崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「日韓を挟んで生きる」2014・.7・15

2014年07月16日 05時17分40秒 | 旅行
昨夜下関学習センターで下関広域日韓親善協会主催30数名の前で「日韓を挟んで生きる」という演題で講演をした(写真)。その直前までは「日本文化論」の講義に家根橋教授が参加して学生たちと討論が行われ講演のリハーサルのようになり、二重に疲れてしまった。
 日韓親善の最高から最低へ、最悪にした李明博氏から日韓関係がぎくしゃくしているところから話を始めた。私のように植民地「朝鮮」で生まれ、創氏改名(山本)とされて日本に住んでいるものとしては日韓関係の改善を強く求める。私は少年時代から愛国小説が好き、陸軍士官学校の教官、50歳まで予備軍大隊長などまでした間違いなく愛国者である私に「親日だ」という人たちがいる。何故か、誰か。私自身はどう思うか。その話をした。なぜ親日的になったのだろう。
 私の恩師(任宰)の恩師は京城帝大の秋葉隆氏、二人の先生の調査地が我が故郷の楊州の仮面劇と巫女であった。私が巫俗研究者になったのはそこに接点があった。それが日本に留学するきっかけになった。韓国の「反日」思想・感情は政治家だけではなく、学校の先生や教会の牧師まで骨まで染み込んでいる中、私は日本留学、日本植民地研究、日本人の妻を持つ三要素が揃っている。日本に留学して、韓国に帰国してはじめに出会ったのが「反日感情」であった。韓国の民族主義者であるソウル大学の趙氏からはあるシンポで並んで登壇している私に日本に留学した人は韓国学の研究者の資格がないと言われた。あまりも非常識な発言に私は反論しなかった。日本学科の教員として勤めるということ自体が反日との戦うことであった。
 韓国は世界で反日感情が一番強い国である。植民地の影響というよりは、戦後の日韓関係によるものが多い。被植民地の歴史は私に重すぎる。1980年代、反日的な反政府の学生デモが多い中、私はデモの点火となる学生サークルの仮面劇サークルの指導教授として危機に立たされた。デモは仮面劇の発表会から始まるのが常であった。啓明大学露天劇場には1万人の学生・一般人が参加し、総長と私のあいさつから始まった。そのさ中内務部治安局から私にすぐに中止するように命令があった。私は断った。「責任とれ」「はい、とります」と対話、恐ろしく怖い時であった。学生たちの私への信頼と私のアイディアで無事に終わった。1980年代デモは続いた。学生たちからも「親日派」と言われ、ある時はデモ隊の学生たちの前で日本に関する説明や講演もしなければならなかった。身の危険も強く感じた。1990年日本に来たので親日が実証されたと思われたかもしれない。日本に来ても反日感情から離れることはできない。日韓・韓日を挟んで生きる人にとって辛い時が多い。しかし両方とも友人知人が多い。
 そこで私は日韓を中立的に、客観的にみようとする。しかし韓国のことを肯定的に書くと日本人からクレームがくる。日本のことを肯定的に書くと韓国人からは親日的と言われる。困っている。中立とは冷たく、無情に思われがちであるが、事実、真実などを究明するには有効である。また味方をすると、偏見とみられるが、内側からは愛情となる。両方バランスとる必要があると結んだ。

市役所には「人間」がおらず、「規制」しかない

2014年07月15日 05時03分02秒 | 旅行
定期健診、待つ時間もなく呼ばれて、検査のため低いベッドに寝かされて、お腹と胸を出し、靴下を脱がされた。4人の看護師と家内の目が光って見えた。世間からは若くない女性かもしれないが私には皆若い女性、その前でこのようにプライーバシー(?)が露出され、ドキドキしながら心電図と血管のやわらかさの検査をしていただいた。結果は無事、血管がやや年齢より老けているという。青春時代とは身体や人格も変わった。しかし医師は20歳頃できた病巣のレントゲン写真を持って説明、健康状況は安定しているとのことだった。
 日本に住み、感謝の気持ちをもって、今週からの展示会「絵はがきからみる近代山口」のチラシを持って市内を回った。市役所と市民学習センターでは「市が後援機関ではない」ということでチラシを置くことさえ拒絶された。大学機関が市民団体の市文化協会や市文化振興財団、新聞社などの後援を得て、山口県民に奉仕する文化行事のものであるのに聞く耳もない、規制による規制、機械的に断わられたことに私は言葉を失い、失望した。市役所には「人間」はおらず、「規制」しかないように感じた。
 朝の照れくさかったが結果よしで嬉しく、感謝の気持ちが一気に嫌な気持ちに変化した。それでも研究所に戻り、同僚たちと和気あいあい準備しながら話を楽しんだ。絵はがき一枚一枚をきれいに印刷して配置まで展示設計などを市民に見せるために、市民に奉仕することと最善を尽くしている。家内は面識のない人にさえ時には説明しチラシを渡す。今のところ反応は微々、私は明治・大正の山口に関して多いに勉強になって嬉しい。絵はがきの中には干拓の現場、学校の運動会、動的な画像もある。特に船で橋を作った移動橋の「船橋」は初めて知る貴重な写真、山口以外のものも若干出す。関東大震災と着色写真、門司港なども含めた。

