人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

朝からの雨

2017-11-14 | 晩秋

 起床したときはまだ雨は降っていなかった筈だが、食事の後にはどうやら本降りを思わせる状況。
11月半ばの雨、どことなく寒さを感じさせて自分は嫌いだ。
 この雨の中、近くでも遠くでも出かける気にならない。昨日の暖かさとはまるで違うイメージだ。
家の中で、多くの老人がそうであるように、じっとしてテレビに向かってあるいは新聞で。ボケーとして日を過ごすことになるだろう。
 今年、初夏の頃に「苗木や花の店」で購入して庭の隅に植えていた「琉球アサガオ」の一本の苗がぐんぐん大きくなって、連日、数えきれない程の花を咲かせてくれた。しまいには私自身があきれてしまった程だ。秋になり、11月になってもその花の数は一向に減ることもなく咲き続いた。しかも従来のアサガオといえば、その名のごとく、朝に開いて日が高く上る前にはしをれるものと、認識していた自分。
 しかし、この「琉球アサガオ」一本の苗であるにもかかわらず、ずっと咲き続けてくれた。
 11月10日も過ぎればあとの予定がある。しかも、簡単な塀に巻き付いているから、なにかと不便も出てくる。
 「アサガオにつるべとられて貰い水」などの風流な俳人も昔いたが、そんなことを思ってはいられないのが、現代だ。
  あとが待っているのだ。思いきって、根元から切って蔓を短く切断し、ゴミ袋に入れる。次回の緑ゴミ収集日に集積場にまで運べば終わり。
 宿根なので、また、来年初夏から付き合ってくれるのを楽しみにしよう。ただし、自分が生きて、それなりに健康であればということに。