメディアの害から守るために、わらべうたを歌ったり、絵本や児童書を読んでやってほしいと言われました。特に10歳までは読み聞かせをしてほしいと。

おすすめの本のリスト(200冊くらいあげられていました)を戴きましたが、約90%はかつてわが子に読み聞かせたものでした。(当時はメディアの害から守るという意識はありませんでしたが)長男の場合は6年生(12歳)まで毎日読み聞かせたのですから、リスト以外にも膨大な量の本を読んでいます。こんどは、孫に読み聞かせることになりそうです。



                      おわり

子どもたちを守るために(その1)

2007-02-19 12:16:10 | CS(子供伝道)

17日に教会で教育講演会があり、息子の嫁と一緒に聞きに行ってきました。

「子供の発達とメディア」と題して児童文学者斉藤惇夫氏と小児科医田澤雄作氏が語って下さいました。

「いま、子どもたちがあぶない!」
 斉藤惇夫他著 古今社 
「脳内汚染」 岡田尊司著 文藝春秋社 を読んで昨年9月1日、2日と11月10日のブログにも関連することを書きましたが、今回は直接講演を聴いたので、インパクトが強かったです。印象に残ったことについて感想を交えて少しだけ書かせていただきます。


生まれたばかりの赤ちゃんに授乳しながらケイタイメールをしている母親がいると聞いて驚きました。赤ちゃんはおっぱいを一生懸命飲んで、ふと不安になって母親の顔を見ます。そのときお母さんと目を合わせると安心してまた飲むのです。でもメールをしていたら、赤ちゃんが見上げても目があいません。赤ちゃんは不安になります。人生のスタート時からこれでは悲しいですね。



いじめによる自殺が相次ぎ、青少年による不可解な事件が起こっている背景には、テレビ、ビデオ、ゲームなどの非現実的映像への不適切な接触があると考えられるそうです。
ビデオを子守代わりに用い、成績が上がったことのご褒美にゲームソフトを買い与える親がいます。すると、子供はいつしかメディアづけになってしまいます。

確かにわたしも子供が夕方ぐずったとき、ビデオやテレビを見せていました。ゲームも買い与えました。もちろんテレビゲームは時間を制限してやらせましたが、兄と妹がそれぞれ毎日30分くらいやっていました。


テレビやビデオは一方的に語りかけるだけで、人間的触れあいがありません。テレビやビデオから言葉が発せられるから、それで言葉を覚えるからいいなんて思ってはいけませんね。子供がテレビから言葉を覚えたとしても、それは意味を持ちません。子供は親子のコミュニケーションの中でひとつずつ言葉を覚えていくのです。


ゲームは1日30分くらいならいいかと思っていましたが、1回5分で1日15分までが安全なのだそうです。理由はそり以上長くゲームをすると、ゲーム中毒になる危険があるからです。

人は前頭葉を使ってものごとを考えますが、ゲームをしているときは後頭葉しか働いていないそうです。前頭葉の機能の低下は最新の脳科学機器で証明されています。まさに「脳みそがくさる」状態ですね。



                  つづく

CSクリスマス会

2006-12-16 17:11:32 | CS(子供伝道)

今日は教会学校(CS)小学科のクリスマス会でした。保護者の方を入れると120人くらいの人が集まって、キリストの降誕を祝いました。
学年ごとに行われた出し物は、劇や歌、合奏、組体操、ペープサートなどバラエテーィに富んでいました。


わたしの担当する3年生のクラスは、このブログやHPでも紹介した「やせっぽちのロバ」のペープサートをやりました。日曜毎に11月から準備を始めましたが、1回の分級の時間が30分弱。制作に2回しか時間がとれず、セリフの録音はほとんどぶっつけ本番。間違っても録音しなおす時間がなく、立ち稽古は2回だけという厳しい条件の中でした。
さらに10日はわたしが秋田に出かけたため、子どもたちを指導することができず、神学生に頼んでいました。そして神学生は今日は来れなかったのですが……。


子どもたちはよくやってくれました。3日に練習したときはバラバラだったのに、タイミングをちゃんとつかみ、お互いに声をかけあって助け合い、練習の時には入れられなかった効果音まで入れる余裕さえあって、素晴らしい出来だったんじゃないかと思います。(舞台裏にいたので客観的にどうだったのかわかりませんが……)
わたしは、この子どもたちを1年生の時から続けて受け持っているので、その成長が目に見えて、本当にすごいなあと思います。子どもたちの中にある素晴らしい力が発揮され、輝いていました。


