goo blog サービス終了のお知らせ 

生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

教師研修会

2009-02-02 13:32:04 | CS(子供伝道)

今日は腕の痛みは和らいでいます。あちこちの関節が断続的に痛みますが、激痛というわけではなく、生活に支障のない程度なので感謝です。


31日~1日、教会学校小学科の教師研修会がありました。10数名が参加しました。膨大な資料を用いてキリスト教教育について学び、話し合い、実りある時間を過ごしました。

夕食はみんなで鍋を囲みました。わたしと同じ50代の主婦(泉会)が5人もいたので手際よく準備できました。

夕食の後のセッションも盛り上がって、夜を徹して語り合う勢いでした。


「子どもたちが、自分たちは神様によってすばらしく造られたこと、イエスキリストをとおして神様に無条件に愛されていることを知り、喜び、信頼することによって神様の栄光をあらわす。」

という理念に基づいて、実際に子どもたちをどのように教えたらよいのか考えました。

教育(education)とは、「能力を引き出す」という意味ですね。
子どもたちは生まれながらにして神様からあらゆる能力(タラント)をいただいています。教師は上から教えるのではなく、子どもたちに与えられている賜物を引き出し、開発していく使命が与えられていることを教えられました。

でも、週に1度、1時間という限られた時間でどれだけのことができるのでしょう…・・・。
それでも、貴重なその時間を用いて、できるかぎりのことをしたいです。

教師自身の信仰や生きざまが問われてくるので、ときには子どもたちの前に立つことが恐ろしくなることもあります。

主にある喜びをいつも感じていれば、それが子どもたちに伝わるのではないかと思います。
子どもたちひとりひとりが、{自分は神様に愛されている!}と実感できるように祈りました。


わたしは泊まるだけの体力がないので、10時に送ってもらって家に帰りました。泊まったら、翌日の分級まで体がもたないと思えたからです。

こんなとき、以前なら、体力のない自分を嘆いていました。元気な人たちを羨ましく思っていました。
でも、今はそうではなくて、ここまで参加できる体力の与えられていることを感謝しました。

同じ思い…児童伝道に熱き思いを抱く兄弟姉妹(教会ではクリスチャンの仲間を血縁がなくても兄弟姉妹といっています)が与えられていることが嬉しいです。



きらりんクラブクリスマス

2008-12-06 17:12:59 | CS(子供伝道)

今日は子ども家庭集会『きらりんクラブ』のクリスマス会でした。きらりんクラブは、今年の6月にスタートしました。月一回、教会学校に集う子どもの家庭で行われています。
教会からスタッフと教会学校教師のk姉とわたしの3人が聖書のお話やゲームを準備して出向きます。いつもは教会員の子どもプラスそのお友達1~2人ですが、今日はクリスマス会だということもあって、全部で10人の子どもと7人の大人が集まりました。

クリスマスストーリーのパネルシアターをしました。
主の使いが羊飼いたちに言ったセリフ「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」を言うと、一緒に言ってくれた子どもがいたのでびっくりしました。その子どもは教会学校に来ていない子供です。以前ほかの教会学校に通っていたことがあったそうで、覚えていたようです。

挿入歌として高橋泉さん(「両手いっぱいの愛」の作者)が作られた「神の御手から」をプロのピアニストのお母さんの伴奏でふたりのお母さんに歌っていただきました。すばらしいコーラスでした。歌声にうっとりして次の場面を動かすのを忘れるほどでした。
2008年前のクリスマスの夜、羊飼いたちが聞いたみ使いたちの歌声はこのようなものだったのではないかしらと思いました。

パネルシアターのあとで2グループに分かれてケーキを作りました。スポンジ台は市販のものを使いました。生クリームと、フルーツとチョコレートでトッピングして、すごいケーキができました。(写真)みんな、ワイワイガヤガヤ言いながら夢中で作って、おいしくいただきました。

学校でも、子ども会でも、英語教室やピアノ教室でもクリスマス会が行われます。でも、何をお祝いするのか語られず、クリスマスの意味も説明されません。
子ども家庭集会では「神様が、ひとり子のイエス様をわたしたちにプレゼントとしてくださった日がクリスマスですよ」と語りました。どうか、子どもたちが大人になるまでこのことを深く心にとどめていてくれますように。

王子の涙

2008-11-03 09:54:22 | CS(子供伝道)

昨日はヒックンママの運転でヒックンと3人で教会へ行きました。ヒックンが1・2歳クラスに出るのは5~6回目ですが、大人の礼拝のとき母子室に行ったのは初めてです。

わたしも一緒に三階の母子室に行きました。姪が2歳くらいのころ母子室で礼拝をささげたことがありましたが、それは10年以上前のことです。久しぶりに母子室に入って、乳幼児連れの方が多いのにびっくりしました。

