『真夏の方程式』 西谷弘監督 ☆☆☆★
日系ビデオ屋のレンタルDVDで再見。ご存知、福山雅治主演のガリレオ・シリーズである。東野圭吾の原作は既読。
割と最近の映画だった気がしていたが、2013年公開なのでもう5年前ということになる。月日のたつのははやいものです。ガリレオ・シリーズの映画としては『容疑者Xの献身』に続く二作目ということになる。『容疑者X』が都会の冬を舞台にした映画だったのに対し、こちらは夏の海辺。またガラッと違う雰囲気が楽しめる。ガリレオこと湯川先生は、出張先で事件に遭遇する設定だ。
結論から先に言ってしまうと、総合的な映画の面白さは『容疑者X』より落ちる。あちらは堤真一の「数学の天才だがイケてない中年男」の怪演に加え、「殺人の日付をずらす」というとんでもない大技があった。一方、こちらは単なる物理トリックで、事件の背後にある人間ドラマはこのところ東野圭吾が乱発気味の、家族内の出生の秘密を絡めた葛藤のドラマ。最後に親子愛をネタにしたお涙頂戴シーンが出てくるのも、完全にお約束だ。エンタメとしては手堅いとも言えるが、既視感バリバリである。
だからミステリ映画としては小粒で、テレビの二時間ドラマ的と言われてもしかたないが、実は私はこの映画がそれほど嫌いじゃない。この雰囲気というか、たたずまいは悪くないと思う。まず、夏の海がきれいで、華やかで、日焼けした杏がスキューバやったりする絵はリゾート感たっぷりだし、そこにクールでぶっきらぼうな湯川がやってくるという図がなかなか楽しい。海辺だからってアロハシャツ着たりバミューダ穿いたりしないところがいいね。
舞台となる海辺の町も派手過ぎず地味過ぎず、適度にひなびた感じがあって心地よい。あの気難しい湯川がたびたびタクシー待ちさせられたりするのも楽しい。湯川が泊まる旅館・緑岩荘もちょうどいいリアル感だ。ゴージャスな高級ホテルやリゾート地じゃないところがいい。夏休みに海辺の町に旅行している気分が味わえる。それに、リゾート地で殺人が起きるのはクリスティー以来、本格ミステリの黄金パターンである。
事件そのものは、緑岩荘にひとりで泊まっていた元刑事(塩見三省)が事故に見せかけて殺される、というもの。非常に地味である。殺されるに至ったなりゆきにもあんまり必然性が感じられない。あの場合、別に殺す必要はないだろう。死因は一酸化炭素中毒で、トリックもすぐ湯川に見破られてしまう。推理のプロセスというようなものも特にない。だからミステリとしては凡作だと思う。
しかし本作の長所は、なんといっても湯川と少年の交流部分にある。おそらく本作を見た観客すべての記憶に刻み込まれるのは、あの、湯川と少年が海辺の突堤から何度も何度もペットボトルのロケットを飛ばし、携帯電話のカメラで美しい海中の光景を眺めるシーンである。この映画の中でもっとも夏休み感満点でいい感じというだけでなく、シークエンスの流れも見事だ。まず観客には湯川が少年に海の中を見せようとしているらしいことは分かるが、どうやってかは分からない。少年の携帯が鳴り始めても、多分まだ分からない。「よし、電話に出ろ」この湯川の一言の後、少年がわけもわからず電話を取ると、携帯画面に海中の絶景が映し出される。タネは大したことないが、この意外性と少年が上げる歓声、そこにそれまでの二人の苦労がないまぜになって、とても爽快で感動的なシーンになっている。
更に言えば、一見本筋の殺人事件と関係ないように見えるこのエピソードこそが、実はこの物語のコアなのだ。殺人の(大した驚きはない)真相は解明され、その(あまり必然性があるとは思えない)哀しい動機も明かされる。最後に残るのは、少年がいつか自分の、それと知らずにとってしまった行動によって苦しむだろうという予見である。早くから湯川が呟く「一人の人間の人生を歪めてしまう危険性がある」とのセリフは、これが本件最大の問題であることを示している。
いつか必ずやってくる少年の苦悩と葛藤は、もはや避けられない。しかし、それに対処する方法を教えることはできる。そして湯川はそれをやったのである。まず、すべてを知って判断することが大事。冒頭の資源開発問題の討論会から湯川が繰り返し口にするこのメッセージが、最後にきわめて重要な形でこの問題と結びつく。湯川は成実(杏)に言う、将来彼が君のところへ来て真相を教えてくれと言ったら、何も隠さずに話してあげて欲しいと。
