昨日ある学生たちと対話中に私の教員としてのイメージが「やさしい先生」ということがわかった。つまり日本人の学生にはやさしいと感じるいうことであろう。しかし韓国の大学では逆に「厳しい」と言われた。カンニングや成績など厳しく管理して校内では「厳しい先生」として有名になっていた。今では当時のことを反省するところも多い。今のように変わったのはなぜだろうか。年をとったことや国も変わって遠慮するところも多いからかもしれないが、なにより教育への熱心さと方法が変わったのが大きい理由であろう。当時私には韓国で教育を通して国を変えようとする私なりの愛国主義のようなものがあった。それでも世間からは「親日的」などと悪く言われた。しかし自慢話のようなことをいうならば私は信念を持って世間と戦いながら教壇では熱心に正直と勤勉を語り、実践した。常に学生たちが私の良いサポーターであった。日本では教育システムや社会状況が異なっており、その方法を変えたのである。学生が自立していくように助力するという教育方法に変えたことによって「やさしい先生」という評価にかわったようである。