子どもたちの出し物のあと、教師たちがスライド劇をしました。
「はくさい夫人とあおむしちゃん」柳川茂著 河合ノア絵 いのちのことば社フォレストブックスをもとにミュージカル風の台本を書きました。教師たちがセリフを言い歌ったのですが、緊張しました。 これはたっぷり時間をとって練習をしてきましたが、子どもたちには勝てませんでした。
でも、この絵本のテーマになっている「受けるよりも与えるほうが幸いである。(使徒20:35)」のみことばが伝わったことでしょう。


クリスマス会が終わってほっとしましたが、まだ気をゆるめることができません。明日は教会学校礼拝のメッセージをするのです。緊張で胃が痛んでいます。

あなたは高価で尊い

2006-12-04 12:56:37 | CS(子供伝道)

昨日CS(教会学校)で神学生がメッセージをしてくれました。とてもよかったので紹介させていただきます。(オレンジ色の字が神学生の話した言葉、青色がわたしの感想です)

メッセージは みんなは、「人殺し」をしたことがありますか?というちょっとびっくりするような質問からはじまりました。もちろん「ありません」という言葉が返ってきましたが……。

「いつか殺してやる」なんて人に言ったことはありますか?
心の中で「あの子なんて死んでしまえばいい」と思ったことは?
心の中で「あんな子がいなかったら良かったのに」と思ったことは?
と質問は続きます。

わたしは心の中で「あんな子がいなかったら良かったのに」と思ったことがあります。それは殺人と同じくらい大きな罪です。



人殺しをする人は「あんな人、いなくなればいいのに」と思う心から始まります。
なぜ人を殺してはいけないかというと、悲しむ人がいるからだけでなく、神さまがその人を愛し、生かしておられるから殺してはいけないのです。人を殺すことだけでなく、自分を殺すこと(自殺)も同じようにいけないことです。
神さまは一人子のイエスさまを十字架に架けてしまうほど、わたしたちのことを愛して下さっています。あなたにとって、嫌いな子も好きな子も、良い子も悪い子も、勉強の出来る子も出来ない子も、神さまは愛しておられます。


と言って長さの違う3本の紐を使った手品を見せてくれました。

長い紐は勉強もスポーツもできる子、中くらいの紐は成績が中くらいの子、短い紐は勉強もスポーツも苦手な子です。でも、神さまの目から見ると3本の長さは同じです。
(といって3本が同じ長さになっているのを披露)


神さまの目からみたら、同じだというメッーセジを劣等感にさいなまれていた小学生のころに聞きたかったです。



何の良いところもない人間、何の役にもたたない人間なんてひとりもいません。
全世界を造られた神さまは、人間のことも造ってくださいました。あなたも神さまによって造られたのです。


もう一つ手品をやってくれました。それはたたんだ新聞紙に水を注ぎ一滴もこぼさずにまた水をもどす。という手品です。


この新聞紙は古くて汚い新聞紙だけれど、わたしはとても大事にしています。それは手品をするためになくてはならないものだからです。
わたしが古新聞を大事にして用いるように、神さまはわたしたち人間にも計画をたてて用いようとして下さっています。だから人を殺したり、自殺をしてはいけないのです。
聖書の言葉
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」

神さまがこんなわたしさえも用いようとしてくださり、高価で尊いと言って下さるなんて、感激!!

奇しくも昨日の礼拝メッセージで聖書箇所は違いますが、同じようなことが語られたのでした。

子供たちにメディアワクチンを

2006-11-10 12:13:33 | CS(子供伝道)

今日は、先月教会学校で発行したお便りを紹介します。ホスピスのベッドで横になる父の傍らで書いた物です。9月1日、2日、ブログに書いた「危険にさらされている子供たち」の内容と重複する箇所もありますが、9月には「いま、子どもたちがあぶない!」という本はまだ読んでいませんでした。(この本もホスピスで読みました)