母子室はガラス張りになっていて礼拝堂を上から見下ろす感じです。音声はよく聞こえ、泣き声やこちらからの声は聞こえないので気兼ねなく礼拝を守ることができます。

昨日は召天者記念礼拝でスクリーンに父の写真も映し出されましたが、泣きたいような思いにはならず、「お父さん、あなたのひ孫がここにいますよ」と語りかけました。

ヒックンはおもちゃで遊んでいましたが、途中で退屈してママに抱かれて外をながめていました。(眠くなってきて、ママじゃないとダメでした)
メッセージは集中して聴けませんでしたが、ヒックンママ、ヒックンと一緒に母子室に行けたことが嬉しくて心から感謝しました。


題名に「涙」が続いたのでもうひとつ「涙」のタイトルで書かせていただいています。
教会学校では先月26日からクリスマス会に向けて準備がスタートしています。例年は学年ごとの分級で何をやりたいか子供たちと話し合い、合奏や劇などを練習し、クリスマス会に備えていました。

今年は、学年の枠を取り払って、合奏、合唱、劇、ドラマ、マジック、紙芝居の中から子供たちが各々やりたいことを選んでグループに分かれることになりました。
わたしは紙芝居指導のリーダーなので、お話選びから始まりました。色々悩んだ末、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」をすることにしました。

子供のころ読んだことがありましたが、うろおぼえでした。日本語に翻訳されているものが何種類もありましたので、図書館で借りてきて読み比べ、低学年にもわかる言葉で書き直してみました。
(オスカー・ワイルドは100年以上前に亡くなっていますから、著作権の問題は発生しません。死後50年に満たない方の作品を利用するときは、著作権があるので許可が必要です)


「幸福の王子」を読んで初めて気づいたこと、発見したことがありました。


・ツバメが南の国に帰るのが遅れたわけは、一本の葦に恋をしていたからだったこと。

・王子の心臓は鉛ででいきていたが、焼かれてもとけなかったこと。

・王子はサファイヤの目を悲しんでいる人にふたつともあげてしまい、目が見えなくなってしまったこと。

・南の国に帰ることばかり考えていたツバメは、王子がふたつめの目をも差し出したときから、王子のそばにいようと決心したこと。

・王子は、目がなくなってもツバメの話を聞いて涙を流したこと。

・ツバメにはためらいや葛藤があったけれど、王子にはそれがなかったこと。


王子の姿がイエス・キリストに重なり、ジーンときました。
悲しんでいる人がいれば、自分の身を犠牲にしてまでも助けたいと思う王子。そんな王子に心打たれ、寒さのため死ぬこともいとわなくなったツバメ。

王子がキリストでツバメはクリスチャンのあり方だと思いました。(作者のオスカー・ワイルドがそのつもりで書いたかどうかわかりませんが……。)

王子がいくら心優しくてもツバメがいなければ悲しんでいる人を助けることができませんでした。ツバメに与えられている使命はクリスチャンに与えられている使命です。
ツバメのようになれるでしょうか……。

「幸福の王子」を読んで、わたしたちのために命を捨てて下さったイエス・キリストを深く思いました。

イエス様も涙を流しておられます。マルタとマリヤの兄弟ラザロが死んでしまったとき、イエス様は涙を流されたのです。

「イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)」
は聖書の一節でいちばん短い文章です。

イエス様の涙はどんな色だったのでしょうか?


小学科夏期学校

2008-07-27 17:31:42 | CS(子供伝道)

一昨日、昨日と教会で行われた小学科夏期学校が神様の祝福のうちに終了しました。娘と一緒に奉仕しました。
これまで毎年、近辺の宿泊施設で行われていましたが、今年は教会で行うことになりました。夏期学校の参加は、わたしは10数回目ですが、教会で泊まるのは初めてです。

学生時代、夏休みに実習先の教会付属幼稚園のお泊り会で礼拝堂に泊まったことがありました。当時、クリスチャンにはなりたくないと思っていたのに「ここには、神様がいる。だから大丈夫」と感じたことを思い出しました。
その後、神様は教会にだけおられるのではなく、どこへ行っても共にいてくださることがわかりました。イエス様を信じ、受け入れてからは、わたしの中に住んで下さることがわかりました。

夏期学校では、わたしたちは土の器で、土の器の中に宝物が入っています。その宝物とはイエスさまです。というメッセージを聞きました。


私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明かにされるためです。(Ⅱコリント4:7)



器がどんなにみすぼらしくても、またどんなに弱くてもイエス様が力を与えてくださいます。イエス様はわたしたちの内側を強めるために来て下さったのです。イエス様が入っていて下されば何の心配もする必要がありません。