「個人情報」

2014年07月14日 05時27分06秒 | 旅行
 このところ毎日のように個人情報流出問題が大きく報道されている。犯罪の経歴などは本人が思い出したくないものであり、人に知られたくないものであろう。そのような情報の流出はあってはならない。流出自体が問題になっているのはなぜであろうか、それが犯罪のように語られているのでなせだろうか。その法律によると、個人情報の適正な取扱いに関しては国及び地方公共団体、取り扱う事業者に定められている。法律による「個人情報」とは、「生存する個人に関する情報」つまり「氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの」と定義している。法律をどんな人が作り、その過程はさまざまであり、私は法律が必ずしも真理とは思えない。悪法も多くあって人を苦しめてきた歴史を知っている。個人情報を使って徴兵法を施行している国は正義であろうか。国民が考えてほしい。
 極端にいうと出生届をすることもなく、自然に人間として戸籍もなく生きられる動物的社会が理想かもしれない。個人情報だけをきちんと守り、無味乾燥した社会を作っていくだろう。個人情報を国などに独占させることも不安である。しかし個人はこの世で自分の生存の徴を残したい。個人情報を犯罪などに利用した時に厳しい法律で対応してほしい。中国や韓国では数千年間「族譜」をもって個人の生存を記録し自分の存在を確かめている。社会生活の重要な局面は情報の交換、交流しているのはなぜだろう。おそらく日本などの先進国では個人情報保護が過剰になり人間関係の少ない孤独な人の生存を強いれていくだろう。我々は戸籍ではなくとも、生きている人間同士が出会う時、年齢、性別、服装、表情などの貴重な個人情報を知っている。人は大事な情報を露出していて、お互いに共有することによって情のある人間関係を作っている。
 個人情報は「生存者」に限るというが、死者の子孫が死者以上に個人情報云々する人も多い。今死者の日記やはがきを扱っている。それは本人の名誉を懸賞するためである。

もう一人の家族のタブレット

2014年07月13日 05時39分46秒 | 旅行
 愛用のスマートフォンの内蔵カメラのピントが合わずぼけてしまい店頭に相談に行った。整理番号を持って、ようやく担当者に開けて説明をしようとすると異常なし。不思議なことである。歯医者に到着したら痛みが治ったという話のようである。詳しく説明を聞いてそのまま出ることにはやや抵抗感を持つ私としては小さいものでも買うことにした。韓国育ちの私には店に入ってそのまま出るときの都合の悪さが刻印されているからであろう。しかし韓国から来られた淑女を百貨店に案内した時、購入のために数回も試着してから止めたことに私は言葉を失った。それは私がおかしいのかもしれない、店に入るまでは慎重にする。
 私は最新のタブレットの説明を聞いた。もう心では買うことを決めていたかもしれない。最先端のもう一人の家族を迎える気持ちになった。特に女性の店員さんの親切な説明にはかなわない状況であった。買うことになってから長い時間がかかった。二日間2回行って計5時間ほどかかった。値段もどんどん変わり上がった。そのたびに彼女は「申しわけない」を繰り返し、タクシーのメーターのように上がり、付属品を含めると10万円を越えた。後で割引のサービス券3000円分届くということである。初日に終わった時は百貨店のシャッターも下ろされていて出口に誘導されて出て帰宅した。
 これは家内のために買った物で使いこなせるようになるまではもっと長い時間を要する。高齢者の特徴の一つ、先端技術と無関係な人である。健康と美容に気を付けながらも、いつの間にか亡くなっている人は多い。寂しい。それより寂しいのは最新先端の文明の利器を利用せず死ぬことである。死ぬまで挑戦すべきであろう。家内が如何にこの利器をこなせるか、関心がある。もう一人の仲間を家族として受け入れたことになる。

