崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ヌードになるかも

2014年10月16日 05時37分13秒 | 旅行
文化人類学の講義に異文化をもって話し、映像を見、コメント書きと発表を行った。裸族と言われる民族の写真と映像によって感想を学生たち(登録人数19人の中12人出席、日本、韓国、中国=漢、ウィグル、ネパール)に求め議論した。「ミニスカートからヌードへ」という私の発題に「そうなるかも」しれないとか、そうなっても「おかしくない」という。銭湯の中では皆全裸になる。その状況は社会生活にも可能であろうか、男性のヌードはいかがだろうかなど私は連続的に疑問を投げた。ギリシャローマ彫刻などでは男性のヌード、絵になると女性のヌードと美術の文化変化なども考えてみた。ここで私のメッセージが登場した。一つを深く吟味するには知識が必要であること。
 なぜ勉強をするのか。学問は辛いだけだろうか。楽しみを求め、広げていくためには知識は必要であろうと学生たちに投げかけた。自給自足の経済生活、生物学的な快楽だけで満足して生きることも悪くはないが、もっと良い生活を求めることはどうであろう。クラシック音楽やポップも騒音にしか感じない人もいる。美しい夕日に感動するにも知識が必要である。酒や喫煙の美味しさを知らない私にある友人は何の楽しみで生きているのかと言った。友だちに言わせると私がスポーツをする趣味を持たないのも楽しみを無くしている部分だという。

帰省客に懐かしい話を

2014年10月15日 05時28分34秒 | 旅行
山口市の大型百貨店井筒屋本店から二人が来られて年末年始にかけての「絵はがきから見る近代山口」展示会について相談した。下関でも中心地でもない新下関まで車で走ってきて、大学に着いた二人の始めの声は「下関は人が多い」であった。私が山口古文書館に行った時、県庁のある「県中心地に人が少ない」と感じたのと逆である。韓国や中国からのお客さんの口から出ることばはやはり「人が少ない」である。中国や韓国では人が多い。人口のアンバランスが実感される。日本は人口が少なく、高齢化して弱小国家になるかと心配するのが今の常識である。しかし人が少ないことは希少価値が高くなること、つまり人権意識が高いことを意味する。戦前日本帝国を弱小国家だと言って弾圧された中江兆民の文を新聞のコラムに書いたことがある。韓国のシャーマンの歌に「江南(中国)は大漢国、我が国(朝鮮)は小漢国」という歌詞がある。つまり歴史的に中国は大国、朝鮮は小国という意識に不満を言う人もいるが私は自然体で受け止めてきた。
 山口市に常住人口は少なくても帰省人口は多いという。当百貨店は年末年始に帰省する県民に見どころとしてサービスするということで展示会を企画したとのことである。私のすることは帰省する人々に懐かしく感じてもらえるよう奉仕することが全てである。下関美術館で行ったものを基にその後に県民から寄贈していただいたものなどを入れて、東亜大学東アジア文化研究所が共催で行うことにした。これから展示については芸術の専門家などの協力を得て展示と説明などに協力することになる。私はできれば会場におり帰省客の懐かしいお話を聞かせていただきたい。ただ会場が自宅から数十キロと遠いのが気になる。
 写真は東大での講演会の記事(「東洋経済日報」2014.10.10)