イエス様はきれい好きなので、罪で汚れた心に住むことはできません。わたしたちの罪を完全に赦し、心をきれいにして下さったから、わたしたちの心に住むことができるのです。わたしたちの罪を赦すためにイエス様は十字架にかかってくださったのです。


メッセージを聞いて力が与えられました。


1日目は開会礼拝のあと、ご父兄が作って下さったおにぎりと焼きそばの昼食をいただき、バスで移動して体育館でゲーム大会。教会にもどって子供たちとカレーを作り、いただきました。夜は雨が少し降りましたが、キャンプファイヤーもできました。
2日目はデボーションのあと朝食作り、水鉄砲を使ったゲーム(各々がおでこに金魚すくいのポイ(すくうもの)をくっつけ、相手チームのものを水鉄砲でねらう。やぶれたら負けというゲーム)、スイカ割り、昼食、閉会礼拝と盛りだくさんのプログラムでした。最初は緊張していた子どもたちも楽しいプログラムに生き生きと目を輝かせていました。

1-4年までの子どもたちを縦割りで4つのグループに分け、グループごとに競い合ったのですが、だんだんとチームワークが強められ、大いに盛り上がりました。
 
夜はほとんど眠れないのでは思っていましたが、5時間ぐらいはぐっすりと眠れたことを感謝しました。ひどく暑かったのは1日目の体育館の中だけで、その後少し涼しくなったので助かりました。体調をくずさずに2日間過ごせ、翌日の今日も元気に教会へ行けました。お祈りして下さった方、有難うございました。


写真は、体育館で行った風船バレーボールです。(ふたつの風船をつなげています)

なぜ桜は春に咲くの?

2008-07-12 17:56:53 | CS(子供伝道)

今日は主人と娘の3人で常総市のハーブハーモニーガーデンへ行ってブルーベリー摘みをしてきました。食べながら摘んでいきましたが、甘酸っぱくてとてもおいしです。ゆっくり出かけたので、摘んだのは午後2時ごろでした。カンカン照りで、熱中症になるのではないかと思われるほど暑かったです。わたしはクラクラしてきたので急いで摘んで日陰で休んでいました。主人と娘は一粒づつ選んで摘んでいました。
3パックも摘んだので、これからジャムを作ろうと思っています。


教会学校の準備をしていて神様の恵みを受け取りましたので、そのことを書きます。

わたしは教会学校で小学4年生を受け持っています。
4年生は毎週13-14人の子どもたちが集まってきますが、分級ではひとりひとりと個人的な話しをする時間がありません。子どもたちとコンタクトを深めたくて「思っていることや。質問があったら書いてみよう」と書いたプリントを毎週配っています。

教師が交代で子どもたちの書いたものにお返事を書いて1週間後に返します。最近返事を書くのが楽しみになっています。
娘にその話をすると「質問の答えより、どんな質問が出たかが大切だから、それを忘れないようにね」と言われました。


「質問の答えは調べれば必ず出てくるけれど、質問を思いつくことは難しいでしょ。なぜ桜は春に咲くの?という質問、大人はしないよね。大人になると春に桜が咲くのが当たり前だと思ってしまうからね。「なぜ?」って疑問に思う子どもの感性は、尊いと思う」

と言うのを聞いてなるほどと教えられました。


その中のひとつを紹介します。

質問
なぜ桜は春に咲くの?

答え
桜の木は、前の年の夏、つまり桜の花が散ってから3ヶ月後くらいに、もう次の花のもととなる「花芽」(はなめ)を作ります。でも、この花芽はいったん眠ってしまそうです。そして、気温が低い状態がしばらく続くと目をさまして育ちはじめ、春が来てどんどん温度があがっていくと、いっせいに咲くというしくみです。冬が暖かいと開花が遅れるそうです。

桜が咲くには冬の寒さと、春の暖かさの両方が必要なのですね。神様は、わたしたちが成長していくためにもつらいことと嬉しいことの両方を与えて下さるのですね。


きらりんクラブ

2008-06-28 15:45:05 | CS(子供伝道)

今日は教会学校に通っている小1の子どもの家で子ども家庭集会が行われました。去年度まで「はこぶねクラブ」といって、教会で土曜日に集会を開いていました。それがなくなって、今年度は家庭で開かれることになりました。

集会の名前は「きらりんクラブ」。数年ぶりの子ども家庭集会です。教会のスタッフと同じ教会学校の教師をしている姉妹と3人で出かけました。わたしは、パネルシアターを持って行き、天地創造のお話をしました。