韓国語で訳書

2014年07月12日 05時33分06秒 | 旅行
 毎週水曜日の読書会は続いている。最初は朝鮮総督府の機関紙の『朝鮮』を読むことからはじまり、つい先日「慰安所帳場人の日記」を読み終えた。政治的な状況から関心がないわけではないが、戦前戦後の20年以上の日記を書いた韓国人がいて、どう生活してきたか、それ自体に関心が大きく、読み始めた。2年間分の2冊を読み終えた。その間には所蔵者、研究者、日韓のそれぞれの訳文などを参考にしてきた。26冊全部を読み続ける大型プロジェクトが必要であろう。この調子では20年はかかり、私にはとても無理である。しかし研究は続くよう希望している。東京のある有名な雑誌社の方が参加してみたいという。感想を聞きたい。
 執筆中の自著も進めてきたが、大部遅れている。幸い、韓国語の訳書村山智順の『朝鮮の巫覡』がようやく出るようになり、発行のための「序文」を書くことになった。1980年半ばから読書会で植民地研究会を立ち上げて、村山智順の『朝鮮の風水』を民音社から発行するようになった。当時反日的民族主義者たちに非難されながらも植民地史料でも翻訳はすべきだという信念をもって研究を続けてきた。その直後から植民地統治資料が多く出版されるようになり、韓国学の方向転換があったことは今は激世之感がする。日韓関係も好調、そして悪化を繰り返している。来週、再来週と日韓関係に関して講演が決まっている。世間に対して私の信念を貫く話をしたい。

間引

2014年07月11日 05時16分27秒 | 旅行
オーストラリアのFB友のSeiin Pak氏の広い家庭菜園を写真で見て、私もベランダで鉢にレタスの種を播いてから1週間後、密集して芽が出てきたので間引きをして食卓に上げた。これからも数回間引きをしなければならない。間引きは農業の技術であるが、社会的にも行われている。作家金在国氏が書いたエッセーには日本社会では「しっかりしないと間引きされる」と日本留学中に娘に教えたということに思いが留まった。日本民俗としては子供が多く生まれすぎると生まれた子供の中から間引き(殺す)をしたといわれている。これは古い伝統であり、今は少子化、人権を尊重する先進国に代わったといえる。
 日本など先進国では人権思想が高く、障害を持っているとしても差別せず平等に生きられるように、否、優遇されるようになっている。しかし会社など構造再調整のリストラでは多くの社員が間引かれる。大学は間引きが少なく、安定している職場と言える。したがって経営が苦しいところも多い。それは能率主義だけではなく、一緒に共同体のメンバーとして生きる「和」の社会であるからであり、大げさに言うと社会福祉的な意味が大きい。しかしその制度の中でメンバーが隠れ、腐り、怠け者になりうる、人権を楯にして悪賢くたちまわる奴もいる。
 日本でも妊娠のとき問題がある胎児を中絶したという話を聞いたことがある。生まれる生存権さえはく奪されたり、いろいろな意味も含めて生き残るのも難しい。