10月から小学科ではモーセのお話をしています。先日は、エジプト人が同胞のイスラエル人を虐げていることに腹を立てたモーセが、エジプト人を殺してしまうというモーセの失敗の話しをしました。そのとき、「ものすごく悪いことをした人なら、殺してもいいと思いますか?」と子供たちに問いかけました。すると、「だめー」という答えが返ってきてほっとしました。

佐世保の小学校で小学生が同級生を殺すというショッキングな事件が起きた後、教会学校では『なぜ人を殺してはいけないのか』について話しました。そのいちばん大きな理由は、『どんな人でも神さまによって造られ、神さまに愛されているから』だと神学生が話してくれました。
 
最近、若者や子供による異常な犯罪が増えています。以前には考えられないような事件が起きています。それがテレビゲーム、ビデオ、テレビ、インターネットなどのメディアの影響だということが「脳内汚染」、「いま、子どもたちがあぶない!」に書かれています。本には、テレビゲームをやり続けると、脳(前頭葉)が変化してしまうことが示されています。

ゲームでなくても残酷なシーンを繰り返し見ると、残酷とは感じなくなってきます。ホラー映画も見続けていると何ともなくなります。それは、人の正常な感覚が麻痺してきた証拠です。
悪影響を与えるとわかっても、テレビゲームやすべてのメディアから子供を切り離すことは不可能に近いでことでしょう。私事で恐縮ですが、我が家の2人の子供たちもメディアの影響を多分に受けて育ちました。特に長男はテレビゲームに夢中でした。時間を決めていても「セーブするまで待って」と5分、10分時間が伸び、そのたびに親子喧嘩になっていました。

わたしは、当時テレビゲームがそれほど悪いという認識がありませんでしたが、子供たちになんとか本好きになってもらいたいと思っていました。それで毎晩夕食後に20分間本の読み聞かせをしていました。それは長男が2歳から小学校を卒業するまで続きました。かなりの長編を何日もかけて読み聞かせたこともあり、それは親子で物語を共有する楽しいひとときでした。そのせいかどうかわかりませんが、長男はメールより電話派。長女は読書家(?)になっています。

「いま、子どもたちがあぶない!」には、子供たちにメディアワクチンを打つことが必要だと書かれています。メディアワクチンとは、質のいい本を読み聞かせることだそうです。

いま、子供たちは危険にさらされています。子供たちを守るには、有害なもの、悪影響を与えると思うものからできるだけ遠ざけ、良いもの、心を豊かにするもの、美しいものを与えることです。良いもので心を満たしていれば、悪いものは入ってこないとS先生が言われました。

そして大切なことは、神からの規範を教えることです。神さまは、人間を倫理的な存在として造られました。神さまから造られた者として自分を大事にすること。また、他者も大切な存在として造られていることを知らせることが、わたしたち大人の役目ではないかと思います。


「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」(箴言22:6)


〈本の紹介〉
「脳内汚染」 岡田尊司著 文藝春秋社 1680円税込み
「いま、子どもたちがあぶない!」 斉藤惇夫他著  古今社 1800円+税


危険にさらされている子供たち(その2)

2006-09-02 09:38:17 | CS(子供伝道)

テレビゲームが人の脳に与える影響について科学的な研究がなされていますが、まだ明らかになっていません。でも、テレビゲームやテレビ、ビデオ、DVD、ネットなどが人間に与える影響は大きいことは確かです。


子供の異常な事件をテレビゲームと結びつけると、息子や娘は怒ります。以前、教会学校の教師会で子供が教会にゲームを持ってくることの可否についての話し合いをしたとき、わたしを含めて年配の教師は、ゲームはよくないという意見でしたが、若い教師たちは、なぜゲームがいけないのかわからないと言いました。息子と同じ世代の若者は、ゲームのない世界は考えられないといった感じです。


ゲームでなくても残酷なシーンを繰り返し見ると、残酷とは感じなくなってきます。ホラー映画も見続けていると何ともなくなります。それは、人の正常な感覚が麻痺してきた証拠です。人を殺す場面を見続けると、殺すことに対する抵抗が少なくなります。殺しても、ゲームではリセットボタンを押せば何度でも生き返り、テレビや映画では殺されたはずの人がピンピンして別の番組に出ているので、現実もそうではないかと思ってしまいます。


