崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

イースター

2014年04月20日 04時52分13秒 | エッセイ
インタネット続報と日本、韓国のニュース、CNNなどで新しい朗報を期待していたが悲報が届く。海洋の軍、警察、民間の600余名の潜水夫とロボットなども救命には繋がらず無力となり焦燥感が強くなる。この時点で36人の死亡、行方不明者266人であり、期待と失望の繰り返し、苛立ちが政府に向かっている(写真は毎日新聞)。潮流が速い、天候が悪い、海が汚れて視野が悪いという。不幸な事故に最善を尽くすべき状況は分かっても成果は少ない。潮流が速いとはいえ、6,7ノットである。私のマンションの前の関門海峡のネオン表示では潮流が速い時は最高10ノットにもなる。日本は島国であり、海上事故も多い国である。救助の支援参加の態勢を整えて待っているが、韓国は受け入れていないという。自分の不幸を自分で対処しようとするので誰も口出しはできない。特に韓国軍の強さ、優秀な先端技術を持っていると信じ、最善を尽くしていることは分かる。しかし水中でロボットが流れ、窓も砕けない。命の救出に準備して待機をしていた日本、アメリカなの協力があっても良いのではないか。ここで私は提案したい気持になる。生命尊重の緊急対策には政治、敵対関係は超えて協力するという機構を設置すべきである。学生時代に評論を書いた小説「西部戦線異状なし」を思い出す。陥井に落ちた二人の敵兵から戦争を見直すものである。
 今日は復活節イースターである。イエスは人類愛を主張して各地を歩いたのに、十字架にかけられて殺されて、復活したことを記念する日である。民間信仰ではこのような人は怨念を持つ幽霊になって祟る悪霊であるはずであるが、命の大切さを訴えている。世界がこの日を広く記念するが日本では今、NHKラジオでは「今日は郵政記念日」とだけ言う。キリスト教の信仰を宣伝することはなくても、「復活」の意味は重いことを認識してほしい。浅い科学知識によれば人は死によって完全に終わると思いがちである。命の死後はないことも事実であるが、真理ではない。なぜなら誰しも死後を懸念しているからである。死後に恥ずかしくならないように生き方を考えることは大事な発想であり、思想、信仰であると悟る日がイースターデーである。

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