崔吉城との対話

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何義麟『台湾現代史─二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』

2014年10月20日 04時50分39秒 | 旅行
台湾の何義麟氏から自著の『台湾現代史─二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社)をいただいた。彼とは共同研究などで話をしたり論文を読んだりして親しく感じている。今度の著書から彼の冷静な視線と文章力には感動した。何氏は台湾現代史について客観的に堂々とわかりやすく語っている。台湾の人々が負の歴史をどう語り、政治的に論点としているかが分かる。台湾でも植民地「歴史認識」が学問や政治的にも問題になっている。少なくとも韓国のように反日、植民地絶対悪の論理ではなく、多様であることが理解できる。台湾では日本統治の「日治」と日本占拠の「日拠」の言葉について論争がある。韓国で「日帝時代」を「強占期」(強制占拠期)に替えたことそっくりである。つまらない。
 台湾の日本植民地を以て語る時中国大陸からの「再植民地」(蒋介石の父子の統治)に関する批判と日本植民地への評価が書かれている。それに比して韓国では李・朴の独裁政権を肯定的に評価し、朴の父子が大統領になっているのと対照的である。なにより韓国では李氏朝鮮の政治が「惡政」、倭の侵略が最悪とされている。その李氏朝鮮時代の王宮が色彩カラフルな歴史ドラマに美しく映っている。汚い歴史をカラーで塗り染めるのが歴史認識とは言えない。
 
 日本はどうであろう。若い美女大臣下ろしを楽しんでいるようである。法律は人を裁くが、正義を裁けない。その旨「東洋経済日報」へ寄稿文「監獄から思索」を蛇足とする。


『監獄からの思索』
 ソウルから郵便が届いた。『監獄からの思索』の著者の申栄福氏からのものである。彼は陸軍士官学校の教官をした元同僚である。当時彼は淑明女子大学の講師から、私は高校の教師から陸軍士官学校の教官となった。訓練期間中や教官の時、軍務と社会奉仕活動を一緒にした。先日ソウルで聖公会大学を訪ねた時、思い出し連絡をしたが不通、名刺を置いて帰国した。数日後に彼からの手紙とサイン入りの彼の著書『講義』が送られてきた。それは論語など中国の古典を以て思索している内容である。彼が同じ監房で4年間一緒にいた漢文学者との暮らしに基づいて書いたものであるが、つねに監獄からの話が基になっている。
 彼は朴正煕大統領独裁政権の転覆を図ろうとしたとする罪で無期懲役、無期囚だった1968年以来20年20日間刑務所に収監された。釈放されてから聖公会大学の特任教授をして教鞭をとり今に至っている。申氏は1941年慶尚南道で生まれた。父親は大邱師範を卒業して慶尚北道で簡易学校の校長であった。彼がソウル大学に入学したのは私と同じで1959年、4・19の学生革命と5・16の軍事クーデタを目撃した。彼はこの世の変化に大きく感動した。特に朴正煕は「拳銃をぶら下げた李承晩」でしかなかったと抵抗した。大学院を卒業して淑明女子大で講師をしながら『青脈』という雑誌の研究会に参加していた。これが後ほど統一革命党傘下の民族解放戦線と発表されたものである。陸軍士官学校教官で現役将校身分だった申氏が統一党革命首謀者の政治思想犯として無期懲役者となり、軍事裁判では死刑が宣告されたが、裁判所が情状を参酌して無期懲役となった。死刑囚であった時は無期になっただけでも良かったと思ったが死刑より絶望的であったという。
 収監中、常に考え思索し、両親と兄弟に書簡を送った。それが『監獄からの思索』である。個人の危機、恨みとは縁のないような世俗社会の存在に根本的な疑問を投げている。監房の窓から見たネズミ、タンポポの花、列車の汽笛など如何にも平然と社会が動いていることを書いた文を私はいまだに忘れられない。届いた本は読み進むのが懐かしく、辛く、悲しく、虚しくなる。彼の刑務所での青春、中年時代までの冤罪というか、その恨みや欝憤を全国民と共に代わって払ってあげたい気分で愛読されている。このような有能な人材を刑務所に入れた国家権力の矛盾は土をたたきながら慟哭すべきであろう。今彼の罪を信ずる国民は一人もいないだろう。
 彼自身の人生は刑務所によって潰されたわけではない。監房の中を宇宙にして色々な人との出会い、偉大な思索をして、まるで世俗から離れた聖なる空間で悟ったような偉大な人になったのである。私は多くの流配島と呼ばれる島でインタビューをしたことを思い出す。大逆罪などで島流しされた祖先を罪人と思う子孫は一人もいない。大逆罪で処刑された数々のケースをみて裁判制度とはいかに正しくないかを痛感する。裁判制度とは社会秩序を守るためであっても正義を守るには十分ではない。

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