崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

碍子

2008年10月17日 06時44分34秒 | エッセイ
 卒論中間発表を面白く聞いた。古い電信柱の電線をつなげている白い陶器の碍子についてのものである。私はその碍子に鳥がとまっている風景が奇麗で絵に描いたことがあった。韓国では戦前の日本植民地時代に作られた電柱を戦後壊れて使えなくなったものから碍子をはずして、その中に入っている硫黄を取り出して売った人がいた。それを買って熱で溶かしてマッチを作ったこともあった。今は博物館にしか見られない碍子である。
 直塚君は明治時代その碍子の供給に応じて窯業が発展していく過程の中の一部を卒論の問題にしている。私は彼が知らないはずのその中に何が入っているかという質問をし、わざわざ貧乏な時代の体験を自慢するような昔の話をしたりした。車輪の中に入る鋼鉄のベアリングを作って鋼鉄王になったカーネギーという人物を思い出す。金持ちにはこのように人に注目されない小さいものを作ってからでもなれる。私の在日の友人には裁縫用の針を作って金をもうけた人もいる。われわれの服装には数多くの金持ちたちのアイディアが調和して複合されたものであることに思いはたどりつく。