大人の感覚で、子供がどんなものを見たりどんなゲームをしたとしても、現実と違うことくらいわかるはずだと思ってしまうと危険です。2.3歳の子供が童話の世界と現実がごちゃごちゃになって、「妖精に会ったよ」とか「空を飛んだんだよ」と言ったりすることがありますが、それと同じで、高校生でも現実と仮想世界の区別がつかなくなってしまう場合があると思うのです。


だからといって、テレビゲームやすべてのメディアから子供を切り離すことは不可能に近いでことでしょう。このような恐ろしい環境の中にいる子供たちを守るには、有害なもの、悪影響を与えると思うものからできるだけ遠ざけ、良いもの、心を豊かにするもの、美しいものを与えることです。良いもので心を満たしていれば、悪いものは入ってこないと聞きました。


そして大切なことは、神からの規範を教えることです。
神さまは、人間を倫理的な存在として造られました。神さまから造られた者として自分を大事にすること。また、他者も大切な存在として造られていることを知らせることが、わたしたち大人の役目ではないかと思います。


若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22:6)

                   おわり

危険にさらされている子供たち(その1)

2006-09-01 12:56:38 | CS(子供伝道)

あっという間に8月は去っていきました。今朝は9月にふさわしいような涼しい風がふいています。以前は秋風がふくとぞっとしました。秋風とともにゼーゼーと喘息が出てくるからです。8月末から11月半ばごろまで具合が悪かったことを思うと、薬の副作用が出たり疲れやすかったりしても、今の方がずっと楽です。ベランダに出て大きく深呼吸し、思い切り息が吸える喜びを感じ、主に感謝しています。

この前の日曜日、S先生のメッセージを聞いて、心が熱く燃えました。だいぶ日にちがたってしまいましたが、そのことをどうしても書かなくてはという思いが与えられました。


「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子供として、さとすためです」
とⅠコリント人への手紙4:14に書かれています。コリント人への手紙は、パウロがコリントの人たちにむかって、親が子に切実に訴えるようにして書き綴ったものです。コリントの教会の人たちは当時、色々と問題が多かったようです。
「わたしたちは子供たちに神からの規範を伝えるために必死の努力をしているだろうか?」
という問いかけがわたしの心を刺しました。
規範なき時代と言われている現代において、若者や子供の不可解な事件が連日のように起きています。なぜそのような世界になってしまったのでしょう。


脳内汚染(岡田尊司著 文芸春秋)という本には、子供たちの異常の原因はテレビゲーム、DVD、ケイタイ、ネット等のメディアにあると書かれているそうです。佐世保の小学生の殺人事件で、友人を殺害した少女はテレビゲーム「バトル・ロワイヤル」にはまっていたそうです。
「バトル・ロワイヤル」というのは、中学生がクラスメートの殺人を強いられるという殺人ゲームです。
わたしは、何年も前からテレビゲームが子供たちの心を蝕んでいるのではないかと思っていました。


23歳の息子はテレビゲーム世代です。息子が小学2年生のとき初めてファミコンを買ったのを思い出します。スーパーマリオは親子で楽しみ、このときはテレビゲームに対する不安は、目が悪くならないかということくらいでした。その後、PCエンジン、スーパーファミコン、ゲームボーイ、プレイステーション……、誕生日の度にゲーム機やソフトが増えていきました。
あまりゲームをさせたくないと思っても、放課後友人と遊ぶのにテレビゲームは不可欠なものとなり、時間を制限するのが精一杯で、禁止はできませんでした。
息子が高校生の時、友人から借りたゲームをやり始めました。何気なく画面を見て大変ショックを受けました。主人公がナイフを持って次々とおそいかかってくる人を殺していくのです。血が吹き出し、ばたりと倒れる音がします。あまりにもリアルで気持ちが悪くなりました。


「こんなゲーム、やめてちょうだい! なんて残酷なの!」
と言うと、
「お母さん、残酷じゃないよ。あれは人じゃなくてゾンビだから」
と息子。(ゾンビといっても人間の格好をしています)
兄の横で見ていた中学生の娘も血しぶきの飛び散る画面を見て、
「おもしろい」
と言って笑っています。
「こんなゲームをやるなら、ゲーム禁止にするよ」
とひどく怒ってやめさせ、2度とこのゲームをやらないことを誓わせて友人に返しに行かせました。


