アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ノーホエア・マン

2005-10-24 08:39:31 | 
『ノーホエア・マン』 アレクサンダル・ヘモン   ☆☆☆

 本日読了。書店でパッとページを開いて文章を読んでみて、面白そうだったので買った。かなり評価の高い作家さんのようだし、うまいなとも思ったが、読み終わってみると残念ながら好みではなかった。

 物語の発端は、職を探している「私」が面接先の語学学校で偶然、子供の頃に知っていたヨーゼフ・プローネクという人物を見る。「私」は彼に負い目があるので声をかけないが、どうやら向こうも「私」に気づいたようだ。
 ということで次章に続き、これから「私」とプローネクの確執が繰り広げられるのかと思いきや、次章では時を遡りプローネクの誕生から少年時代の話になる。基本的にこの小説は、プローネクというサラエヴォ生まれの男の人生を辿る小説なのである。プローネクはビートルズに熱中してバンドを組み、軍隊に行き、詩を書き、共産党学校の寮に入り、ガールフレンドを作り、探偵の仕事をしたりグリーンピースの仕事をしたりする。人生について友人と語り、愛を知り、幻滅し、傷ついたり幸福を感じたりする。

 彼の人生の背景には常に政治的な動乱が見え隠れする。最初の章でのナチスへの言及に始まり、ボスニア紛争や第二次世界大戦。帯の賛辞(『オブザーバー』)が作者をミラン・クンデラに比較しているが、そういう意味では確かにクンデラの小説とちょっと似たところもあるかも知れない。作者もサラエヴォの人で、紛争のせいでアメリカに残ることを選んだ人らしいので、かなり自伝的な要素が入っているに違いない。

 こうして小説はプローネクの人生を辿っていくが、淡々とストレートに展開するのではなくわりと屈折した仕掛けを施されている。まず章と章の間が大きなギャップがある。まったく別の状況に話が飛ぶのだが、その間の説明はない。最初の章で「私」が語学学校でプローネクを見かけるところから小説は始まったが、結局その続きが語られることはない。
 それから、最初の章を含めいくつかの章では「私」という語り手が登場する。私の素性がはっきりしている場合もあるが、大抵の場合「私」は誰かが良く分からない。最初は私の読み方がいい加減だからかと思ったが、訳者あとがきを読むとどうやら意図的にそうしてあるらしい。
 そして最後の章。キャプテン・ピックというスパイの暗躍ぶりがエッセー風に描かれるが、その中にヨーゼフ・プローネクをはじめ、それまでの物語に出てきた登場人物の名前がいくつも出てくる。それまでの物語とは結びつかない文脈で、である。
 最初はこの最終章が本篇とどういう関係にあるのか、例えば本篇と最終章はパラレル・ワールド的関係にあるのか、あるいは本篇はすべて虚構中の虚構だったということが最終章で明かされるのか、とか色々考えたがそういうわけではなかった。そういう直接的な関係はないようだ。遊びだと思ってもいいのかも知れない。

 この小説の各章の相互関係がわざと良く分からないようにしてあるところとか、各章のエピソードがきちんと完結しているというより「開かれた」終わり方をしてるところとか、なかなかに一筋縄ではいかない作家さんのようである。知的で辛辣な、確信に満ちた文体からもそれを感じることができる。

 という風に、手法的には大変面白い作家さんなのだが、肝心の話の中身が私には面白くなかった。それが点が低い原因である。

 サラエヴォ生まれの主人公が歴史の波に翻弄されつつ、人生や愛について学び、傷つき、懸命に生きていく。純文学の王道ともいえるプロットである。あちこちで人生に関する感慨に出会える。初めて女の子を愛した時のこととか、大事な人をなくした時のこととか、世界への幻滅とか。そういうことを巧みに描き出してあるとは思う。でも個人的には、もうあんまりそういうのを読書には求めていないのである、特に最近は。そういう感慨なら自分の人生にもあるし、自分の人生だけで充分だし、そもそもこういうことって本で読むものではなくて実人生で感じるべきものじゃないだろうか。まだ本格的に人生に乗り出していない10代、20代の青少年ならまだしも、手にあまるほどの思い出を溜め込んでしまって、今も現実と格闘しているいい大人が、読書してまで他人の人生の感慨につきあっていられないと思うのだが、どうか。

 じゃお前を何を読書に求めているのだと言われそうだが、それは自分の人生とはかけ離れたドラマであったり現実を超越した夢であったり言語のオブジェであったり眩暈だったり迷宮だったりする。人生の感慨であってもいいのだが、詩的に変容された感慨であって欲しかったりする。まあそのあたりは趣味の問題になってくる。だからこの評価は極めて個人的なものである、はっきり言って。きっと普通の評価基準でいけばいい小説なんだろう。

 私は昔から恋愛小説はほとんど読む気がせず、読んだこともあまりない。たまに読むと馬鹿馬鹿しくなってくる。恋愛はするものであって読むものではないと思うからだが、それと同じような空しさをこの種の文学にも感じてしまう。わざわざ時間をさいて他人の身の上話を聞いてあげてるような感覚である。

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