超ミニ時代

2014年10月14日 05時41分30秒 | 旅行
 
 韓国の新聞を検索しているうちにミニスカート衣装の写真が目に入った。それが日本の産経スポーツからの引用であることを知った。ひざ上約30センチの韓国の女性アーテスト7人組が日本語で「台風の中、来てくれてありがとうございます」と言ったという。私は一生教育者として若い学生たちと生活をしているので学生のファッションには異様な感は比較的に少ない。しかし若者のファッションの変化には驚くほどである。独裁政権の下では交番の警察がミニスカートを検問し、露出度を測るのを目撃したこともある者としては今の超ミニには驚くしかない。この調子で流行すると夏にはヌード族になるかもしれない。
 ヌードで悪いことではない。アマゾンなど熱帯地方では完全ヌードの民族も存在している。数年前中国の南部の西双版納(シーサンバンナ)の少数民族を訪ねた時、そこではお尻を出すのが民俗として知らされた。今のモダンなファッションより先進的なものであろう。私の母の時代には普段はオッパイが見え放題のような服装だったが礼服になると露出度は最小限としていた。いつの間にかブラジャーが現れ、いまのように超ミニ時代になったのは私が長生きし過ぎたのか、時代の変化の激しさであろうか。露出と恥の戦いは今後も続くだろう。


「家門の栄光」

2014年10月13日 05時48分10秒 | 旅行
 下関市美術館で堀晃展を鑑賞した。20数年前銀座の展示会で見て、下関では初めてである。しかしすごく親しさを感じている。画伯は留守で奥さんとは挨拶を交わした。堀晃氏のお母さんを通して情報は十分伝わっていると感じた。肝心なのは絵である。全国的に回り、スケッチをして下関市と奄美大島で作業し国際的にも活躍されている。会場に入った。大作のクジラ(50号)の絵、色彩の美しさと神秘さに圧倒される。彼の生まれ育った海岸村の湯玉を想起したがもっともっと大きい南の海を感じた。海、雲、魚、貝、月などが素材となって金子みすずの詩と合わさった日本の西の海のアンサンブルのように強く感じた。
 私のもう一つの見どころがある。それは堀家の「家門の栄光」である。朝鮮半島の南海の中の巨文島に日本村を作った木村忠太郎の子孫たち、孫の堀麗子氏のご子息の二人の画家の研氏と晃氏の兄弟である。20世紀から21世紀にかけて木村の子孫の繁栄をみる。私が木村忠太郎に関心をもって湯玉を訪ねてたのは30年ほど前のことである。今は4代目の人たちともお付き合いしていただいている。失礼なことに絵の前に立って絵から自分史へ戻った。そう思いながら堀氏が書かれたエッセイ集『夜明けの晩に』を買って帰ってきた。奄美の方言のエッセーである。早速ひも解いて昭和のロマンの炭焼きの話から心惹かれる。

日韓関係の最悪の中

2014年10月12日 05時42分17秒 | 旅行
日韓関係の最悪とは何か。「最悪」とは戦争を意味するのだろうか。日韓親善のための韓流映画をもって「楽しい韓国文化論」を昨日楽しく第1回目の講座を行った。大河ドラマなど歴史物語りの映画や小説への私の見方を紹介した。歴史ドラマは史料を根拠にはしているが歴史そのものではないこと、フィクションであることをまずイントロとした。歴史を持ったフィクションは嘘の話でもない。真実を伝えるために歴史を材料としている。虚構つまりフィクションであり、創作であるものを嘘や間違いだと批判する人がいる。小説や文学への私の評論を披露した感があった。
 「チャングムの誓い」はただ李氏朝鮮の成宗の第二婦人との息子の燕山君がクーデタによって島流しされ、第三夫人の息子の中宗が王様になる政変の中でチャングムが名医になっていく話である。派手な服飾、宮中料理など見どころが多い。庶民生活とは異なった宮中の贅沢、華麗な光景、しかしそこには競争と嫉妬、独裁、権力乱用などがあふれる韓国社会を象徴するような宮中文化、その隙間には温かい愛情の話も流れる。
 夜7時からは講演会に参加してお二人の話を聞いた。東大から地方への入試の心、地方の活力に関する話であった。しかし2時間近く疲れと眠さとの戦いの中で聞いた。藤井健志氏は生きる目標を設定して勉強する方法、上昌弘氏は楽しみを広げるために勉強をすると言った。私は高校と大学生時代から家庭教師をした経験から実感があり、特に上氏の勉強や研究の目的は人間の楽しさを広げるという私の持論と同様であり共感した。
 