すべてのテレビゲームが悪いのではありません。ロールプレイングゲームにはファンタジーのストリーがあって、本を読むのと同じくらい子供の心を豊かにするものもあります。娘はテレビゲームCGに魅せられてアートの道を選びました。
恐ろしいのは、ゲームの世界にはまってしまうことです。
               つづく

天国の食卓

2006-08-05 16:59:57 | CS(子供伝道)

小学5年生の姪(妹の子)が泊まりに来て、教会学校での夏期学校に参加しました。姪は普段は教会学校には行っていませんが、夏期学校は毎年楽しみにしていて、今回で4回目の参加です。


 姪は引っ込み思案で、新しいところになかなかなじめない性格ですが、毎年参加しているので友だちもでき、すぐにとけこめたようです。
わたしは体力的に無理なので参加できませんでしたが、今年も娘が奉仕者として参加しました。わたしは姪を電動自転車に乗せて送り迎えしただけで疲れてしまいました。


昨日帰ってきたふたりが、いきいきとして夏期学校の話しをしてくれました。今年のテーマは、「大切にしよう―神さまの約束とお友だち」で1泊2日の間に3回お話があったそうです。その中で「天国の食卓」という話しを、夜迎えに来た母親に姪が一生懸命話していました。

有名な寓話ですが、紹介します。(わたしが夏期学校で直接聞いたわけではないので、少しニュアンスが違うかもしれませんが……)

テーブルの上にたくさんのご馳走が並んでいます。でも、食卓についている人たちの腕が曲がりません。そのことは、天国も地獄も同じでした。でも、天国ではみんながお腹一杯食べられたのに、地獄では、ご馳走を前にみんな飢えていました。なぜかというと、地獄では人々は、食べ物を自分の口に入れようとし、腕が曲がらないので食べられないのです。一方、天国では自分にではなく、人に食べさせようとして、お互いにご馳走を口に運んであげたので、だれもがお腹一杯食べられたのです。


姪の話を聞いていて、わたしが小学校のころ担任の先生がこの話しをしてくださったことを思い出しました。だから、「互いに思いやりましょう。友だちに親切にしましょう。」と先生は言われました。


公立の小学校では、そこで話しは終わりになります。『なぜ思いやらなければならないの?』『意地悪な人には親切にしなくていいでしょう?』という質問があったら、学校の先生は何と答えるのでしょうか。


「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたは、互いに愛し合いなさい」
とイエス・キリストは言われました。自分のことを嫌っている人も、意地悪をする人も愛しなさいとイエスさまは言われるのです。

なぜなら、イエスさまは自分を十字架につけた人を赦し、敵を愛したからです。こんな罪あるわたしのことをも愛してくださったからです。

CS夏期学校

2006-07-20 16:42:29 | CS(子供伝道)
ようやく雨が上がりましたが、また降ってきそうな空模様です。昨日は雨の中、歩いて教会に行ったら、靴下までびしょぬれになってしまいました。早く梅雨が明けるといいですね。

 新しくCS(子供伝道)というカテゴリーをつくりました。



わたしは子供たちにキリストを伝えたいという気持ちが強く、教会学校(CS)の教師や子供集会の奉仕をさせてもらっています。CS教師は息子が小5、娘が小2のときに始め、育成会の本部役員のとき1年間お休みしたので、12年になります。
土浦めぐみ教会のCSでは、毎年夏に1泊2日のキャンプ(夏期学校)を行っていて、わたしはこれまでに10回参加しました。子供たちと過ごす2日間は楽しく、グループ対抗でのゲームやオリエンテーリング、キャンプファイヤーにわくわくと心躍らせ、メッセージに感動し、子供たちの元気な賛美を聞いて力づけられていました。

わたしは子供のころ喘息がひどかったため、いちどもキャンプ(野外学習)を経験したことがなく、キャンプファイヤーはCS教師になって、はじめての体験でした。

今年も夏期学校の準備が始まりました。行き先は土浦から車で1時間半くらいの大洗です。参加する子供の人数が年々増え、今年は子供62人、大人(奉仕者)26人、総勢88人にもなり、教会のバスだけでは乗りきれないほどになりました。
残念なことにわたしは2年前から(乳癌になって以来)参加していません。体力のないわたしは、それ以前でも夏期学校の奉仕は楽しいけれども体がきつく、いつも帰ってから2、3日寝込んでいました。