政治家が慟哭

2014年07月10日 05時38分37秒 | 旅行
今日は台風8号の接近で全学休講である。来週は絵はがき展、2回の講演、講義などがあり、その準備のために自宅でこの時間を有効に使うつもりである。しかし一方ではそろそろ前学期が終わりに近くなって、講義で学生と話をするのが楽しいのに残念である。この大学に赴任したばかりの時は新入生の「大学基礎」の担任は辛かった。出席を取るのに、学生の名前の読み方が難しい。私の読み方が違ったら全員ワーと笑う。私は講義時間にこのような困難は初体験のように感じた。いまその学生たちは社会の一員として頑張っているであろう。今私の講義は聞く、話す、読む、書くの四つの機能を十分発揮させ、考える講義として私自身楽しく、学生からも面白いという言葉が出ている。赴任当時の辛さとは劇差がある。先週の「日本文化論」では日本人の「性と美」について日本の浮世絵と韓国の春画を比較しながら、日本文化の本質に迫った。はじめは学生はちょっと戸惑ったようである。
 あるアメリカの教育学者が言った「講義は芸術artである」という言葉は私の教育的な戒めである。それは文字どおりに芸術家にも当てはまる。創作物なども穿鑿、磨きあげるには年月と努力が必要であろう。それは政治家にも当てはまるかもしれない。駅前などで振り向きもしない群衆に演説をする人を見ると気の毒に思う。私も若い時、立候者の賛助演説をした経験がある。行きかう人々に向かって演説をしたことを思い出す。辛い空念仏のような演説を繰り返しながら生きる政治家の苦労を知るよい体験であった。ある政治家が慟哭する映像が大きく報道された。政治家の辛さだけは伝わった。彼らによい政治を願っているし、応援もしてあげたい。しかし、彼はなんだか不思議。

「慰安婦」

2014年07月09日 05時14分17秒 | 旅行
昨日は日中戦争勃発記念日であった。先日私たちの読書会に参加して「慰安婦」問題によい意見を語ってくれた鈴木文子教授が吉見義明氏の文を送って下さった。私は昔から慰安婦に関する諸見解を読んで、ある程度把握している。安倍総理や橋下市長などもこれらの研究をある程度踏まえて政策や発言をしているように感じる。私の認識としては植民地には内地と同様「売春婦」、戦地では「慰安婦」という区別である。しかしその区別は厳格なものではなく、相互関連しているから混乱が起きている。また研究者と運動家の表現の違いがある。運動家は問題を単純化して訴えるところにポイントがある。研究者は戦争の本質に、もっといえば人間性に迫っていく探究者である。この問題についていえば売春婦か慰安婦かあいまいであるなら学者もその事実のまま「曖昧」そのままの見解でよい。政治家や運動家は「強制はなかった」と言っても学者は調査、資料に基づいて自分の見解を述べれば良い。怖いのは研究者が「性奴隷だ」と叫びながら運動家のようになることである。
 二人の研究者の話によると、秦郁彦氏は公娼制において売春に従事していた女性が戦地における慰安婦であったとの意見に対し、吉見氏は公娼と慰安婦は関連があるといいながら慰安婦制度は性奴隷制度の性格が強いという。いずれ植民地と戦争という状況から生じた問題である。地球上から考えると戦争は普遍的な現象のように起きて来て、いまだにその危険性を抱えている現状である。日本が戦争を起こして被爆し、植民地をして反日・抗日運動、そして多くの犠牲者を出したことへの批判は受けて反省すべきであることは痛感する。しかしと言って、性を持って微妙な感情を刺激しながら人権問題として非難と防衛の行動はこの線で終止符を打てないものかと私は怒りを感じる。

『朝鮮の巫覡』

2014年07月08日 04時30分45秒 | 旅行
昨朝,10時ごろ下関で最も強い暴雨だった時、市役所と市民会館に7月17日から21日まで行う絵はがき展「絵はがきから見る近代山口」のチラシを持って行った。二か所とも私の顔を知っている人が丁寧に対応してくれて簡単に済んだ。感謝である。下関に長く住んで本当に市民になったように思えて暴雨の中でも嬉しく感謝であった。暴雨でも今までの私にとっては窓ガラスの外側の暴雨が多かったが、昨日は生で体験した。夏には雨が降るのが当然と長い人生を生きて来ているが、今日、明日は今までに経験のない大型の台風8号が日本に接近していると報道されている。気をつけなければならない。日本は自然現象を「自然に」にむかえるようによく整備されていると感ずる。しかし災難として受ける地域や難民が多く出る国家も多くある。
 ソウルの出版社から校正の原稿が届いた。数年前草訳の村山智順の『朝鮮の巫覡』の作業が終わり編集に入るための原稿である。私はこの本こそ歴史に残したいと思う。朝鮮総督府の嘱託であった村山氏が中心に全国的に警察を通して調査を行い、その報告書に当たる著書である。この本が秋葉によって大幅利用されて理論化される過程を私はすでに明らかにしたことがある。ナショナリズムの強い韓国学界でどう反応するかは未知数であるが、事実を尊重する近代的学者たちにとって歓迎されると確信している。続いて『朝鮮の風水』、そして秋葉隆氏の『朝鮮巫俗の研究』の訳本を出す予定である。このような総督府の資料などの事業は国家的なものとは思うが、国が行うことによって国策的になる憂いもあると思う。暴雨や非難にも屈せず、いつまでも挑戦したい。

