崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

ノゾミのスピードさえ遅く

2014年10月03日 05時41分13秒 | 旅行
昨日は朝出勤時間に家を出て東京へ向かった。東大での講演が夕方6時半からであり、余裕をもった出発であった。平日の新幹線でも小倉からの自由席の客は多かった。広島で席が空き、窓際に移った。京都を過ぎて発表資料のパーワーポイントを確認しようとして、メガネを前に座ったいすにおいたことに気がついてその席を探したがない。2,3回探して、周辺の人に聞くと窓際に座っていた紳士が忘れ物と思い車掌に渡したという。車掌室へ行くと、新大阪で交代した車掌がそのメガネケースを新大阪忘れ物センターに預けたとのこと、そこにあることを確認した。メガネだけであれば一瞬放棄しようかと思ったが発表用のUSBメモリーをケースに入れていたので探しに次の名古屋から新大阪へ戻ることにした。時間に余裕があった私は突然、性急になった。4時の東大出版会の竹中氏と約束など気になることが浮かんだ。ノゾミのスピードさえ遅く感じた。新大阪へ、出口をでて忘れ物センターなど探して走った。汗をかかない私の体質を変えたように汗を拭きながら東京へ、竹中氏と共通の話題が多かった。彼は1974年から東大出版会へ入社、彼は高麗王朝の活版について話をしながらハングル文字が入ったネクタイを見せてくれた。彼との相談も無事に終えて会場に着いた。
 講義と一般講演が合わさった公開講座であり、韓国朝鮮史、文化人類学の学生、一般人、朝日新聞から二人の記者、毎日新聞の編集委員としてテレビ評論家である鈴木琢磨氏、東洋経済日報のリサンテ氏などが参加した。絵葉書研究の佐藤健二、嶋睦奥彦、林史樹などなど教員、学生、マスコミ関係者などが関心を持ってくれた。1時間講義では最近私が中心に読書会でよんだ「慰安所帳場人の日記」をそのまま日記文学、慰安所の状況などを説明した。質問時間では朝日新聞の二人と元共同通信の記者の質問などで白熱した場であった。講演録も出すようであり、慎重に応え、議論できた。一般人の反日親日的な質問はまったくなかった。講演が終わって多くの人と名刺交換をした。留学初年東大に通いながら勉強したことを思い出し、そこで懐かしく講義ができ嬉しかった。
 普段すばらしい助手(家内)に恵まれていてメガネを落とした不注意、小さい失敗で大きく苦労したことをもって妻に感謝している。