人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

小雨の一日

2018-04-11 | 

 今日は朝から小雨が降ったり、時に止んだりといった日です。
しばらくの間、好天に恵まれていたので、そろそろ雨が。とは思っていた。
 この時期は山や里の木の芽が伸びる、伸び始める時期だ。
 雨がたっぷりと降って、木の芽、草の芽がぐんぐん伸びるときだ。
自宅でも花の苗などを購入したり、昨年までの株の間隔を分けたり、一部には肥料を薄めて与えたりしている。
 この時期、自分はたのしい。この春は野蕗が結構多く、しかも大きく葉を広げてきたので、少し間引いて、食用にした。旨い。(画像は高山市)



天候が変わり寒風が吹く

2018-04-08 | 

 天候ががらりと変って、今日は朝から冷たい風が強く、立て付けの良くない障子戸や、戸袋の雨戸が、ゴトゴトと音をたてている。
 「昨日までの陽気はなんだったんだよ」といった感じだ。
自分はいま、「テレビのまえで炬燵の中だ」外出するのも考えてしまう。
 春になったし、園芸の店にでも出かけて気に入った花の苗でも見てこようかと思うが、踏ん切りがつかない。
外はとても寒い。すでに15時に近い時間で晴天だが寒いだけで、花や植木も芽を出したままの状態でストップしてる。
 気が付くと、野ショウブの根が埋まっている場所にはいまだ発芽が見られない。この野ショウブは下呂市の奥の駅の近くでたくさん自生していたのを、一株だけ抜いてきたものだ。とても丈夫なものだ。でも、もともと自生した場所の気温、土、その他のの条件が揃うまでは発芽しないのだ。気になったので少し表面の土を削って様子を見ると、表面のすぐ下で、発芽して表面に顔を出すときをじっと待っていることが分かった。なるほど、植物は我々より、少なくとも自分よりはるかに堅実だし、生きて子孫を残す力を備えていることが分かった。



 
  


山の公園はサクラが満開

2018-04-05 | 

 昨日午後、愛宕山に登る道路を歩いて見ると、山の裾にある小道付近にある広場などに植えてあるサクラはちょうど見ごろか、満開前の状態だった。つまり、サクラの木、周囲の林間に植えられているとか、沢沿いにあるとかの状態によって、日差しの時間が微妙に変化する。更に野鳥によって種子がバラバラに違った位置に蒔かれたが故に、開花のようすがバラバラになる。
 山のかなり高い位置にいつまでも咲いているサクラもあるのが、特に印象的だ。








サクラは落花中

2018-04-04 | 

 この春の陽気は、いわばバカ陽気。従ってサクラはすでに落花の最中だ。
雨に会うこともなく花の時期は終わった(この春は)。
花は一滴の雨にも会わなかった。
 いずれにしても、異常な気象であると思う。
 すぐ近くのサクラは今は無残な状態であるが、人々の目と心を和ませてくれたことだから、当たり前のこのとだが「今年もありがとう」「また、来年よろしく」と言いたい。
 花の期間は絶好の日和だった。↓八木山山頂のミツバツツジ」


爛漫の春

2018-04-01 | 

 まさに爛漫の春です。好天に恵まれて今日も暖かな一日だった。
それは良いことなんだと思いますが、ただ、あまりにも良すぎて、この反動が怖い。
 そんなことを思う自分だ。
 物事すべて、表があれば裏もある。
 表だけがずっと続いた人生を送ることがあるならば、そんなに良いことはないだろう。
自分の過去を振り返ってみても、そう思う。生身の人間である限り、大方の人に当てはまるんだとは思うところだが、品行、生活全般を考えてみても、決して正しいことのみに徹して生きてきたわけでもない。
 かなり正しくないことをも、やって生きてきたように思われる。つまり生活の知恵だ。
 そういうことだって全く無しであっては、この歳まで生きては来れなかったであろうと思う。
 敗戦直後から、物心が付くまでのことは、大方の人たちにとっては当然ともいえた時代があったし、そういうこともなかったならば、まともな日々が過ごせないというような、時代もあったと思う。
今は、のんびり、ゆったりと無理のない日々を過ごすことを良しとしている。
 毎朝、寝床の中で裏山の八木山、愛宕山方面から、「ボー、ボー」とキジバトの声、またはウグイスの「ホーホケキョ」の啼く声を聴きながら惰眠をむさぼっている。可能な限り、「自然はあるがまま」がいい。傘寿も越えた
自分である以上、今のこの瞬間こそが、何よりの贅沢?というべきであろう。(サルボボ神社 高山)


