アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ヴァリス

2007-04-22 11:59:07 | 
『ヴァリス』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆☆

 『アルベマス』を読んだので『ヴァリス』を読みたくなり再読。ものすごく久しぶりに読んだ。昔読んだ時はわけわからなかったが今読めばまた違うんじゃないかという期待感があり、実際に多少は違っていたけれども、例の「釈義」はやっぱり今読んでもわけわからなかった。これは仕方ないな、もう。宗教の知識がないと駄目だ。

 ちなみに私が持ってるのはサンリオ文庫版。貴重だ。

 当然ながらエピソードは『アルベマス』と共通するものが多い。ピンク色を光線を受けたり頭の中で抽象画を見たりする神秘体験の部分、ダイレクトメールのチラシに名前が書かれているエピソード、魚のペンダントをつけた女の訪問、などなど。けれども構成や雰囲気、それから叙述の手法が大きく違い、そのせいで全体の印象はかなり違う。『アルベマス』は一応トラディショナルなSF物語の範疇内だったが、『ヴァリス』はそこから大きく逸脱している。
 
 まずいきなり特徴的なのは叙述法で、まるでエッセイのように時系列を無視してあっちこっちへ飛んだり戻ったりする。小説はグロリアの自殺願望エピソードから始まるが、グロリアがファットに電話をかけてきた話、グロリアが自殺した後の話、後年のファットの自殺未遂の話、などあちこちさまよった後、また電話がかかってきた日に戻る。確かディックは短篇集の序文を書いている時にこの手法に気づき、「これで長編が書けるな」と思った、みたいなことをどこかに書いていたが、確かにそれまでのパルプSF的叙述法とはまったく異なり、これが非常に大きな効果を上げている。雰囲気は大分違うが、ガルシア=マルケスが使う時空を越えた語りに共通するものがある。

 それから本書の大きな仕掛けであるところの、ファット=フィル(作者)の一人称と三人称混在。これがすごい。「ファットは…」という三人称で語られていたと思ったら、いきなり「私はホースラヴァー・ファットである」となる。客観性を維持するため、これを三人称で書いている、というからへーそうかと思っていると、やがてファットと私(フィル)が会話を始めたりする。私(フィル)とファットが同一人物になったり別人になったりするのである。もちろん読者は混乱する。フィルは「信頼できない語り手」となり、物語は多義性を帯びる。そしてこのファット=フィルの分離と合体が語りの技法にとどまらずプロットの上でも意味を持ってくるに至り、読者は完全にディック的めまいの中へ放り込まれることになる。素晴らしい。カフカやボルヘスとも比較されるディックの真骨頂である。

 完全に個人的な感想を言わせてもらえば、序盤は素晴らしく面白い。グロリアの話(ファットの目の前で彼女は透明になっていく)、ファットの自殺未遂、ファットがヤクの売人である女の子からもらった壷の中に神を見るエピソードなど、これらがエッセー的な自在なテキストで淡々と語られる序盤は、おそらくディックが書いた最高の散文の一つであると思う。しかしファットの神秘体験が始まり、釈義が語られるようになると、作品の主眼がPKDカルト神学に移行し、私のような宗教理論にうとい人間にはわけわからなくなってくる。
 訳者の大瀧氏によると、「本書においてディックはわけのわからないことを一言も記していない」そうなので、これは私の教養のなさがいかんのだろう。宇宙を創造した神は実は最上位の神ではなかったとか、帝国がどうとかグノーシス主義がどうとか、そういうややこしい話になってくる。大瀧氏は巻末の膨大な注釈の中で、聖ソフィア=キリストの等式にディックは絶妙な修正を加えた、それはベーメ的修正である、などと解説を加えている。ついていけない。こういうのについていける人にとっては、おそらくPKDカルト大爆発の後半部分は面白くてたまらないのかも知れない。

 作中、ファットと友人達は映画「VALIS」を見に行くが、この映画の中に『アルベマス』のプロットが歪んだ形で利用され、ニコラス・ブレイディやフェリス・フレマントが登場する。しかし本編の方にはフレマントのような分かりやすい「巨大な悪」は登場せず、ファット=フィルの神秘体験、この二人の分裂と合体、そして映画を通して仲間を見つけようとする<救済者>を囲むグループとの接触がメインのプロットとなっている。そういう意味では『アルベマス』にはかろうじてあったSF冒険もの的体裁はすっかりなくなり、より純文学的である。

 宗教知識がない私としては、序盤のグロリアやシェリーの話のようにプロットを転がしつつ、ファットの異様な神秘体験を絡めてくれたら最高だったと思ってしまうが、まあそれは本書の真価が分かっていないということなのだろう。とにかくカルトとしかいいようがない小説だ。


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