写真好きだった岳父の遺品にあったスライドプロジェクターです。こういうシンプルなメカニズムに技術進化の足跡を辿るのは楽しいもの。
ミノルタカメラはカメラ部門をソニーに移管し、コニカと合併して複写機や事務機、医療機器、プラネタリウムのメーカーとしてコニカミノルタを設立。千代田光学は旧社名で、ミノルタがブランド名でした。1962年から社名もミノルタカメラになっているので、この製品はそれ以前の出荷ということになります。
ミノルタの名称は、Machinery and INstruments OpticaL by TAshima の中から抜き出したもので、「実る田んぼ」の意味もあるそうです。ニコンやキヤノンに比べてシェアが低いので、自らマイノリティのための個性的なカメラを称しているのかと思ったこともありましたが、そうじゃなかったようです。創業者が田嶋さんなので、どうしても「タ」の字は入れたかったみたいですね。「田嶋カメラ」と呼んでた人もいたような気がしますが、公式に田嶋カメラと称したことはありません。
これは持ち運び用の形態なので、何をどうしていいのかわからないと思いますが。
ボタンを押すとカバーが開きます。
これが使用時の形態。
私と一緒で変わった物が好きなのか、単に箱が好きなだけか。
マウントされたスライドをこのホルダーに挟みます。
こういう感じですね。
こんなレンズにもロッコールの表示があります。レンズ工場が六甲山の麓にあったので、ニコンのニッコールに対抗してロッコールと名付けたようです。
時代を感じさせる説明書。
現在のタブレットや液晶プロジェクターみたいに、教育用やプレゼン用に売り込もうと考えていたのでしょうね。当時教育などに使われたスライドプロジェクターは、世界の大手であるコダックや映写機専業のエルモ、キャビンなどが強くて、カメラメーカーの製品はあまり売れていませんでしたから、携帯性を高めてニッチ商品として売ろうとしたのでしょう。
本体価格4800円。年次統計によると、1958年のサラリーマンの平均月給は16,608円。これは今の20分の1ぐらいなので、このプロジェクターの価格は今のサラリーマンが10万円のAV機器を買うようなものです。冷却用のブロワーは別売。ランプ寿命はかなり短かったのじゃないかな。