崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

家内の誕生日

2014年04月12日 06時38分08秒 | エッセイ
 ソウルの姉からワカメが届いた。多くの読者はその意味が分かるかもしれない。韓国では誕生日祝いには必ずワカメスープを飲む習慣がある。その他プレゼントも届いている。家内の誕生日である。私からは祝う言葉もなく、彼女が自分で作るワカメスープを飲み、時にはケーキを買って一緒に食べるのが精一杯である。しかし私自身の誕生日はかなり意識している自分の心がある。数年前には私の誕生日までと言った通りに2冊の本の発行日になった。先日今、進行中の分厚い本を私の誕生日までにと冗談半分に言ったのを聞いて下さり、6月に向けて大きく進展しているという。
 私は人生において、たくさんの方々に会っている。中でも大事な人との出会いの一番は母親であり、2番目は家内である。先日もある講演の時にも言ったように一個のリンゴをそのままくれる母と、平等に半分をくれる妻とは異なる愛情を教えてくれた家内である。伴侶といい、一心同体という言葉があるが、「多心同体」のような夫婦であることに感謝している。私が嫌がる外回りは家内が得意(?)である。日本人である家内から日本語や日本文化を学び、助言を聞きながら日本社会にも適応していると思う。韓国では私がテレビドラマを同時通訳をして楽しみ、家内は私以上に韓国が好きになったのである。おめでとう。

奇縁から学縁へ

2014年04月12日 04時00分23秒 | エッセイ
 初めて開設された「アジア言語文化」に20人弱の学生が出席した。中には隣の梅光大学からの聴講生もいた。日中韓の3国の学生に共通な言葉を以て社会言語学的に比較していくつもりである。まず中国や北朝鮮で以前頻繁に使われた「同志」という呼称を、「毛沢東同志」「金日成同志」を例にしてその意味を語った。敬語的な呼称の「様」「先生」とは異なって「同志」は上下関係のない、つまり無階級社会を目指す共産主義国家の理念を表すものである。日本では国会の中では上下関係ない平等な呼称として「君(クン)」を使っている。皇族に関して「陛下」とか「サマ」などの呼称とは非常に異なる。呼称が社会構造や政治的な理念を表わすなどの意味を深めていきたい。 
 講義の後に聴講生と話を交わした。中学生の時から韓国語を学んだと言い、韓国語が話せ、読めることを知って私の韓国語のエッセー集の『雀様の学問と人生(참새님의 학문과 인생)』の読後感想を願った。彼女はその本をパラパラめぐって挿入写真の中に自分が写っているのを見つけて驚きの表情、そして嬉しそうだった。彼女が6年前山口県韓国語弁論大会に出て優秀賞を取った時の記念写真であった。写真の中には審査委員長の私の後ろに彼女が立っている。私も彼女であることを確認した。嬉しい奇縁である。奇縁から学縁へと繋がって、面白い。