そしてすべてを知った上で正しく判断するためには、仮説を立てて検証を繰り返す方法論と根気が必要だ。だから湯川は科学者として、自分が信じる「人生の困難と問題に立ち向かう方法」を身をもって少年に教えた。それが、あのペットボトル打ち上げシーンの意味なのである。もちろん、あの時点で湯川はまだ事件を真相を知らない。だから彼は単に、子供にはこういうことを教えておくべきだという信念に沿ってそうしたに過ぎない。しかし、それが最後になって大きな意味、つまり少年の人生を救えるか否かという意味を持ってくる。あのシーンに込められたメッセージこそが、この物語を貫くもっとも重要な主題だったのだ。
少年は湯川に会った当初、「理科なんて勉強する意味が分からない。だって実際の生活で何の役にも立たないから」とこぼす。「聞き捨てならないな」と湯川は返し、あのロケット打ち上げシーンにつながるわけだが、「泳いで行けない」「船に乗れない」からサンゴ礁を眺めることを諦めていた少年は、湯川が仮説を立て、根気よく実験を繰り返すことで問題を解決したことを一生忘れないだろう。そして今後の人生でどんな困難にぶちあたっても、あの時の湯川の行動がそれを「解決可能」だと教えるだろう。
この主題は、先にも書いたように冒頭の海底資源開発計画の説明会での議論や、居酒屋での湯川と成実の会話など、この映画を一貫して流れている。見方によっては今回の殺人事件を引き起こしたのも、川畑家の人々がそれぞれ隠し事をし、家族に「すべてを知って判断する」ことを許さなかった結果とも言える。そういう意味で、この映画はトリックのつまらなさやお涙頂戴の凡庸さはあっても、もっとも大事な芯の部分がブレていない。だから、小粒でも爽やかなのだと思う。
とはいえ、娘がいる父親がこれを見たら多分メッチャ泣けるんだろう。なんせ、前田吟と白竜という二人の父親それぞれに泣けるシーンが用意されている。父親の皆さん、気持ちよく泣いて下さい。
日系ビデオ屋のレンタルDVDで再見。ご存知、福山雅治主演のガリレオ・シリーズである。東野圭吾の原作は既読。
割と最近の映画だった気がしていたが、2013年公開なのでもう5年前ということになる。月日のたつのははやいものです。ガリレオ・シリーズの映画としては『容疑者Xの献身』に続く二作目ということになる。『容疑者X』が都会の冬を舞台にした映画だったのに対し、こちらは夏の海辺。またガラッと違う雰囲気が楽しめる。ガリレオこと湯川先生は、出張先で事件に遭遇する設定だ。
結論から先に言ってしまうと、総合的な映画の面白さは『容疑者X』より落ちる。あちらは堤真一の「数学の天才だがイケてない中年男」の怪演に加え、「殺人の日付をずらす」というとんでもない大技があった。一方、こちらは単なる物理トリックで、事件の背後にある人間ドラマはこのところ東野圭吾が乱発気味の、家族内の出生の秘密を絡めた葛藤のドラマ。最後に親子愛をネタにしたお涙頂戴シーンが出てくるのも、完全にお約束だ。エンタメとしては手堅いとも言えるが、既視感バリバリである。
だからミステリ映画としては小粒で、テレビの二時間ドラマ的と言われてもしかたないが、実は私はこの映画がそれほど嫌いじゃない。この雰囲気というか、たたずまいは悪くないと思う。まず、夏の海がきれいで、華やかで、日焼けした杏がスキューバやったりする絵はリゾート感たっぷりだし、そこにクールでぶっきらぼうな湯川がやってくるという図がなかなか楽しい。海辺だからってアロハシャツ着たりバミューダ穿いたりしないところがいいね。
舞台となる海辺の町も派手過ぎず地味過ぎず、適度にひなびた感じがあって心地よい。あの気難しい湯川がたびたびタクシー待ちさせられたりするのも楽しい。湯川が泊まる旅館・緑岩荘もちょうどいいリアル感だ。ゴージャスな高級ホテルやリゾート地じゃないところがいい。夏休みに海辺の町に旅行している気分が味わえる。それに、リゾート地で殺人が起きるのはクリスティー以来、本格ミステリの黄金パターンである。
