アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

巨船ベラス・レトラス

2008-06-14 23:34:27 | 
『巨船ベラス・レトラス』 筒井康隆   ☆☆☆☆

 『ダンシング・ヴァニティ』を読んだら読み返したくなって再読。初回一気読みしたせいか印象が薄かったが、今回もまた一気読みしてしまった。筒井康隆の小説にしてはかなり読みやすい部類だ。

 本書は『ダンシング・ヴァニティ』のような純粋に文学的、審美的作品ではなく、かつての『大いなる助走』のような批評的作品といっていいと思う。批評の対象となっているのは現代の文学状況である。登場人物たちは作家をはじめみんな文壇関係者ばかりで、彼らがテロにあったり作品を書いたり、議論したり編集者ともめたりする日常がまず描かれる。ベラス・レトラスというのは文芸雑誌だが、この雑誌に原稿を書こうとすると作家達は革新的、前衛的なものを書かねばならないというプレッシャーを感じ、気分がどんよりしてわけのわからないものを書いてしまう。本書にはこのベラス・レトラスにある作家が掲載している「山びらき」という小説、それから別の作家が書く「アルカイダの日日」という小説も小説内小説としてさわりだけ読めるが、特に「アルカイダの日日」はドタバタ調でとてもおかしい。アルカイダがテロ予告をしたビルに勤める臆病な会社員の話だ。

 やがて登場人物たちはみんな時々船にのっているような錯覚に襲われるようになり、船と現実世界を行き来するようになる。これがすなわち巨船ベラス・レトラスである。終盤ではもはや完全に舞台は船の中に移り、そこでは作家の作中人物が現れたり、心に思い浮かべた人物が実体化したりというメタフィクションが全開になる。と同時に現在の文学状況への批判も全開になり、登場人物たちは新書版ノベルズのレベルの低さ、賞を取ってデビューしたはいいが後が続かない「ホラー浪人」、小説の基礎教養のない作家の出現、文学の「構造的衰退」、文学的ミームの意義、などなどについて議論を戦わせる。これらの議論を読むと筒井康隆がいかに現在の文学状況、出版状況に差し迫った危機感を抱いているかが如実に伝わってきて、こっちまで暗澹とした気分になる。しかし新書版ノベルズってどんなのか知らないが、そんなにひどいのだろうか。

 しまいには筒井康隆本人が「作者」として小説内に登場する。作中人物になぜ出てきたのかと問われ、筒井康隆が延々と喋りだすのは、なんと勝手に短編集を出版されて弁護士を立てて争っているという実話である。出版社は北宋社、社長は渡辺誠という人物。著作権違反の出版物の名前は『筒井康隆<食小説集>満腹亭へようこそ』。筒井康隆はこの事件の経緯を詳細に語り、最後に「…公に北宋社と渡辺誠を弾劾することにした。そして今、それを実行している」つまりこれは完全に現実の復讐行為であり、名指しの非難なのである。これには笑った。もちろんいい意味で。つまり著作権侵害の実名批判をあっけらかんと小説内に持ち込み、文学状況批判というテーマと関連付け、かつメタフィクションとして成立させるという筒井康隆ならではの力技に爽快な笑いを誘われたのである。これで渡辺誠の著作権侵害はこの小説が読まれる限り、際限なく読書人たちに周知されていくことになったわけだ。しかしこの渡辺誠氏、その後どうしたのだろう。

 他のエピソードも無礼な社員に作家が茫然とする話とか、『めくら』という言葉に過剰反応して子供を叱る母親に盲目の詩人が語りかける話とか、作者が常日頃感じていることや体験から生み出されたエピソードと思われるものがメインになっている。改行だけで唐突に場面転換する手法が群像劇を自在にコントロールし、軽いドタバタ調のエピソードは断片的ながらエンターテインメント的なリーダビリティも充分だ。そしてなんといっても、登場人物たちがみな「巨船に乗っている」という仕掛けが見事である。


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