昨朝城南のセマウル中央研修院を訪ねて行ったが正門で外人には公開しないと断わられたが事情を説明し、歴史館の展示室を開けてもらい観ることができた。朴大統領のセマウル運動の状況を見た。1981年に以前の場所の同研修院で教育を受けたことを想起した。
急いでホテルに戻り産経新聞の元支局長の黒田勝弘氏と昼食とりながら日韓関係に懸案となっている慰安婦問題などについて談話をした。彼は朴クネ大統領への支持率が維持している点、それは女性大統領の人気の主な要因だといわれた。
続いてソウル大学の李栄勳教授に日帝植民地統治期の経済、近代化について話を聞いた。まず彼は経済史から日本植民地を見るには国史学会の研究者たちから非難されると話を始めた。彼らは収奪論一辺倒で変わることはないだろう。それを肯定的に見るのではなく収奪論の視点を変えることが問題である(嶋)。しかし時代が変わって経済史からは客観的に見る研究が進んでいる。たとえば東国大学の金洛年編『植民地期朝鮮の国民経済計算―1910‐1945』(東京大学出版会2008)によると1941年のGDPと1967年のGDPが同じであり(崔は農村振興運動の成果では?)、むしろ日帝時代より戦後の時代が暗黒時代であるように語った。1900年を前後して日本からの資本流入,近代的な制度の定着によりGDPが上昇し、生活レベルが大きく上がった.。栄養状況も良くなり(原田)人口も増えた。
李氏は戦後の経済発展については朴正煕大統領の近代化政策をとったこと、セマウル運動においては一切政治宣伝的なことをせずもっぱら韓国の近代化、高等教育などに注力したと評価した。李氏は農村振興運動とセマウル運動の差については、前者は村の自主的な共同体とせず上からの行政主導のものであったが、後者は村を単位として自主的に運動を起こす、それが行政的に協力する形のようであったという。特に朴大統領は精神革命、セマウル運動は教育(原田)、工場運動まで起こして経済的な近代化を成し遂げたという。そして韓国経済を大きく成長させた。日本植民地の遺産による成長というより戦後アメリカの主導の政策によるものではないか。安倍政権の地方創生と新女性の活躍(上水流)においても触れられた。
その後植民地翻訳叢書1の『朝鮮の巫覡』の出版自祝賀会として、社長の洪鐘和氏、私と共同翻訳者の朴氏と夕食会を行った。
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