崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

STAP問題は日本の研究体制を問う

2014年04月16日 05時00分26秒 | エッセイ
 理化学研究所の小保方晴子氏の問題から多くの問題点と教訓が読み取れる。税金による現代版「国策研究」ともいえる研究の問題点が表れている。「国策」とは戦前の悪名高いものだけではない。放射能や地震予防、生命医学などに国家が集中して研究を支援することは当然であり、望ましい。その意味では国策といってもよい。文部科学省が学術振興会に支援する科学助成費(科研費)が主なものである。それは基礎科学の研究を含めても基本的には問題と解決の研究プロジェクト式の研究費である。したがってその科研費は勉学や教育のための奨励費や奨学金とは異なる。私も日本に来てから多くの研究費をいただいており、感謝している。
 理研の問題点も言われているが、研究ノートも検査を受けて印鑑を受けるという事務組織に誤解があるようである。いま世論はそれを望ましいとみているようである。私のような人文社会研究とはかなり異なると感じた。創意力による創造的研究行為は研究者個人の自由な思考と実験などによって成果を出すものであり、複雑な事務の手順を守る模範的な事務員的研究者からは偉大な発明や発見は出にくいのではないかと思っている。
 多くの研究は問題意識を持つテーマによって縦横関係によって支援と協力で行われている。縦的には主に研究を支援しているシステムである。それは学生に教える教育ではなく、研究がよく進むように事務的に支援することである。研究が上司の責任であるなどというのは研究の本質を誤解しているのではないか。研究者自身が事務的に印鑑を受ける手順ばかりでは偉大な創意ある成果は期待しにくい。一人の研究者は自由に無数に失敗と成功を繰り返しながら行われるように保障されなければならない。
 横の関係、つまり分野が異なる学問を繋げる学際的協力という言葉が流行しているように今一般的に行われている。古くは教授、助教授の組織や学派的な派閥的な研究グループを作っていたが、その古いシステムを払拭して異なる分野から繋げ協力するようになっているのは非常に革命的なことである。しかし一部の研究者はその意識や理解が足りず、ただ研究費を得る為に仲間の寄せ集めのように考えている。共同筆者にも軽く参加することもある。研究費を得る為に斬新なアイディアとタイトルをもって申請して、採択されるとそれとは掛け離れていて、ただの奨学金のように使われることもある。採択の厳しさと同様評価もより厳しくしてほしい。今度のSTAP問題は日本の研究体制を問うことである。改善を望む。
 

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