好天が続く

2018-03-30 | 

 「ポカポカ陽気 」はまだ続きます。それは結構なことなんだけれど自分としては、このことの反動がきっとある。そのことが怖いと思うのだ。
 物事には必ず表と裏があるのが当然のこと。
 「花に嵐」とは昔からの言い伝え。サクラ満開と裏腹の事象。この春のように、開花の前からずっと好天の日々が続くのは「めづらしい」からだ。






ぽかぽか陽気を越した

2018-03-28 | 

 今日の陽気はなんだろう。外に出るときは麦わら帽子が必要だった。
桜は満開。その他の植物、花の苗、宿根草なども一斉に芽を出している。
花などが発芽するのは嬉しいが、植物の世界にだって、順序というものがある。
 今日は夏日の気温を記録したと、テレビで知らせている。
 この反動がきっとくるぞ。物事には何でも表と裏があるもの。
日照りのあとに、大雨を伴った台風の襲来ということの類だ 
 なんでもいから、今はこの陽気と春を満喫することにしよう。
 自宅にいながら花見を満喫できる。これ以上の贅沢はあまりない。

自宅のフキ ↓








 

 

 


さくら前線がやってきた

2018-03-23 | 

 昨日に続き好天に恵まれました。
有難いことです。
「サクラが2~3分咲き」といった状態でしょう。自宅の2階テラスからでも見える公園と其の土手の上部に中学校があるが、中学校のグラウンドの土手にソメイヨシノの木が数本植えられていて、今はそれなりにサクラとしては老木だが、何十年と見ているので時期が来れば、それなりに意識してみるし、デジタルカメラにおさめてみたりしている。






雨がやんで薄曇り

2018-03-22 | 

 さくらの蕾も膨らんで、すぐにでも開くのかと思っていたら、寒さと大雨。
随分長い時間、降りました。その後も不安定な空模様です。でも、今は自宅で障子窓を通して弱い薄日が入ってきだしました。この様子では徐々に天候は回復して来そうだから、明日はサクラも一気に開くのか?。などと思う自分だ。
 夜の間、ずっと雨だったようにも感じている自分だったが、今朝は起床時に停電していた。窓を開けてよその家などの様子を見たら少し離れた家は点灯してるし、自分の家だけかと思って、慌てたが、しばらくしたら、正常に戻ってきたが、事前に連絡など聞いていてなかったので、ビックリ。
 天候の急変などの要因によるものだろうが、慌てた自分に「いい年をして情けない」と思う。


雨が続く

2018-03-21 | 

 雨が昨日から降り続いています。我々地区民の思惑とは明確に分けて考えないといけない。
住民は自分本位に考えるし、全体を考えないで物事を考える。
大きい尺度から見ることはあまりにも少ない。
 そろそろ花見をと考えていた人にしてみれば、天候に不満を持ってもおかしくない。
反対に「雨が欲しいな」と考えている人にしてみれば、「大助かりだ」と喜ぶことになる。
 物事には必ず表も裏もあるものだ。雨の日も晴れの日もある。収穫の時期に台風に見舞われてもどうにもできないのが事実だ。
3月の末になっても、雪国では大雪が降っている。不思議でも何でもないのだ。

 


