崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「慰安婦」

2014年07月09日 05時14分17秒 | 旅行
昨日は日中戦争勃発記念日であった。先日私たちの読書会に参加して「慰安婦」問題によい意見を語ってくれた鈴木文子教授が吉見義明氏の文を送って下さった。私は昔から慰安婦に関する諸見解を読んで、ある程度把握している。安倍総理や橋下市長などもこれらの研究をある程度踏まえて政策や発言をしているように感じる。私の認識としては植民地には内地と同様「売春婦」、戦地では「慰安婦」という区別である。しかしその区別は厳格なものではなく、相互関連しているから混乱が起きている。また研究者と運動家の表現の違いがある。運動家は問題を単純化して訴えるところにポイントがある。研究者は戦争の本質に、もっといえば人間性に迫っていく探究者である。この問題についていえば売春婦か慰安婦かあいまいであるなら学者もその事実のまま「曖昧」そのままの見解でよい。政治家や運動家は「強制はなかった」と言っても学者は調査、資料に基づいて自分の見解を述べれば良い。怖いのは研究者が「性奴隷だ」と叫びながら運動家のようになることである。
 二人の研究者の話によると、秦郁彦氏は公娼制において売春に従事していた女性が戦地における慰安婦であったとの意見に対し、吉見氏は公娼と慰安婦は関連があるといいながら慰安婦制度は性奴隷制度の性格が強いという。いずれ植民地と戦争という状況から生じた問題である。地球上から考えると戦争は普遍的な現象のように起きて来て、いまだにその危険性を抱えている現状である。日本が戦争を起こして被爆し、植民地をして反日・抗日運動、そして多くの犠牲者を出したことへの批判は受けて反省すべきであることは痛感する。しかしと言って、性を持って微妙な感情を刺激しながら人権問題として非難と防衛の行動はこの線で終止符を打てないものかと私は怒りを感じる。