崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

脱稿万歳

2014年10月22日 05時05分59秒 | 旅行
 夏から手直しをした原稿を出版社へ送った。スピードの速さを好んでいる私にとっても思いの外、時間がかかった。慰安婦像を立てることはもうすでに李氏朝鮮時代の「烈女」像から始まったと思われ、まるで性の国策のようなものが、現在に至っていると思われる。朝鮮戦争の記憶から現在の慰安婦まで、性を主題にしている。慰安婦問題には触れているがそのもの自体を問題にしてはいない。しかし、自然に納得するだろうと期待する。
 県立広島大学の原田環先生から慰安婦に関するソウル大学名誉教授の安秉直先生と私の記事のコピーなどを多く送っていただいた。慰安婦たちの証言のインタビューについて週刊誌の記者の記事である。安先生が語り、それがねつ造されたという記事である。政治的と同時に社会的にも微妙な慰安婦問題を正直に語り、それを聞いた記者がどれだけ客観的に書けるかの問題である。5時間もインタビューとメール取材が行われたということ、私も8時間以上インタビューを受けたことから頷ける。その内容を記者がどうまとめるかは記者自身の能力、人格によらざるを得ない。それは日常会話もそうであろう。話をしても相手がどう理解するかは別のものであるからである。
 私も出版予定の書で朝鮮戦争について記憶をたどり語りながら、多くの証言者のことを考えた。記憶自体が正しいと自ら信念をもっていながら都合に合わせて語る部分はないかと常に戒めている。その記憶と戒めをどれほど考えているかによって証言の質は異なると思う。吉田の嘘、朝日の誤報であったことは明らかになって河野談話も政治的な状況で作られ、また政治的な状況を勘案して作成したという事実を知りながらも、このまま継承するということも、政治的なことである。大変恐縮なことであるが、私には非常に高慢な態度が一つある。それは社会は私より正義がないという信念から生じているものである。そしてその社会へ影響を及ぼしたいと思っているのである。