日韓親善協会

2014年07月07日 05時15分37秒 | 旅行
全国組織の日韓親善協会の山口県親善協会は十数の協会がある。それを全体的に統括する連合会があり、最近友田有県議員が会長に、副会長に石本弘之氏が決まった。連合会の中で一番大きいのは下関地域の広域日韓親善協会である。その会長は新しく元下関市議員の友松弘幸氏、副会長に伊藤巧氏が決まった。下関広域日韓親善協会の組織も新しく、再出発の総会の場での講演依頼が来た。快諾した。友松、石本、伊藤氏らは先日韓国釜山・馬山の親善協会等を訪問し、下関広域日韓親善協会の再出発の挨拶や今後の活動についての話などを進めてきたとのことである。
 7月15(火)18時30分から私は講演をする。講演というより討論会にしたい。李明博大統領の竹島上陸前までは「親善」という言葉を必要としないくらい日韓関係が良かった。今の朴クネ時代の関係は最悪となっている。日本は東アジアから孤立状態になり、今北朝鮮と関係改善の契機にするような動きがあり、期待している。日本の拉致問題や韓国のいわば従軍慰安婦問題は同様人権問題で相手を非難する。私は国家間では倫理は存在しにくいと考えている。国益が優先するからである。日本は巨額の賠償金を払っても北朝鮮と国交正常化すべきである。東アジアを大きく変えていく好機となるであろう。(写真は友松会長(右)が韓国馬山を訪問して慶南大張教授と) 

絵はがきの原点「乃木神社」

2014年07月06日 05時42分36秒 | 旅行
 明治大正時代の絵はがき展の準備のために忙しくしている。できれば良いものを良い状況で見せるために最善を尽くしたい。数人の方の協力を得ながらも私が市民に誠意ある奉仕する機会だと思っている。古いものを一枚一枚スキャンしながら絵はがきを鑑賞し読みりとっている。乃木神社に関するものが数枚ある。以前から東京の乃木坂などで知っていて、中国の旅順山頂の日露戦争の勝利記念塔を訪ねて記念写真も撮ったことがある(写真旅順の記念碑の前で)。私が住んでいる近く、山口県下関市長府にも乃木神社がある。昨日乃木の旧邸の絵はがきを持って乃木希典将軍を祀り、地元では学問の神様として知られている。今の邸宅は大正3年(1914年)10~16歳まで乃木希典が幼少時代を過ごした家を復元したものであり、残念ながら私が手にしている旧宅はそれ以前のものであることが分かった。乃木記念館には乃木の幼少期の像や遺品などが展示されているが、旧宅のものはなかった。
 数人の参拝客(?)がいて、礼をしていた。日露戦争は勝利したが乃木は作戦で失敗した将軍であり、自決をしたが、日本が彼を英雄化しナショナリズムを高めたという程度の関心しかなかったが、絵はがき展を通して彼に注目するようになった。世界でもこのように将軍様を英雄化している。韓国はもちろん、北朝鮮では生きている「将軍様」を敬愛し、祀っている。今度の絵はがき展と関連して言えば、絵はがきの始まりは日ロ戦争の勝利記念から始まったということである。それは絵はがき研究者の東大教授の佐藤健二氏よって明らかになっている。昨日の乃木神社訪問は絵はがきの出発点に立ち寄ったという意味になった気がする。