地方創生

2014年10月11日 05時32分25秒 | 旅行
 聯合ニュースによると韓国の脱北者団体が昨日軍事境界線に近い京畿道・坡州の烏頭山統一展望台で北朝鮮の金正恩体制を非難するビラ散布を行った。ビラ20万枚を大型の風船10個にくくりつけて風に載せて北朝鮮へ飛ばした。ビラには、「北朝鮮人民の解放と民主化のため、金正恩3代世襲を終わらせるため自由・民主統一…」と書かれた。ビラ散布による南北の緊張が高まっているという。坡州というところは私の生まれ故郷の隣郡であり、朝鮮戦争の苦戦場であり、常に戦争への不安があり地価が安く開発が遅かったが金大中大統領の南北和解政策によって平安をとり戻し開発が活発になった地域である。その上危険な境界線を観光化して統一展望台や板門店が人気のあるところになった。そこで昨日実際に銃撃が起きたということからも注目されるようである。しかし私には辛い戦争体験を思い起こす不快なニュースである。住民たちが「待避」したというが私は「避難」した。いま考えると当時なぜ辛い避難したか後悔する気持である。避難する心も生命力も旺盛であったと回顧している。地球上反戦や反核の運動などを広げてきてもまだ戦争が起き、続いている。
 日本の近代化、帝国化していった重要な三つの戦争は、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争である。その戦争へ反省からも日本は「戦争をしない国」となっている。いまそれが隣国との関係から見直されようとしている。他国の戦争に危険なホラー映画に出演するかのように参戦しようとした日本人の青年もいる。東亜大学の同僚である磯永和貴氏と,山本孝夫氏の共著に日露戦争の負傷や手術室を撮影した写真が紹介されている『東亜大学紀要』の文を地域新聞の「長周新聞」に勧め記事とされた。先日東京で研究者たちに紹介して注目を引いた。地方の貴重な資料が発掘されても地方のメディアに注目されることは難しい。中央を通して地方へという通路になっている。地方創生といわれても地方を創生する力は地方にないことを意味する。地方は中央からの天下り構造に変わりはない。地方創生は地方人の意識改革から始めなければならないという石破大臣の言うとおりである。
 

続「絵はがきから見る近代山口展」

2014年10月10日 05時18分13秒 | 旅行
数ヶ月前下関美術館で「絵はがきから見る近代山口展」に続き、山口市井筒屋百貨店で年末年始に開くことは以前触れたことがあり、実行するために下準備を心掛けている。下関展示中には多くの方々からコメントを、またその直後数人から多量の資料や情報を提供していただいた。それらを反映しながら新しく企画に読者からのご意見を求める。先日東京大学で講演に行った時東大の絵はがき研究家の佐藤健二教授に共同研究を提案した。ヨーロッパでも絵はがきに関心があり、研究や展示などの動きがあることを聞いた。国際的な連携も考えていくべきであろう。今度山口での展示会では山口の資料の補強と着色写真に焦点を当ててみたい。
 昨日のニュースでは産経新聞のソウル支局の加藤達也元支局長が起訴され、大きく報道された。今の日韓関係は日韓の二人の指導者による喧嘩になっているような感がしている。朴大統領の任期満了を待つしかないだろう。日韓関係の最悪の絶頂の時のようなこの時期、明日から「楽しい韓国文化論」が始まる。7周に掛けて「チャングミの誓い」をスタートにして韓流ドラマや映画をテーマにして市民との勉強会を行う。来週には韓国から数十人の訪問者を迎える。日韓の悪風、韓流の寒流を逆風、逆流とするようにひたすら親善に向けて前進するだけである。