春雨で山の雪が溶ける

2018-03-20 | 

 朝降っていた雨が、午後になり、やんだがいつまた降り出すかわからないといった感じの空模様だ。
 気温も低く寒い。自分の住んでいる地域のサクラはもう一部では開いた花びらもあるんだが、古木の脇芽にかろうじて咲いている感じ。樹木全体をみても、朝から風もなく暖かい日差しをあびれば、きょうにでも開き始めたという状態になったはず。
 寒いので外出する気になれない自分だ。
この頃の天候は全く予測がつかない。
 爛漫の春到来が待たれる。


晴天に恵まれた日

2018-03-17 | 

 晴天に恵まれて、気持ちの良い一日でした。
こんな日は、出来るだけそとにでて陽光を浴びることだと思い昼頃から庭で、スコップで土を掘ったりうめたり、花の根が順調に目を出してくれるか否か、確認をしたりだが、それよりも早く、雑草の方が例年どうり、びっしりと確実に伸びてきている。毎年、この種の草の種はこぼさないように努めてはいるんだが、そこは雑草、風に乗って飛んでくるもの、細い根っ子が残っていて、いち早く、芽をだすものなど。出来れば、「自分も雑草のように強くたくましく、生きれればいいんだが」。などと、この歳になれば思うこともしばしばあり。
 待望の春だ。思い切り満喫しよう。
 花と緑、そして池の水、野鳥、蝶、昆虫類、すべてが相手だ。


陽光燦燦

2018-03-14 | 

 陽光燦燦という表現が当たるほどの有難い天候でした。
そんなにまで思われた「うぬまじいちゃん」です。
 冬から早春までの間、寒い、寒い冬でした。
 外の方が気持ちがよい天候に恵まれて、最高でした。
最低気温と最高気温との差は随分大きくなって、早朝はこんなに恵まれた気温になるとは予想もできなかった。
ただ、これからも、朝と晩の気温、昼の気温。この差は当分続くであろう。
 雨天のときはまた違うけれども。


春は雨が多い

2018-03-08 | 

 今日も13時頃から雨が降り出しています。
この時期は雨が多いのは当然です。
 春になり、山も畑も川沿いも、森も・・・・どこもかしこも
一斉に新芽が膨らみ、開くためには水をたっぷり含んだ土がどうしても必要です。
 山の稜線などを歩いているとよくわかるが、前年の秋に落葉した木の葉などの堆積が多い。
仮に表面が乾いていても、その下に堆積している葉や草は濡れている。
 それらの水分が、ゆっくり地面に吸い込んで、枯れ葉や堆積した地面に浸み込み、腐葉土となって新しい
生命を育む。この腐葉土の下にはミミズをはじめ多くの微生物が働いている。
 その働きによって木の葉も草も分解されて次の世代を育む栄養源になる。
無駄なことは一切ない。自然とは必要以上に手を加えていいものでない。
 一定のサイクルで回っているから、人間だけが例外ではないということ。
 このことを、認識しなければならないだろう。(溢れる温泉 奥飛騨温泉郷)

 


春の光

2018-03-07 | 

 春の日差しを浴びることの喜び。
早朝から明るくなり、夕方も随分遅くまで明るい。
日が長くなったことを実感している。
 しだれ梅の花が近所を歩くだけで目立つ。
これは喜びである。など北欧方面に住む人たちにしてみれば日本とは条件が異なるから日本のようなわけには行かない。
でも、そういう地方に住む人たちも陽光燦々と輝く季節もある。そのような季節になれば多くの人たちが、日光浴に適した時期には、一斉に上半身裸になって椅子に横になり、陽光を浴びる人たちを思い出す。
 冬眠する動物や、冬季に渡り鳥として移動する者もいて、狭い日本列島とはいえ、全体から見ればさまざまである。
 さて、オリンピックのあとはパラリンピックだが、これも日本選手には活躍をきたいしたい。