6人の子どもたちが集まりました。そのうち2人が聖書の話を聞くのが初めてでした。
子どもたちはお話を熱心に聞いてくれ、目を輝かせて賛美し、わらべうたやなぞなぞなどのゲームを楽しみました。
このような機会が与えられたことを心から感謝しました。次回は9月ですが、待ち遠しいです。

 娘が小学生のころ、我が家で行っていた子ども家庭集会を思い出しました。もう10年も前のことです。あのとき来てくれた子どもたちは、今でも聖書のお話を覚えているでしょうか……。

 
今日は娘が自動車学校の合宿から帰ってきます。さきほど「本試験に合格したよ!」とメールがきました。不合格だと今日は帰れないので、夕飯のおかずを思案していたところでした。主人と2人だと簡単料理になりますが、今日は、はりきってごちそうを作りましょう。

合宿での食事はおいしくなかったそうです。それでも娘は「食堂のおばちゃんが少ない予算で工夫して作ってくれていることに感激した。同じ食材を使って色々な料理を作ってくれたので、感心して作り方聞いちゃった」と言ったので、3年間一人暮らししたからこそ、そんなふうに感じたのだろうと嬉しく思いました。


「聖書について」の続きは後日書きます。


にほんブログ村 その他日記ブログ つれづれへ

神様の愛はどれくらい?

2008-06-02 13:46:12 | CS(子供伝道)

昨日は年に一度の親子礼拝でした。0歳児から小学6年生の子供たちと父母が一緒に礼拝をささげました。
神様の愛についてK先生がお話ししてくださいました。


神様はあなたのことをどれくらい愛しているのでしょうか? それはイエス様の行為として聖書に書かれています。
 
わたしたち人間は、神様と共に歩むように造られました。神様とわたしたちは親子関係のようです。赤ちゃんは、お母さんのオッパイを飲むことによって安心感が与えられ、低学年ぐらいまでは親に抱きしめられることによって安心し、大きくなると、親に話を聞いてもらうだけでほっとします。

ところが人間は神様から離れてしまいました。その結果、心の中に寂しさが生まれ、空洞ができました。その空洞は、神様しか満たすことができないものです。
 また、人は罪悪感を持つようになり、人を責めたり、自分を責めたりするようになりました。

こんなわたしたちのためにイエス様は、すべての力、すべてのものを捨てて人として生まれてくださいました。イエス様はわたしたちの罪を背負って黙って十字架にかかってくださいました。

イエス様は十字架上で神様に「どうして見捨てたのですか?」とたずねますが、それは人が神様に見捨てられないためでした。ここに愛があるのです。

 

お話のあと、「両手いっぱいの愛」を歌いました。わたしはこの歌をうたうといつも涙があふれます。歌詞を紹介します。

  
両手いっぱいの愛(佐々木 泉作詞)

ある日イエス様に 聞いてみたんだ
どれくらい ぼくを 愛してるの
これくらいかな
これくらいかな
イエス様は だまってほほえんでる

もういちど イエス様に 聞いてみたんだ
どれくらい ぼくを 愛してるの
これくらいかな
これくらいかな
イエス様は だまってほほえんでる

ある日 イエス様は こたえてくれた
静かに両手をひろげて
このてのひらに
くぎを打たれて
十字架にかかってくださった

それはぼくの罪のため
ごめんね ありがとうイエス様
ごめんね ありがとうイエス様


*お知らせ(一昨日も書きましたが……)

沖縄旅行記、写真を増やしてHP用に新たに作成しました。
生かされて…土筆文香をご覧ください。

子ども家庭集会

2008-04-28 11:30:20 | CS(子供伝道)

昨日教会で洗礼式が行われ、8人の方が洗礼を受けました。8人中3人は、教会学校で受け持ったことのある子どもです。(今は子どもではなく、2人は高校生、ひとりは大学院生です)なんと嬉しいことでしょう。
彼らの小学生の時の顔が思い浮かびます。大学院生のYくんは、しばらく教会を離れていた時期があったのですが、イエス様のところに帰ってきました。背後には家族や教会の人たちの熱い祈りがありました。


午後は、子ども家庭集会の説明会をおこないました。この2年間、月に一度、土曜の午後教会で子ども集会「はこねくらぶ」を開いてきました。この集会はもともと信徒の家で子ども家庭集会として行われていました。

11年前、我が家で当時小5だった娘の友達や近所の子どもたちを集めて、子ども家庭集会を行っていました。多い時は10人も集まってきました。
伝道師の先生が来て聖書のお話や賛美、ゲームをしてくださり、今までいちども聖書の話を聞いたことのない子どもに福音を伝えることができました。娘が中学生になってからは、わたしは奉仕者になり、先生と一緒にあちこちの家庭をまわりました。