韓国ではノーベルが出ない

2014年10月09日 06時30分59秒 | 旅行
 我が故郷では小学校の先生を尊敬していた。弁当箱をもって減ったゴム靴を履いている貧困像の先生を尊敬した。キリスト教を嫌がりながら貧困像の牧師を尊敬した。清廉潔白なソンビという学者を尊敬する古典を勉強した。しかしいつの間にか先生や牧師の貧困像が大きく変わった。韓国の大学の教授たちは特に研究力のある人は行政、政治家になろうとする話題が豊富になった。ある学者はゴルフをしてシャワーをしてビールを飲むことが楽しいといっていた。学者や研究者も人生を楽しむこと、それが多様化していることはよいが、研究だけでも楽しめる人もいる。私はその楽しみを求めて日本に来た。それは賞とは全く関係ない話である。本欄の愛読者の一人が昨日の文につぎのように書いてくれた。

 
韓国人にも有能な人はいると思いますが物理学賞や化学賞の受賞者がいません。何故なのか考えてみました。アメリカのように研究者や研究施設に対して資金援助をする企業や国の予算がない。大学在学中に兵役があり、研究を中断せざるを得ないが主な理由ではないかと思いますが先生はどのように考えておられますか。


 私は研究より楽しい政治への関心だろうと思う。楽しいものがありあふれる時代では幸せな生活ができる。しかし楽しさや快楽だけでは道にそれることが多い。受賞者の一人の赤崎氏のコメントはそれを実感させた。彼ような人が日本に多いこと、その力、それが上のコメントへの私のリコメントである。

ノーベル物理学賞

2014年10月08日 05時52分12秒 | 旅行
今年度ノーベル物理学賞は日本の3人の赤崎勇、天野浩、中村修二氏に決まった。昨夜発表直後のNHKの長いニュースでの記者会見では受賞決定を知った瞬間の感想が主な記者の質問であった。研究内容までは触れる時間の余裕がなかった。これから日本中祝賀の雰囲気が盛り上がるだろう。わが家も愛用するLED照明を作り出した方々ということで実感があり嬉しい。花火を見ながらも自然の花には紫や青色のものもあるが、電気でも青色を出すのは難しいと思っていた。
世界的な反響を見るのも面白い。韓国のコメントはなぜ名古屋大学か、研究環境の劣悪な会社で中村氏が発明したことへの会社の待遇の悪さにも触れている。苦難の末、成功した「成功モノ語り」で書かれている。赤崎勇氏のインタビューでは流行に乗らずただ好きな研究を60年間してきたというのが私には納得がいくし実感であろうと思われる。アジアで一番先進国で近代化を成し遂げた日本の実力と言えば目的ではなく、ただ普通の生き方そのものであろう。賞は目的になるものではない、人の生き方に光が当てられることである。また多くの研究者はその光の陰の中にいる。その「お陰」で社会は発展していることを知らなければならない。
 

日本側が守備型から攻撃型へ

2014年10月07日 05時39分00秒 | 旅行
 昨日の国会審議で山本宏議員の朝日新聞の慰安婦誤報に関する質疑を国会中継で見た。新しい情報ではなく、全体の状況を整理して分かりやすく説明し、広く知らせたこととなる。もう一つ感じたことがある。スポーツゲームでいえば日韓関係の政治的戦いにおいて日本側の守備型から攻撃型への戦略変化である。日本人は「喧嘩しないことが勝つ」など、特に植民地や戦争については加害者側であり、反論を控えてきたが、最近の日本は怖いと言われるほど攻撃的に変わっている。つまり日本社会では表面的には攻撃せず後ろで策略を考えるような方法で勝敗が試みられている。韓国は逆に攻撃型であり、相手の弱点を狙って勝つように進むが守備には弱い。慰安婦問題で韓国は慰安婦像をアメリカにまで立てて世界的に日本を侮辱する政策、外交をしていた。
 昨日次世代の党の山田議員は韓国の元大統領の盧泰愚氏が日本のマスコミ(朝日新聞)が韓国の反日に火をつけて日韓関係を悪くしたという当時の文芸春秋の記事を読みあげて説明し、安倍総理へ朝日新聞の社長と河野洋平氏の国会証言を求めた。それを聞きたい。韓国は朝日新聞の謝罪によって攻撃の武器を失った。韓国の反日感情を逆に過剰に感じたりそれを利用しようとしている日本人もいる。植民地や戦争を批判する人は日本人、韓国人だけではない。日韓の対立ではなく、真実か否かのパラダイムに変えてほしい。