乳癌の手術後、ますます疲れやすくなっているので、参加は困難です。分級を担当しているので、受け持ちの子供に対して申し訳ないという気持ちと、ほかの教師たちに悪いなあという気持ち、体力のない自分が情けないという気持ちも加わって、昨年も一昨年もつらかったのです。


ことしは、若い教師に「有給とってでも参加すべきよ」などと言ってしまったので、無理してでも参加しなければ……でも、向こうで具合が悪くなったら、めいわくかけるだろうな……と思い悩みました。参加を迷っていることを校長先生にメールでお話しすると、夏期学校の参加の件、無理はなさらないでください。今回は参加しない方が良いと思います。(疲れると体の抵抗力が低下しますので、今の治療にも良くないと思います。)と思いやりのこもったお返事をいただき、胸があつくなりました。

参加はやはり、みあわせることにしました。でも、賛美の選曲をしたり、しおりをつくったり、準備を手伝って、わたしのできる精一杯のことをします。
何よりもお祈りによって夏期学校を支えてくださっていることを感謝します。と言ってくださったI先生の言葉も嬉しく、参加できないことがつらくなくなりました。今まで10回も参加できたことを感謝します。心をこめて夏期学校のために祈り、準備をします。


子供集会

2006-07-08 21:56:57 | CS(子供伝道)


今日は教会で「はこぶねクラブ」という子供集会がありました。教会学校とは別に、月に1度土曜日の午後に行っています。お話やゲーム、賛美をしておやつをいただきます。とても楽しいひとときです。

教会学校では時間が限られていて、ひとりひとりの子供たちとゆっくり話す時間もありませんが、はこぶねクラブではたっぷり時間があり、子供たちの意外な一面を知らされることがあります。

はこぶねクラブに参加している子供たちのほとんどは、日曜日の教会学校にも来ている子供たちですが、クリスマス会のときは、それぞれが学校の友達をさそったので、去年のクリスマスは20人以上の新しい子供が集まりました。


この子供集会は、ひとりの姉妹の家と我が家の2箇所で始まりました。我が家の集会の名前は「わくわくこどもクラブ」でした。長女が小学4年生のときに始めたので、10年前のことです。長女の友達や近所の子供たちを招き、M先生に来ていただいて聖書のお話やゲームをしていただきました。多いときは12.3人の小学生が集まって、狭い部屋で大騒ぎをしていたころを懐かしく思い出します。

来ている子供たちの中には、障害があるために学校でいじめられていた子供や、父親が母親に暴力を振るうのを見て、精神的な痛みをかかえている子どももいました。今はもう高校生になっていますが、Tちゃんはどうしているのかなあと思います。少しでも聖書のお話を覚えているといいなあ……それより、神さまがTちゃんのことを愛し、かけがえのない存在だと思っていて下さることを思い出して欲しいなあと願い、祈っています。 


イエス・キリストは子供をとても大切にされました。

「子どもたちをわたしのところへ来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」(ルカ18:16)



小学科でのお話

2006-06-26 12:29:59 | CS(子供伝道)

 昨日は、教会学校小学科の礼拝で子供たちに聖書のお話をしました。教会学校でのお話は、教師が順番で担当し、2か月に1度くらいまわってきます。
1年生から6年生まで60人以上の子供たちと、約15人の大人(教師)の前で話すのですから緊張します。気の小さいわたしは、教師になって12年にもなるのにお話をする日の朝は胃が痛くなり、話すときは緊張で足が震えています。
お話の担当が決まると、2.3週間前から準備して1週間前には出来上がるようにしています。わたしは具合が悪くなると、回復するまでに1週間くらいかかるので、早目に準備するようにしています。でも、今回は先々週忙しかったので、1週間前にはメッセージ原稿は書いていましたが、覚えるのと絵を書くのはまだで、ぎりぎりに準備できました。

教案誌があるので、その通りお話をすれば、準備にそれほど時間はかからないのでしょうが、わたしの場合、自分の言葉で話したいという想いがあって、そのためには聖書を熟読し、わからないところは徹底的に調べて、祈って……準備するので時間がかかります。そして、メッセージの原稿はすべて暗記することを目指しています。

