アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

自己ベスト

2005-06-18 13:04:10 | 音楽
 オフコースに続き、小田和正のソロについて。

『自己ベスト』 小田和正   ☆☆☆

 『キラキラ』『ラブストーリーは突然に』などの小田和正の一般認知度を上げたタイアップ曲、『woh woh』『風のように』などソロキャリアにおける重要曲、そして『さよなら』『Yes-No』などオフコース時代のセルフ・カヴァー、を含むベスト。Amazonのレビューを見ると賛否両論真っ二つで、そのほとんどはオフコース曲のセルフ・カヴァーの是非をめぐる議論である。
 中にはアーティストが自分のベストを選ぶのがけしからんという人もいるようだが、それは無茶な言い草だ。自選短編集なんて作家は良くやるし、坂本龍一監修のYMOベストだって出ている。本人の愛着が一般評価と違っていて意外に面白かったりする。一旦世に出た作品の価値はみんなで決めていくものなんだから、作者のベストだからと言って特別視する必要もない。

 オフコース楽曲のセルフ・カヴァーには小田和正もかなり意欲的に取り組んでいるが、否定派と肯定派それぞれの意見を聞くとなかなか面白い。私自身の意見としては、まずセルフ・カヴァーすることに問題はない。これは当たり前だと思う、誰だってやってるし、他人の曲のカヴァーやるのと原則同じだ。昔の作品を抹殺して改変したものだけ残すなんてのは問題だが、別バージョンの追加である。どんな芸術にもつきものだ。問題はそれで良いものができるかどうかに尽きる。良ければ誉められるし、悪ければけなされる。そしてその際にオリジナルと比べられるのは仕方がない。
 残念ながら小田和正の一連のセルフ・カヴァーについては、あまり良い出来とは思えない。曲にもよるが、オフコース・バージョンを上回るものはほとんどない。従って私は否定派の意見に共感するが、それに対する肯定派の反論を検証してみる。

1.そんなにオリジナルがいいならオリジナルだけ聴いてりゃいいじゃないか。文句を言う必要はない。
2.昔と比べてどうこう言う人がいるが、昔と同じなら進歩がないだろう。
3.過去にとらわれるな。
4.これはこれで良いと思う。

1は論外。作品を出したからには批評をされるのは当然、カヴァーだったらオリジナルと比べられるのは当然。批評をするなと言っているに等しい。

2は論点がずれている。カヴァーをやるからには変わるのが前提で、昔とまったく同じにやったら単なる再録だ。否定派は昔と違うからいかんと言っているのではなく、昔より劣ると言っている。

3も論点のスリカエだ。昔のイメージを壊されたくないからどんなものでもリメークは認めん、という人にならこれでいいが、みんなは昔より劣るのが問題と言っているのだ。昔と同等かそれ以上の良いリメークなら文句は出ない。従って過去にとらわれているわけじゃない。クオリティの問題だ。

4は問題ない、否定派がカヴァーの出来が悪いと言っているのに対し、この人は出来が良いと思ってるというだけのこと。しかし、「これはこれで」というニュアンスがあると気になる。「あれはあれでいいじゃん、これはこれでいいじゃん」というだけなら、批評放棄であり、無気力な相対主義だ。

 一般にカヴァーやリメークについて評価する時、オリジナルと比較すべきではない、という意見の人々がいる。私は比較しない方がおかしいと思う。単体の作品だって他と比較され影響やら何やら論じられるのだから、カヴァーやリメークならオリジナルと比較されるのは当然だ。そもそもカヴァーやリメークという行為には必ずオリジナル作品への批評や解釈が含まれるのだから、視聴者や読者がそれを読み取ろうとするのは正当な態度だし、それがカヴァーやリメークの面白さの一つでもある。他の作品との関係性も芸術作品の価値の一つなのである。

 本作のセルフ・カヴァー作品中最も出来が悪いのは間違いなく『愛を止めないで』である。誰が弾いたのか知らないが、あの子供向けアニメのBGMみたいなギターのフレーズと小ざかしいアレンジが、美しいコード進行を持った曲をぶち壊している。オルガンから始まるオフコース・オリジナルにはどこか賛美歌的なところがあり、ディストーションギターとの対比がドラマ性を醸し出していたが、能天気な新バージョンにはそのような陰影は微塵もない。
 否定的意見の多い『さよなら』はそれほど悪いとは思わない。原曲とかけ離れたアプローチになっているので直接の比較が難しいこともあるが、小田の歌唱力は昔よりアップグレードしているため、静かなアレンジが歌唱力を引き立てている。サビの「さよなら~」の部分は譜割りが違うのでみんな違和感を持つらしいが、ビートが弱い今回の演奏にはむしろこちらの方が合うと思う。
 『Yes-No』は明らかに原曲より劣ってしまった。もともと何も足せない、何も引けない状態の曲なのだ。あの凛とした気品を支えていたストイックなアレンジが失われ、華美できらびやかだけど弛緩したアレンジに取って代わられてしまった。もう一つの『ラブストーリーは突然に』と化している。いっそレゲエにしてしまえば良かったのに。
 『秋の気配』も例によって職人仕事的なアレンジだ。単調な打ち込みビートが味気ない。
 『言葉にできない』はピアノとストリングスによる生々しいアレンジで圧倒的な歌唱を聞かせ、原曲に勝るとも劣らないインパクトを生み出している。ただしこれはセルフ・カヴァーというよりライブバージョンというべきだろう。
 『緑の日々』も装飾の多い凡庸なアレンジで、原曲の透明なロマンティシズムが損なわれている。思うのだが、どうして最近の小田和正はどの曲でも「パッパラパー」というあの画一的なシンセサイザーによるブラスの音を使ってしまうのだろう。まるで金太郎飴だ。
  
 小田のソロ作品全般(特に最近の)に感じるのだが、アレンジの手法が全部同じで、しかもあまりセンスが良くない。華美で、装飾が多く、甘ったるく、弛緩している。『ラブストーリーは突然に』あたりのアレンジが自動的にデフォルトと化している印象がある。シャープさに欠け、もったりしている。確かに耳障りは良い。プロの職人芸としては完成の域かも知れないが、音楽的迫力はゼロだ。手馴れた無難なアレンジでテレビドラマの主題歌には向いていても、音楽性としては保守的の極みで面白みはない。オフコース楽曲の、特に『We are』の頃の研ぎ澄まされたシンプルさにはとても太刀打ちできない。
 そんなの全部好みの問題だ、オリジナルとリメークの優劣なんてつけられない、という人にはこう言っておくしかない。どちらのクオリティが上かは、『We are』と『自己ベスト』あるいはLooking Backシリーズのどちらが長く生き残っていくかによって証明されるだろう。

 長々とセルフ・カヴァーについて文句を言ったが、小田和正の歌唱力は確実に強化され、もはや圧倒的な域に達している。ここまで歌える日本人ヴォーカリストが他にいるだろうか。だからもっと装飾を排したアレンジに戻って欲しい。シンプルな演奏の『言葉にできない』が最も説得力を持ってしまう意味を考えてみて欲しい。


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