崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

み仏に抱かれて

2014年04月15日 06時18分26秒 | エッセイ
 99歳で亡くなられた方のお顔を見てお別れをしてきた。お葬式は下関から20キロほど北の特牛の小山正夫氏の自宅で行われた。式場は私がインタビューと撮影した畳のお部屋と庭先になっていた。数日間の雨後の晴れた日差に涼しい春の風にふかれながら念仏などに耳を傾け、歌を斉唱し、焼香を行った。人に依っては焼香の時、百円玉を捧げて(?)から行っていた。神社への賽銭に似ている。この地域のしきたりだとお隣の人から聞いた。韓国では死者に米やお金をあげる。中国での紙錢を燃やすのと同様であろうか。
 彼は華麗なハイカラさんの人生、錦鯉養殖の趣味とチャレンジ精神に満たされた人だったとのこと、特に私が関心を持っている日中戦争写真については触れられていなかった。なぜであろう。戦争の話はタブーであろうか。隣人たちにもその話は知られていないのかも知れない。安らぎ、長い99歳の終点、念仏は人生は空しく「煙」のようであるという。かなり哲学的である。日本は火葬文化であり、韓国では一握りの土になって帰るということから埋葬文化である。
 彼がまだ元気な時インタビューして撮影して映画「小山上等兵が撮った日中戦争」はいきいきした表情で残っている。カメラマンの権藤博司氏も同行して、冥福を祈った。帰りに食堂に入る時は黒いネクタイをはずした。死の穢れ観念であろう。
 お見送りの歌 みほとけに 抱かれて 君ゆきぬ 西の岸 なつかしき おもかげも きえはてし かなしさよ。み仏に抱かれて 君ゆきぬ 花の里 つきせざる たのしみよ 笑みたもう うれしさよ。と歌われた。