紅葉

2014年10月06日 05時03分03秒 | 旅行
 台風18号のためにベランダの鉢を室内に入れながら最近季節に触れることが少なくなっていることに気が付く。忙しくて季節の流れに鈍感だったこともあるかもしれないが、時間が過ぎることに嫌な感を持っているのが正直な気持ちであろう。根分けなどで鉢が増えている。それより木が成長して大きくなったので室内のスペースが小さくなる。10センチほどのものが天井まで伸びているものもある。教会の庭に植えたソテツは自ら記念植樹のように思う。人に根分けしてあげたものはどうであろうか。水を切らさず、枯らしたりしてはいないだろうか。
 秋になると寂しく感ずるのはなぜだろう。春の花見とは根本的に違う秋の紅葉の美しさに寂しさを感ずるのかもしれない。その美しい紅葉を鑑賞しようと登山した多くの人が御嶽山の噴火の惨事に出会った。賑やかな花見から寂しい紅葉の季節へ変わって、冬へ向かっている。主治医の池田先生は肺と気管支の弱い私にこれからが峠だと言うだろう。四季があるということは人生にリズムをつけることができる。年内にもう一冊の出版のために急ぎたい。

シリアへ爆撃

2014年10月05日 05時08分08秒 | 旅行
シリアでは反政府デモが始まり暴動化、内戦へ拡大化されアサドは権座に居座って数十万の国民が死傷している。それをただ内政として見捨てて放棄すべきであろうか。アメリカのオバマ大統領がシリアへ爆撃、EUも同調するようになった。ノーベル平和賞を受賞した大統領の行動として反戦平和主義に反すると非難する人が多い。ワルザーがいう「正しい戦争」、つまり人命救援のための爆撃であろう。シリア爆撃を歓迎する。
今、私の体験に基づいて、朝鮮戦争について執筆中であり、朝鮮戦争で国連軍が参戦しなかったらおそらくは北朝鮮によって統一されたであろうと想像する。そして「将軍様」たちによって独裁支配されていたであろうと思うと恐ろしくなる。韓国が自由民主主義国家として生き残ったことには国連軍に感謝すべきである。今米軍は北朝鮮が言うような侵略軍ではない。むしろ恩恵深い友好軍であり、その駐屯は朝鮮半島の安全を保障する象徴的な存在である。香港も民主主義の望楼であり、巨大な中国を改革していく拠点になってほしい。

日陰と御蔭

2014年10月04日 04時30分33秒 | エッセイ
 新宿の通りを歩いた。せっかくの秋晴れなのに日差しが強い。友人の北村皆雄・三浦庸子氏らのビジュアルフォークロアへ向かって歩く。引っ越した新しい事務所を訪問するのは初めて。交番などで道を聞く。交番の様子も変わっている。今はナビゲーターなどが流行り道を訪ねる人も少ないのだろうか、警察も暇の様子で親切に教えてくれる。日差しを避け日陰の有り難さを感じた。なるほど御蔭様の「御蔭」の意味が分かる。今北村氏らは韓国のシャーマニズムの記録映画完成に向けて作業中とのこと、お陰様であると思いながら歩いて行くと彼は外に出て迎えてくれた。懐かしい顔がいっぱいの事務室。日本の名峯撮影、その他の計画中の話で盛り上がった。偶然の一致というか私が関心をもっているビルマの慰安所の話が現在のミャンマーの少数民族の調査と繋がって、話はより増幅された。早めに昼食をご馳走になって新幹線で帰宅。新幹線のなかでは原稿校正、帰宅は夜になった。こんなに疲れた状態を韓国語でネギキムチになったという。しかしこの解放感と嬉しさ、しみじみ幸せである。
 高齢になって急ぐ人がいる。おそらく余生の時間を有効に使おうとするのだろう。私の耳に強く残っているシャーマンの歌の一句がある。「早く行きましょう」というあの世へ誘導する使者の催促の言葉である。御嶽山の噴火で若い人も多く亡くなった。心痛い。若い人も余生を考える生き方が必要である。人生は長短にかかわらず始まりとエンディングがある。その中身を作るのは主人公のそれぞれの個人であろう。日陰に立ってお陰様を考えたことが心にのこる。
 
