崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

矛先

2014年04月24日 04時32分31秒 | エッセイ
 一昨夜のKBS夜9時のニュースには気になることがあった。一週間続いている特別ニュース「セウォル号」沈没事故に関する話の中、22日安倍晋三首相が靖国神社に供え物をしたことを報じた。沈没事故ニュース以外のものが伝わっているのは異様な感がした。日本のニュースでは参拝せず簡略にしたことが報道されたが韓国や中国では供え物と参拝は同様のものと報じた。極端に言うと参拝しなくとも心は参拝したのと同じであるということにもなりかねない。私は両国のニュースを合わせてみながら、この韓国のニュースは心配である。なぜなら韓国の悲しみや欝憤を晴らす「矛先を日本」に向けるのではないかという憂いを感じたからである。慟哭の国になっている。悲惨事には助けあうのが普通であるが、その原因を外に向け、恨んだりすることは危険でもある。
 悲しみより怖いのは憎しみである。憎まないためにはそれぞれの良心や倫理が必要である。怒り恨むことは自然な心理現象である。外に矛先を向けて怒る前に何度でも考え直す心理過程が必要だと思う。飲酒により発散することも良いかもしれないが、もっと良いのは「悩む」ことである。「祈る」ことも良いかもしれない。そして許し、肯定的になる。やがては悩みから解放されると思う。人の悩みや怒りの矛先になってあげるのも愛であろう。多くのカウンセラーは「矛先」になる心を持っているのではないだろうか。