アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

We are

2005-06-17 12:00:48 | 音楽
今日はCDラックの中から適当に選んでレビューします。

『We are』 オフコース   ☆☆☆☆
 
 オフコースの最高傑作といえば大抵の人はこれを上げるだろう。私もこれが一番だと思う。彼らの音楽的な絶頂期が『We Are』『Over』『I Love You』の三部作期にあることは間違いなく、『Over』と『I love You』も名曲を多数含む傑作だが、僅差で『We Are』が勝る。
 なぜかというと、まずメンバー間の協調作業(特に小田和正と鈴木康博)に欠ける『I Love You』がまずまとまりの面で劣る。『Over』は『We Are』に比べると曲やアレンジの感傷性がやや強く、微妙に大仰なアレンジになっているので落ちる。例えば松尾の『僕のいいたいこと』の大仰さはまるでいただけないし、アルバムのハイライトというべき小田ナンバー『言葉にできない』『心はなれて』もいい曲だがちょっと感傷的なきらいがある。そんなことはない、という人はウォークマンに入れて繰り返し聴いてみるといい。『We Are』楽曲(『時に愛は』『きかせて』『Yes-No』等)に比べ、『言葉にできない』『心はなれて』の方が胸にもたれてくるのが速い(あくまで比較すればの話で、この二曲も名曲には違いありません、念の為)。
 楽曲の全体的なレベルも『We Are』の方が高い。例えば松尾和彦の曲を取ってみると、『Over』の重苦しくセンチメンタルな『僕のいいたいこと』と『We Are』の軽やかな『せつなくて』では後者の方が断然いい。(個人的には『Over』のベストチューンは『哀しいくらい』だと思う。『Yes-No』に匹敵する名曲だ)

 『We Are』の印象を決定づけているのは冒頭『時に愛は』とエンディング『きかせて』だと思う。『Over』の収録曲があたたかい感じのものが多いのに対し、『We Are』はひんやりした感じがする。一切の無駄を殺ぎ落としたストイックな曲の数々は硬い水晶のようで、このピュアネスこそがこの時期のオフコースの魅力だ。『Over』には入っているストリングスも(鈴木の『いくつもの星の下で』を除いて)『We Are』にはなく、ギターと控えめなキーボードによるキチキチに抑制されたアレンジになっている。
 小田楽曲はすべて傑作だが、中でも『Yes-No』『私の願い』『きかせて』が特に素晴らしい。それぞれの曲調がまったく異なるのも良い。ラストの『きかせて』の分厚いバッキングコーラスはオフコース史上最高の美しさである。ちなみに小田和正の『風のように歌が流れていた』の中で鈴木雅之が『私の願い』を聞いて涙が出たと言っていた。

 それで思い出したが、たけしが前DJをしていた時に毎週ラジオでヒット曲をかけていた、売れている曲は毎回聴くのでどんないい曲でも飽きてくるが、『Yes-No』は何回聴いても飽きない、こいつらひょっとして天才じゃねえかと思ったとどこかに書いていた。

 この頃のオフコースの、時に小田和正の曲が放つオーラは特殊なものがあったと思う。曲の良さ、ハイトーンヴォイスの魅力、研ぎ澄まされたアレンジのシンプルな美しさ。『We Are』にはその魅力が最も凝縮された形で詰まっている。実際ここでのストイックさというか抑制というのはハンパじゃなく、『Yes-No』のフリューゲルホーンによる美しいイントロがばっさりカットされたぐらいだ。ファンの要望で『セレクション』では復活したらしいが、メンバーはあれを余計だと思ったのだろうか。

 前にも書いた通り、これほどの抑制を可能にしたバンドの集中力は『We Are』がピークで、次の『Over』ではやや弛緩することになる。鈴木康博が脱退宣言をしたのがいつのことかよく知らないが、『We Are』完成後だとしたらそれが理由とも考えられる。それにしても、オフコースといえば小田和正のバンドと見られがちだが、この頃のオフコースと4人になったオフコースの違いを見ると鈴木康博の存在も意外に大きかったのかもと思えてくる。『時に愛は』や『きかせて』で聴けるようなギターサウンドは4人オフコースではぱったり聴けなくなり、それに伴ってサウンド全体の印象も変わってくる。ラリー・カールトンが好きだったという鈴木のセンスが、『We Are』の抑制されたサウンドに大きく貢献していたというのは考えられることだ。そう仮定すると、最高のオフコース・サウンドは小田楽曲と鈴木のサウンド・プロダクションが結びついて生まれていたことになり、セカンドマンに降格された鈴木が脱退してしまったのは皮肉な成り行きだったわけだ。しかし残念なことに、鈴木が書く曲は小田楽曲ほどのポピュラリティを獲得することがどうしてもできなかった。

 まあこれも鈴木が『We Are』のサウンド面でどこまで発言権を持っていたかによるわけで、本当は誰のサウンド・プロダクションということもなく、みんなでワイワイやってる中の化学作用で生まれただけかも知れない。バンドのケミストリーというのは本当に不思議だからなあ。

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