昨日は新約聖書「使徒の働き5章」のところで、イエスさまが復活され天に上られてから後の使徒たちが、迫害にもめげずに力強く伝道していくところをお話ししました。
 いつもお話しするときは、神さまのみこころと違うことを話してしまったらどうしようという恐れが沸き上がります。聖書を読んでも、充分調べても、祈っても不安になってきます。もし間違ったことを話したとしても、大人なら『これは違うのではないか?』と考えて吟味してくれます。でも、子供は素直な心でそのまま受け取るので、責任があり、ある意味恐ろしいのです。

 教会の80歳になるIさんから言われたことがあります。Iさんが小学生のとき教会学校でヨナの話しを聞いた。そのとき先生から、ヨナは魚に吐き出された後、海辺の町ニネベに行きましたと聞いた。けれども、後に大人になってからで調べると、ニネベは海沿いの町ではなく、内陸にあったことを知り、がっかりしたそうです。「だから、教師は間違ったことを教えてはいけない」と言われて、襟を正された気持ちになりました。


 今回準備していて、すごいと思うことがありました。わたしは毎日聖書を読むとき、2種類のデボーションの本を用いていますが、この1週間のうちに読んだどちらの本にも今回お話する使徒の働き5章のことが書かれていたのです。それを読んで、神さまが応援して下さっていることがわかりました。この箇所は、臆病なわたし自身のために神さまが下さったメッセージだったのです。

 臆病で気の弱かった使徒たちが、力強くイエスさまは救い主であると語ったこと。鞭打たれても喜んでいた使徒たちの原動力は何か?ということが示され、わたしも子供たちの前で恐れることなくお話しできました。


「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出ていった。(使徒5-41)」

ヴァイオリニストAさんのお話

2006-06-23 16:22:40 | CS(子供伝道)
 ヴァイオリニストのAさんと一緒に教会学校の教師をさせてもらっています。Aさんがこの間、子供たちに感動的なお話をして下さったので紹介したいと思います。


 ドイツに演奏旅行へ行ったときのことです。日本にいるときから、体調が悪かったため気が重かったのですが、出発しました。飛行機でトイレに入ったとき、倒れて少しの間、気を失ってしまいました。こんなこと、初めてだったので不安になりました。

 ドイツに着いてホテルで熱を計ると39℃もありました。明日は演奏会なのに困ったなあと思いました。たったひとりで言葉も通じないため、病院へも行けませんでした。薬もないので、とにかく何か食べなければと思いました。

 カップラーメンを出して、お湯をわかそうとすると……ホテルの部屋には電磁調理器があったのですが、熱くなっているところをうっかりさわってしまい、人差し指をやけどしまいました。みるみるうちに水ぶくれができ、じんじん痛みます。

 ヴァイオリンの演奏で、人差し指でつまびくところがあるのにどうしようと思い、あせりました。祈ってもらおうと日本の教会へ電話したら、風邪のため全く声が出ませんでした。

 明日、演奏会へ行けたとしても、飛行機の中のように途中で倒れてしまうのではないかと不安でたまりませんでした。その夜、祈ってはうとうと寝て、また目覚めたら祈って……と繰り返し、朝になりました。何とか演奏会をする場所に辿り着きました。会場が教会だったので、何だかほっとしました。

 必死だったので演奏のようすは覚えていません。やけどをした人差し指から血がにじんでいましたが、演奏が終わると、みんなが拍手して喜んでくれました。
 会場に日本人のクリスチャンがいました。その人に声をかけられて家に呼ばれて行き、昨日からの出来事を話しました。その人は、
「神さまが助けて下さってあなたを強め、演奏できるようにしてくださったのだ」
と言って下さり、一緒に神さまをほめたたえました。

 それまでは、自分の力や努力で演奏をするという思いがあったのですが、それからは、神さまの助けがあって初めて演奏できるのだと思うようになりました。


 海外から招かれるほどの演奏家であるAさんは、とても謙遜な方です。Aさんのすばらしい演奏や人柄は信仰からきているのだなあと思いました。
 有り難いことに、わたしが教会学校で奏楽をするときは、いつもAさんにお願いして弾いてもらっています。(おかげで下手なピアノがカバーされます)ヴァイオリンとギターとピアノの伴奏で賛美できるとは、何と恵まれているのでしょう。
                               

拍手ボタンです

web拍手