事件そのものは、緑岩荘にひとりで泊まっていた元刑事(塩見三省)が事故に見せかけて殺される、というもの。非常に地味である。殺されるに至ったなりゆきにもあんまり必然性が感じられない。あの場合、別に殺す必要はないだろう。死因は一酸化炭素中毒で、トリックもすぐ湯川に見破られてしまう。推理のプロセスというようなものも特にない。だからミステリとしては凡作だと思う。
しかし本作の長所は、なんといっても湯川と少年の交流部分にある。おそらく本作を見た観客すべての記憶に刻み込まれるのは、あの、湯川と少年が海辺の突堤から何度も何度もペットボトルのロケットを飛ばし、携帯電話のカメラで美しい海中の光景を眺めるシーンである。この映画の中でもっとも夏休み感満点でいい感じというだけでなく、シークエンスの流れも見事だ。まず観客には湯川が少年に海の中を見せようとしているらしいことは分かるが、どうやってかは分からない。少年の携帯が鳴り始めても、多分まだ分からない。「よし、電話に出ろ」この湯川の一言の後、少年がわけもわからず電話を取ると、携帯画面に海中の絶景が映し出される。タネは大したことないが、この意外性と少年が上げる歓声、そこにそれまでの二人の苦労がないまぜになって、とても爽快で感動的なシーンになっている。
更に言えば、一見本筋の殺人事件と関係ないように見えるこのエピソードこそが、実はこの物語のコアなのだ。殺人の(大した驚きはない)真相は解明され、その(あまり必然性があるとは思えない)哀しい動機も明かされる。最後に残るのは、少年がいつか自分の、それと知らずにとってしまった行動によって苦しむだろうという予見である。早くから湯川が呟く「一人の人間の人生を歪めてしまう危険性がある」とのセリフは、これが本件最大の問題であることを示している。
いつか必ずやってくる少年の苦悩と葛藤は、もはや避けられない。しかし、それに対処する方法を教えることはできる。そして湯川はそれをやったのである。まず、すべてを知って判断することが大事。冒頭の資源開発問題の討論会から湯川が繰り返し口にするこのメッセージが、最後にきわめて重要な形でこの問題と結びつく。湯川は成実(杏)に言う、将来彼が君のところへ来て真相を教えてくれと言ったら、何も隠さずに話してあげて欲しいと。
そしてすべてを知った上で正しく判断するためには、仮説を立てて検証を繰り返す方法論と根気が必要だ。だから湯川は科学者として、自分が信じる「人生の困難と問題に立ち向かう方法」を身をもって少年に教えた。それが、あのペットボトル打ち上げシーンの意味なのである。もちろん、あの時点で湯川はまだ事件を真相を知らない。だから彼は単に、子供にはこういうことを教えておくべきだという信念に沿ってそうしたに過ぎない。しかし、それが最後になって大きな意味、つまり少年の人生を救えるか否かという意味を持ってくる。あのシーンに込められたメッセージこそが、この物語を貫くもっとも重要な主題だったのだ。
少年は湯川に会った当初、「理科なんて勉強する意味が分からない。だって実際の生活で何の役にも立たないから」とこぼす。「聞き捨てならないな」と湯川は返し、あのロケット打ち上げシーンにつながるわけだが、「泳いで行けない」「船に乗れない」からサンゴ礁を眺めることを諦めていた少年は、湯川が仮説を立て、根気よく実験を繰り返すことで問題を解決したことを一生忘れないだろう。そして今後の人生でどんな困難にぶちあたっても、あの時の湯川の行動がそれを「解決可能」だと教えるだろう。
この主題は、先にも書いたように冒頭の海底資源開発計画の説明会での議論や、居酒屋での湯川と成実の会話など、この映画を一貫して流れている。見方によっては今回の殺人事件を引き起こしたのも、川畑家の人々がそれぞれ隠し事をし、家族に「すべてを知って判断する」ことを許さなかった結果とも言える。そういう意味で、この映画はトリックのつまらなさやお涙頂戴の凡庸さはあっても、もっとも大事な芯の部分がブレていない。だから、小粒でも爽やかなのだと思う。
とはいえ、娘がいる父親がこれを見たら多分メッチャ泣けるんだろう。なんせ、前田吟と白竜という二人の父親それぞれに泣けるシーンが用意されている。父親の皆さん、気持ちよく泣いて下さい。
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