ところが2年前から、家庭を提供してくださる方がいなくなり、家庭で行う子ども集会がなくなってしまいました。
めぐみ教会は住宅地ではなく郊外にあり、バス停からも遠いので、子どもがひとりで来ることができません。教会で行うと、車での送迎が必要です。
教会で集会を行っても、数名の教会員の子どもが来るだけにとどまっていました。本来の子ども家庭集会を行おうということで、家庭提供者を募るために説明会を行ったのでした。

わたしは家庭提供経験者として以下のようなことを話しました。


集会を開く前に親向けに教会の先生が来て聖書のお話をするという趣旨を手紙に書いて配り、親に納得していただいてから子どもを誘ったため、問題が起きることはなかったこと。お母さんたちに感謝されたこと。クリスマス会のあとには、クリスマスの本当の意味がわかってよかったといわれたこと。

子ども家庭集会に来ているTちゃんが、トランプをしているとき突然吐いてしまったことがありました。風邪かもしれないと思って、Tちゃんのお母さんに話すと「風邪ではない。ストレスだ」と言いました。「ストレス?」と聞き返すと、Tちゃんのお父さんがアルコール依存症で、ときどきお母さんに暴力をふるうそうで、その前の日にTちゃんの目の前で首をしめられたからだといって、襟をめくって見せてくれました。わたしは、彼女の首にあざができているのをみて、ひどくショックを受けました。

教会内ではあまり聞くことがありませんが、家庭崩壊の現実を目の当たりにしました。Tちゃんはどれほど心傷ついていたのでしょう。
Tちゃんのような子どもが近所にいるかもしれません。また、身近なところにいる子どもが、いじめや家庭内の問題で苦しみ、死を考えているかもしれません。

ひとりひとりが、神様に造られた存在であること。神様に愛されている存在であること。神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」と言ってくださっていることを伝えることが、自殺や自傷行為に走ることを抑えるワクチンになるのです。


語り終えたとき、その場で「我が家で家庭集会を開かせていただきたい」と言ってくださった方がおられて大変うれしく思いました。わたしの思いが伝わったのでしょうか? 神様が働いてくださったのですね。心から感謝します!


これから旅行にでかけます。数日間コメント停止しますので、またよろしくお願いします。

大切ないのち

2008-03-24 18:38:39 | CS(子供伝道)

今日は、病院へ検査結果を聞きに行ってきました。雨だったのでバスを乗り継いで行きました。結果は、異常なし。とても良い状態ですねと言われてホッとしました。感謝!


土浦市で殺傷事件がありましたね。最初の殺人事件があった場所はわたしの家から4㎞ほど離れたところで、昨日の事件は最寄りの駅(土浦)の隣(荒川沖駅)で起こりました。
犯人は、人を殺したくなったと言って出かけ、無差別に刺したそうです。恨みによる殺人なら理解できますが、全く理由がわかりません。精神の病気だと思いますが、殺された人はたまりません。家族はどこへ怒りを持っていったらよいのでしょう。亡くなられた方のご遺族が慰められますように祈ります。

どうしてこのような悲しい事件が起こるのでしょう。
人間はナイフで刺されただけで死んでしまいます。車にぶつかっただけで死ぬこともあります。もろくて危うい命です。


教会学校小学科で先週と昨日の日曜日の2回にわたって、いのちについて子供たちにI牧師先生がお話しして下さいましたので紹介します。

Ⅰヨハネの手紙4:9には次のように書かれています。
「神はひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」
この聖句には2つのことが示されています。

①神さまは、みんなのことが大好き。
②神さまは、みんなに大切ないのちを与えて下さった。


「あなたは、いのちをいくつ持っていますか?」と質問されると、ほとんどの子供がひとつと答えました。

先生はいのちを2つ持っています。それは目に見えるいのちと、目に見えないいのちです。目に見えるいのちは事故や病気で失われてしまいます。もろくて壊れやすいものです。
一方、目に見えないいのちはなくならず、誰も奪うことのできないいのちです。
聖書に「その方によって命を得させてくださいました。」と書かれていますが、その方とは、イエスさま。いのちとは永遠の命です。

「人間が死んだら、生き返りますか?」と先生が子供たちに質問すると、一人をのぞいて全員が生き返らないと答えました。
聖書には、死後、生き返った人のことが書かれています。ドルカスやラザロがそうです。

聖書に「しかし、人の子は三日目によみがえります。(マタイ20:19)」と書かれているようにイエスさまもよみがえりました。
それでは、ラザロとイエスさまのよみがえりは同じでしょうか?
答えはNOです。ラザロはイエスさまによって生き返りましたが、そののち死にました。
イエスさまは、永遠の命を持ってよみがえられたので、今も生きておられます。