 

ノゾミのスピードさえ遅く

2014年10月03日 05時41分13秒 | 旅行
昨日は朝出勤時間に家を出て東京へ向かった。東大での講演が夕方6時半からであり、余裕をもった出発であった。平日の新幹線でも小倉からの自由席の客は多かった。広島で席が空き、窓際に移った。京都を過ぎて発表資料のパーワーポイントを確認しようとして、メガネを前に座ったいすにおいたことに気がついてその席を探したがない。2,3回探して、周辺の人に聞くと窓際に座っていた紳士が忘れ物と思い車掌に渡したという。車掌室へ行くと、新大阪で交代した車掌がそのメガネケースを新大阪忘れ物センターに預けたとのこと、そこにあることを確認した。メガネだけであれば一瞬放棄しようかと思ったが発表用のUSBメモリーをケースに入れていたので探しに次の名古屋から新大阪へ戻ることにした。時間に余裕があった私は突然、性急になった。4時の東大出版会の竹中氏と約束など気になることが浮かんだ。ノゾミのスピードさえ遅く感じた。新大阪へ、出口をでて忘れ物センターなど探して走った。汗をかかない私の体質を変えたように汗を拭きながら東京へ、竹中氏と共通の話題が多かった。彼は1974年から東大出版会へ入社、彼は高麗王朝の活版について話をしながらハングル文字が入ったネクタイを見せてくれた。彼との相談も無事に終えて会場に着いた。
 講義と一般講演が合わさった公開講座であり、韓国朝鮮史、文化人類学の学生、一般人、朝日新聞から二人の記者、毎日新聞の編集委員としてテレビ評論家である鈴木琢磨氏、東洋経済日報のリサンテ氏などが参加した。絵葉書研究の佐藤健二、嶋睦奥彦、林史樹などなど教員、学生、マスコミ関係者などが関心を持ってくれた。1時間講義では最近私が中心に読書会でよんだ「慰安所帳場人の日記」をそのまま日記文学、慰安所の状況などを説明した。質問時間では朝日新聞の二人と元共同通信の記者の質問などで白熱した場であった。講演録も出すようであり、慎重に応え、議論できた。一般人の反日親日的な質問はまったくなかった。講演が終わって多くの人と名刺交換をした。留学初年東大に通いながら勉強したことを思い出し、そこで懐かしく講義ができ嬉しかった。
 普段すばらしい助手(家内)に恵まれていてメガネを落とした不注意、小さい失敗で大きく苦労したことをもって妻に感謝している。

北朝鮮を応援した

2014年10月02日 05時04分54秒 | 旅行
昨夜日本と北朝鮮との女性サッカーをテレビで観覧した。3対1で日本が負けた。日本を応援する声はほぼ聞こえなかった。韓国人側でも北朝鮮を応援しているようであった。私も最初から北朝鮮を応援していた。北朝鮮の決定的なゴールインには一人で拍手をした。自分でもなぜ北朝鮮を応援したか考えている。日朝会談などへの不満等もその要因になっているのだろうか。政府の言葉で「対話と圧力」と言うことには抵抗を感じている。圧力を前提にして対話をするという。それが拉致問題解決の基本だといわれている。対話に「圧力」を前提にしているとはいくら国内用の言葉とはいってもひっかかる。バイリンガルである私から北朝鮮と交渉するニュースを見ては北朝鮮側のいうこと、家族会の人が言う「北朝鮮は嘘の国」のイメージはまじわることがないように思える。建前が日本文化だといわれたりするが私の理解不足かもしれない。