井上靖の大陸物を2つ。「天平の甍(いらか)」は映画にもなった晩年の作品。遣唐使を描いていますが、井上作品によくあるように、単なる英雄賛美じゃなくて、むしろ国家エリートになれなかった留学生の苦闘と鑑真の偉業を並べて書いています。この辺になると、「闘牛」などの脂ぎった精力的な人物描写が影を潜め、執念の人である鑑真でさえも淡々と描かれています。留学僧としての半生を写経に費やし、その大量の写経と共に海の藻屑となった老僧など、国家的イベントの裏で、映画の主題歌にもあったように「名もなき星」として消えて行った人々への、静かな哀悼の意が込められているのでしょう。
これに比べると「敦煌(とんこう)」の趙行徳は、長い自分探しの命を懸けた年月の末に、最後になって生きる意味を見出します。偶然に偶然が重なり、滅び行く敦煌の寺院に蓄えられた貴重な経典は秘蔵されて、数百年後に人類の宝として脚光を浴びる日を迎えます。さすがに話が出来過ぎている感はありますが、こんな偶然でもなければ、貴重な資料なんか残らないでしょうね。私は「闘牛」や「氷壁」から入ったので、「敦煌」の方が「天平の甍」ほど人物もストーリーも枯れてなくて、こちらの方が井上さんらしいなという気がします。