崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

喧嘩の見世物

2008年10月20日 06時36分13秒 | エッセイ
 小倉韓国語弁論大会は弁論、寸劇、詩の朗読などあり多様であった。さまざまな韓国人との出会い、特に食べ物の美味しさが話題になっている。私は審査評でこのモデルをもって全国化の可能性、讃辞の勧めの言葉を語った。しかし舞台裏では在日とニューカマーの喧嘩があった。二人はともに人に尊敬されるような人格者だと思っていた人たちの口論喧嘩を見た。演劇を見るような表情や人格の変を見て驚いた。2百万の金銭関係による喧嘩であるが、両側ともにその十倍や数百倍も損したような気がする。
 日本ではドラマ以外にはこのような言語暴力の喧嘩を見たことがなかったので大変ショックを受けた。私は別の意味で面白かった。表舞台(弁論大会)で「好きです」「美味しい」「面白い」などの「演劇」が行われる反面、裏舞台では「このやろう殺すぞ」という悲惨な「実劇」が行われていた。一種の立体ドラマをみたような面白さもあった。喧嘩は本人のたちの解決方法であり、見世物でもある。