崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

山中太先生の授業に参観

2014年10月30日 04時27分56秒 | 旅行
 先週の講義では友人の北村皆雄氏の製作で以前放映されたビデオ「177人家族の人に嫁いだ12歳の新婦」を見せた。それに学生たちのコメントを以て導入して若干議論してから本講義に入るのが私の講義パターンである。その映像には177人の大家族、12歳の新婦の二つの話題がある。学生たちの意見では「12歳の結婚は早すぎ」というのが多かった。そこに問題提議、私の母は10歳で結婚して幸せに暮らした。結婚適齢は何歳かと問いかけた。学生たち曰く、結婚判断力があるのかと言った。私から考えると40歳ころではないと結婚の判断がつかないのではないかと反問した。
 なぜ結婚するのか、子供そして血統主義に、また代理母へ問題点に至る。林権澤監督の映画「シバジ(種受け女性)」を見せた。父系制家族、父親の存在の薄い社会など文化人類学の本質に入る。インドのナヤール(Nayar)社会では夫と妻は同居しておらず、夫は妻の部屋を夜間訪問するだけであった。また夫は妻や子供に対して扶養の義務をまったくもっていない。最近日本人男性がタイの女性たちに人工受精で子供を産ませ、16人の父親になったことを話題にした。若者にとって重要なそして必要な講義であると思って準備をし、提供した。
 教員資格のための授業、特別に佐世保愛宕中学校の教諭の山中太先生の授業を参観した。私は師範大学4年生の時に幼稚園、小学校から中学校、高等学校などで教育実習や授業参観をしたことを思い出した。教案作成と授業には厳しい課程を経て2年間高校の教諭となった。しかし多くの大学教員たちはこの課程を経ず教壇に立っている。大学教員の授業方法の改革が必要だと本欄でも時々触れてきた。
 昨日「道徳授業」に参観して多くのことを考えさせられた。その授業の道徳の内容も良かったが授業方法も良かった。文科省の教育改革が発表されても担当教員の授業方法が改革されないと改革は無理だと思って、ハバード大学の教授方法を本欄にも紹介したことがある。つまり授業は創作過程である(A class is art)ことを考えてほしい。大学には授業参観はあっても規定だけをクリアすればよいと思われており、大きい効果は期待できない。2018年から、また「道徳の授業」が実施されるという。それは教員たちの意識改革がなければならない。