夕張メロン

2014年07月05日 05時14分51秒 | エッセイ
ある弟子から夕張メロンが送られてきて食卓が豊か、格調高くなった。室内菜園も始めていてミントで皿を飾ることもできた。数年前炭鉱地調査の時夕張に行ったことがある。私はその時その場所にいても夕張メロンが有名であるということは知らなかった。運転してくれた上水流君が夕張はメロンで有名であるといい、それを聞いた瞬間、私は車を止め、一行はメロンを唇がはれるほど食べた。その思い出は一行に強く残っているようである。その時の発言者からの贈り物ある。今他の二人の弟子からそれぞれ著書の新刊書が送られてきている。一つは中国の金在国著『日本留学の時に書いた金在国の日本文化体験日記』(韓国語)であり、もう一つは佐渡龍己氏のテロに関する本である。金氏は中国の有名な作家であり、日本滞在の数年間を娘と対話する形で日本の社会や文化を語っているものである。日本の読者へ翻訳出版ができればと思っている。佐渡氏は中近東での体験に基づいて書いた『人は戦場で何を考えるか:テロリズム戦闘日誌』である。今から読みたい。
 最近私の行動の多くは弟子との関係から始まっている。昨日も広島大学時代の弟子と関連して話が長かった。弟子たちからの相談が多くなり、内心うれしく思いながら、弟子たちに負けないように私からもより積極的に新しく弟子を作るために講義に熱を上げている。もうすぐ広島大学大学院国際協力研究科に集中講義にいく。日にちが迫ってきており、私も楽しみにしているが学生たちからも楽しみに待っていると準備状況も含めてメールが往来している。私の「弟子」という言葉には読者らは抵抗を感ずるかもしれない。それは私が彼らに勝手に使う言葉であり失礼かも知れない。つまりそれが学生への偏愛、学閥主義と言われるかもしれない。しかし私は愛情、関心がなければ良い教育はできないと思っている。それは私の教育のエネルギーである。それに冷徹な客観主義を持ち込もうとしているのである。(写真は絵はがき)

外国で落第生、本国で優等生

2014年07月04日 04時59分45秒 | 旅行
最近韓国のドラマや日常会話の中で韓国社会が変化していると感じている。今楽しんでいるドラマでは「アメリカ留学」という言葉である。恋愛中の息子と彼女の結婚を反対するために「アメリカ留学」を強要した場面があった。もう一つのドラマでは息子のレストラン経営が上手くいかなかったらアメリカへ追い出すという場面である。アメリカ留学のイメージが極めてダウンしたことを感ずる。日本留学はそれ以上になっているであろう。このドラマだけではなく、アメリカ留学のイメージはかなり変わったことが十分キャッチできる。19世紀末から20世紀にかけて韓国で海外留学は憧れの対象であって、ソウル大学の教員の半分が「アメリカ留学」体験者であり、日本留学者は2%しかいないという。韓国が小国でありながら大国の中国へ圧倒的な影響力を発揮していることから考えると韓国の国内教育に自信があるということであろう。この現象も日本が先行している。今安倍政権は教育改革を打ち出している。歓迎する。
 ロシア出身韓国人のノルウェイのオスロ大学の朴O子氏はハンギョレイコラムに面白い文を書いた。韓国人が多く海外へ出て、その留学先の大学や学会では発言力がなく、劣等生が韓国に帰って偉くなっているという。つまり外国で落第生、本国で優等生だとう論旨である。結局優秀な研究者や教員は海外で職を求め活動している。つまり韓国の欧米留学生の質が良くないという指摘である。恐縮ではあるが私が日本留学当時を知っているある人は日本での留学生活に適応できず効果的な留学生活ができなかったが帰国して長官になった人もいる。優秀な人はその国に残るか、帰国しても研究環境が悪く再度海外へ出た人も多い。朴氏の意見に賛成できる。

「友だち」になった

2014年07月03日 04時17分10秒 | エッセイ
長い間、時々私のブログに批判を書いてくれた二人の人がいる。二人とも面識はない。批判より非難が多い。しかしに参考なる情報も多くいただいていて、親しく感じている。時には私の意見に非難や叱りの言葉もあった。読者の反応があるだけで感謝の言葉を書いたり反論したりした。一人は東京在住の在日の方らしく、講演などにも誘ったが逢うことはない。もう一人は下関出身で関西地域に住んでいる方である。今後ブログに読者からのコメントは控えていただくことにしたところ、その一人がフェイスブックの友人の要請があり、快諾した。「友だち」になった。嬉しい。しかし実体のない友人、若い時のペンパルのような斬新感がある。
 私は若い時に人の批判などに敏感で悩んだが今は平静に受け入れられるようになった。感覚が鈍くなったのか、包容力が大きくなったのか、大げさに言うとかなり「解脱」し、仏に近付いているのではないか。私も人に非難や批判で傷つけたことがないとは言えない。許していただきたい。政治家に言っておきたい。敵国と和解し、正常化を図ってくれと。