崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

蜚語、流言

2014年04月02日 05時49分56秒 | エッセイ
先日神奈川大学日本常民文化研究所のシンポジウムで一緒にコメンテーターをさせていただいた東京大学の佐藤健二教授からご論著数編を送っていただいて読み、大きく勉強になった。それらを読んだり目を通したりして多くのことを考えさせられた。本当に大いに勉強になった。
私も長い間民俗学を勉強して来た者の一人であり、柳田国男の『先祖の話』を韓国語で共訳したこともあるが、主に古いモノへの執着の民俗学からは離れ、近い歴史、現在の問題として植民地研究をするようになった。しかし佐藤教授との対話やご論著を通して斬新な視線に驚いた。フォークロアの社会学的接点がある。一つ例を挙げると、関東大震災の時の「流言」に関するものである。社会が混乱した時期には流言や蜚語が暴力性を持つということである。
 私は終戦時にソ連軍の参戦による不安な時、サハリン(樺太)瑞穂村で日本人が朝鮮人虐殺をした資料に接した時と関東大震災時が酷似していると思った。朝鮮人たちがソ連軍の飛行機へ信号を発するスパイだという蜚語、流言やデマがまわり、それに刺激された日本人青年たちが2日間で同じ村人として生活をした27人の男女、幼児の朝鮮人を虐殺した事件を起こした。私はショッキングなこの事件を知り、ただ残酷さだけでなく、混乱なアノミー状況での流言の暴力性に驚いて、『樺太朝鮮人の悲劇』(第一書房)に記した。常に自分がその蜚語、流言の発信にならないように戒めている。