イエスさまが十字架にかけられて死んだのは、わたしたちにこの永遠の命を与えるためでした。イエスさまは、このいのちをひとりひとりに差し出しておられます。
わたしたちの心の金庫には鍵がかかっています。イエスさまはむりやり鍵を開けたりはなさいません。あなたが鍵を開けて、イエスさまの差し出してくれた永遠の命を心の金庫にしまいましょう。


以下はわたしの感想です。
目に見えるいのちも神さまから与えられた大切ないのちです。地上で生かされている限られた時間を大切にしたいです。目に見えないいのちがあるから、不条理の世界に生きていても平安が与えられらています。
目に見えないいのちについては、ノンクリスチャンの人たちは考えてもないでしょう。でも、死に勝利されたイエスさまが下さるもうひとつのいのちがあることに世界中の人が気づき、心の金庫を開けて受け入れて欲しいと心から願います。

文集マナ……将来の夢

2008-03-02 15:48:25 | CS(子供伝道)

教会学校で年に数回発行している「文集マナ」というのがあります。手書きの文集で、毎回テーマを決めて、それにあった文章や絵を教会学校に来ている0歳児から高校生までの子供が書きます。(0-2歳児はお母さんが書きます)

わたしは43号(1991年発行)から大事にとっています。現在小学科の教師をしている青年が小学生の時書いた物などを持っているので、教会の方でなつかしさに浸りたい人は、お知らせ下さい。お見せしますよ。  

先日97号が発行されました。(今回は中高生は含まれていません)テーマは、“将来の夢”か“今年の目標”です。子供たちや教師が書いた絵や言葉が掲載されています。
子供たちの将来の夢は、医者になりたいというのがトップで、ケーキ屋さん、お花屋さん、デザイナー、ピアニスト、幼稚園の先生、看護師など。
ユニークなのは、くまと仲良しになること。ダイヤの指輪をもらうこと、中国へ行ってパンダ幼稚園の係りの人になること。
夢があるっていいですね。

わたしは、“イエス様を伝えるファンタジーの物語を書く。アニメーション映画になったらいいな……”と書きました。
実は、そのようなことを今まで何度か文集マナに書いているのです。(12年も教師をやっているので……)

「行ってみたいところは?」というテーマで書いたときは、宇宙旅行と書きました。本気でそう思って書いたのです。宇宙飛行士になるのは無理だけれど、火星旅行ツアーがあったら、行きたいなあと思っているのです。そんなことを言うと主人と子供たちに笑われますが……。

今日はこれからヒックンが泊まりに来ます。ヒックンはどんな夢を持つようになるのでしょうか……


写真は68号(1996年)の表紙です。

暗唱聖句大会

2008-02-24 17:31:07 | CS(子供伝道)

今日は教会学校で暗唱聖句大会が行われました。暗唱聖句大会は毎年2月の第4週に行われますが、色々と工夫を凝らしています。例年は約60名の小学生を学年で縦割りにし、4~5グループに分けてチーム対抗戦で行っていましたが、今年は学年別の分級で行うことになりました。もちろん、低学年には少しハンディをつけて。

あらかじめ課題として出されている20の聖句を用います。聖句を百人一首のように上の句と下の句に分けて書かれたカードを配り、2枚を合わせる速さを競うゲームや、パワーポイントを使っての○×クイズなどで大いに盛り上がりました。

「忙しくて覚える暇なんかないよー」(小学生は、低学年でもおけいこごとや宿題があって忙しいのです)と言っていた子供たちも、けっこう覚えてきていました。前もって分級対抗と知らせていたからでしょうか、例年より覚えてきた子供が多かったように思います。

子供たちが覚えた聖句は一生の宝となるでしょう。いざというときは聖書を開くことができません。たとえば手術台に乗っているとき、危機的状況に陥ったとき、身近な人の死にショックを受けたとき、人から責められて弱り果てたとき、心に蓄えられた聖書の言葉が救いになります。

人からひどいしうちにあって腹を立て、仕返しを考えていたとき、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦して下さったように、互いに赦しあいなさい。(エペソ4:32)」を思い出したら、仕返しなんかできませんね。
忙しいときに人の世話を頼まれてつぶやきかけたとき、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ3:23)」を思い出したら、喜んでできるでしょう。

先週木曜日に教会の姉妹の葬儀がありましたが、金曜日には教会に通っておられる方の高校2年の息子さんが交通事故で亡くなり昨日教会で納棺式が行われたそうです。
このようなときに慰められる聖書の言葉が今日の20の聖句の中にありました。

わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)

昨日久々にHP「生かされて…土筆文香」の詩のページを更新しました。1ページに4つの詩を掲載していますが、最後の詩はブログに出してないものです。


「子どもたちに導かれて」を視聴して(その2)

