尾崎・桐野地区 ここでは「乳母がふところ」「諏訪神社」「柄山古墳」を訪ねながら歩いた。
「乳母がふところ」
戦国時代、岐阜城落城にまつわる悲話が伝わる。乳母が乳呑み児である、さる若君を抱いて逃げ、山伝いにここまできた。奥方とははぐれてしまい、泣き止まぬ若君にここの滝の水を含ませたところ、泣き止んだ。乳母もこの水を飲んだら乳が出るようになった。近くの寺にかくまわれて助かった。「美濃もここ 乳母がふところ水の秋 山花(俳人)」
「諏訪神社」は桐野村の村社とあるがとても立派な神社だ。この神社前にあった(いまはない)通称「みたらしの池」(お手洗の池)は特に有名であった。湧き水が豊富できれいであったことから、近年まで水道の役割を果たしたという。
諏訪神社にあった「神輿」2つあって、ひとつは小さいので子供用かと思われた。大切に保管されているが、最近はつかわれていないのかも?。
柄山古墳(県指定史跡・鶏頭埴輪は市指定文化財)那加柄山町にある前方後円墳。近くに 琴塚古墳もあり、このあたりには古代の窯あとが随所で見つかっているという。古墳の周辺部から鶏頭の埴輪が出土したことから、分かったものという。窯では須衛器と瓦を焼いていたらしい。おがせ街道のことを「かわら街道」と呼ぶ人が近年までいたという。