2008-01-14 16:15:17 | CS(子供伝道)
昨年12月23日にNHK教育テレビで放送された「子どもたちに導かれて」の番組から坪井節子さんのお話を紹介しています。


坪井さんは、虐待・非行……過酷な現実を生きる子どもたちと接して、自分が『無力であること』を感じられました。でも、子供たちから『無力でいい』ことを教えられたと言っておられます。

傷ついている子供たちは、ほとんどが「自分など生まれてこなければ良かった」と思っています。その子供たちに「わたしはあなたに生きていて欲しいと思っている」と伝えます。生きていて欲しいと思っている人がひとりでもいることがわかると、それを支えに生きていけます。


わたしもそうでした。死にたいと願っていた中学生のとき、自分のお墓の絵を描いていました。墓のまわりにいる人たちが笑っている絵でした。それを見た祖母は「おまえが死んで、誰が喜ぶんだ!」と怒りながら体をふるわせて泣きました。
わたしは、はっとして祖母にあやまりました。
そのとき、少なくとも祖母は、わたしに生きていて欲しいと思っているのだなあ。この祖母のために自殺をしてはいけないのだと思ったのでした。


坪井さんも、高校生のころ死にたいと思っていた時期があったそうです。
坪井さんは、子どもの人権救済活動に携わり、子どもたちの生の声を聞く中で、子どもたちの駆け込み寺となるシェルターの必要性を痛感されて、日本で初めての子どもたちのためのシェルター(緊急避難場所)カリヨン子どもセンターを2004年に設立されました。
 
カリヨンに来る子供たちは、最初はみな『死にたい』と思っているのですが、心を開くようになると、本当の気持ちを表現してきます。本当は、『生きていたい』『愛されたい』のです。
大人はそんな子供たちに何かをしようと思ってはいけません。何もできない、無力ですが、『ひとりぼっちじゃないんだよ』と伝えられたら、それだけでいいのです。

坪井さんは、親から虐待を受けている子供と接したとき、しばらく遠のいていた教会に通うようになったと言われました。祈らなければやっていけないことがわかったそうです。

最後に傷ついた子供たちと接するときの大切な3つのことを教えて下さいました。


1)「あなたが生まれてきてよかった。あなたに生きていてほしい」と伝える。
2)子供の人生は、子供自身が歩く。(大人が横取りしてはいけない)
3)「ひとりぼっちじゃないんだよ」と伝える。



坪井節子さんの著書『 子どもたちに寄り添う 』(いのちのことば社)をぜひ読んでみたいと思いました。

おわり


「子どもたちに導かれて」を視聴して(その1)

2008-01-12 12:08:20 | CS(子供伝道)

昨年12月23日(日)早朝5時からNHK教育テレビ こころの時代~宗教・人生「子どもたちに導かれて」の番組で弁護士の坪井節子さんが出演されました。いのちのことば社のメールマガジンで知って、録画していました。
先日ようやく見ることができました。感動し、教えられることがたくさんありましたので紹介させていただきます。

 
 弁護士の坪井節子さんは、子供の電話相談員をされていました。最初は、ご自身の子育ての経験があるので、子供の相談なら大丈夫だろうと考えておられたそうです。しかし、中高生の体験を聞き、とても驚かれたそうです。

中学生の少女からの相談では、友人と喧嘩したら、その友人が怒って不良グループのところへ行き、その子をレイプさせたというのです。その写真を撮って「しゃべったら配る」脅し、いまだにレイプされ続けているという内容でした。そのことを親にも誰にも言えないでひとりで抱えている少女の訴えを聞いて、何ができるのかと真剣に考えたそうです。

 子供たちは必ずしも法的な解決を求めていません。法的解決をするために東奔西走したそうですが、肝心の子供はもうそこにはいなかったそうです。
子供たちは何を求めているのでしょう。このような子供たちに何をしたらいいのでしょう。

坪井さんは「子供たちの話を聞くことがいちばん大切」と言われました。
この子の人生はこの子しか歩めないのだから、自分で自分の人生を選択させるように。ひとりの人間としの誇りを持たせるように。


このことを聞いたとき、しばしば親が子供の人生に介入して、将来を決定したり、選択してしまうことがあると思いました。
わたしも子供に対して過ちを犯したことがありました。もちろん親はその子に良かれと思ってするのですが、そのことが、子供にとって負担になったり足かせとなったりするのですね。


子供たちの話を聞くこととはどういくことかというと、

「子供たちは、いのちをことばにのせて差し出してきます。使っていることばは未熟ですが、自分の存在、いのちをかけて真剣にことばをさしだしてきます。そのことばを大事に受け止めることです。」

と言われました。


子供たちは、真剣に聞いてくれる人を求めているのです。



                      つづく

今日はこれから子供集会「はこぶねクラブ」です。雨の中歩いていってきます。

先日、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ご覧下さい。

わたしを遣わしてください

2007-10-13 17:48:58 | CS(子供伝道)

今日は子供集会「はこぶねクラブ」でした。新聞紙ちぎりゲームが楽しかったです。リンゴの皮むきのように、1枚の新聞紙を手で長く切って、長さを競うゲームです。けっこう大人もはまっていました。毎回2種類のゲームを用意していきますが、考えるのが大変です。
「ボーイスカウト集団ゲームのヒント」のサイトからいつもアイデアをいただいています。


最近、わたしの心の中にいつも流れている曲があります。それはリラの「用いて下さい」です。歌詞を紹介します。


この世界の痛みと叫び 
すべて知っておられる 
主の声を聞いた
だれをつかわそう だれがわたしの
ためにゆくのだろう
いつかもっと素晴らしい人に
なれたそのときならと 
思っていたけれど
何もいらない そのままでいい
主がともにいるから
いまあなたの前に進む
わたしはとても小さいけれども
あなたの愛と力によってわたしを用いて下さい


今月は教会学校(小学科)でこの歌を賛美しています。(1か月かかってやっとピアノで弾けるようになりました)
これは旧約聖書イザヤ書6:8私は「だれを遣わそう。だれが、われわれのためにいくだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください」のみことばから作られた歌です。

わたしは、この歌をうたうと体が熱くなります。痛みと叫びに満ちているこの世界をごらんになって、神さまは心を痛め、苦しみあえいでいる人にキリストを伝える人を求めておられるのです。


ここにわたしがおります。わたしはとても小さいのですが、文章を書くことによって伝える者として下さい。
と祈っています。


写真は桜川土手に咲く彼岸花。この真っ赤な花のように燃えています。

ワーシップ賛美

2007-08-22 16:55:08 | CS(子供伝道)
 
祈祷会でオーストラリア・シドニーにあるヒルソング教会のワーシップ賛美の映像を見せていただきました。身体全体を使って踊り、生き生きと賛美している姿に感動しました。

worship(ワーシップ)とは、worth(価値のある)+ ship(状態)という言葉からできていて、神さまに十分な価値を置くという意味だそうです。

ダーリン・チェック師は  「わたしの内にあるすべてのものが神をほめたたえる」と、言っておられましたが、賛美しているときの映像を見ても、心から神さまをほめたたえていることがわかります。

賛美の神髄は、旧約聖書Ⅱサムエル記24:19-25にあるそうです。その箇所にはダビデ王が主の祭壇を造ってささげ物をしようとしたときのことが書かれています。アラウナがダビデに「わたしの物をさしあげますから、それをささげてください」と言います。そのときダビデは、「費用もかけずにささげ物をしたくない」といってアラウナにお金を払いました。
わたしたちも愛なる神さまへの応答として賛美をするので、犠牲を払って主の前に賛美をささげなくてはならないと聞いて、その通りだと思いました。
さらに、 「賛美はパフォーマンスではありません。人に見せるためではなく神の心を喜ばせるために賛美するのです。わたしたちができることから始めなさい」と薦めておられました。

わたしはそれを聞いてCS賛美のことを考えていました。教会学校では礼拝前に2曲賛美をします。そのうちの1曲は振り付け賛美で1か月間は同じ曲を賛美します。

かなりハードな踊りもあるので、踊りの指導は若い教師にすべてをまかせて、わたしは踊らずにピアノ奏楽奉仕をしていました。


前月の教師会の前に賛美指導者で集まって踊りの練習をしているのですが、若い教師たちは踊りを覚えるのにかなり苦労していました。
子供の前に立ったとき、教師が自信なく踊ると、子供たちも不安げに踊ります。そんなときは、とても喜びをもって賛美しているようには見えません。

それで先月から交代でわたしも子供たちの前に立って振り付け賛美をすることにしました。実は、わたしはリズム感が弱く、踊りは大の苦手で、1テンポ遅れてしまうこともあるのですが……。
わたしが、老体にむち打って(?)踊っている姿を見たせいかどうかはわかりませんが、最近は若い教師たちも意欲的になってきました。

でも、ヒルソング教会のワーシップ賛美を見たら、まだまだだと思いました。心から喜びをもって歌い、踊り、捧げていきたいです。
 
ちなみにこんどの日曜は、「グローリー」を踊ります。実は1曲踊ると息切れがするのですが、全力投球です。イエス様がわたしにして下さったことに感謝して、その応答として賛美します。

拍手ボタンです

web拍手