崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

唾液、ツバ

2008年08月26日 06時48分01秒 | エッセイ
 大学院の集中講義の受講生に宮古島出身の院生がいる。私は1974年以後数回宮古島で調査をしたことがあり、ウダキやオナリ(姉妹が男兄弟エゲリを守る)信仰を再確認できた。彼女によれば今では火葬が一般化しており「洗骨」葬はありえないという。民俗的にも日本化してしまったようである。彼女の研究テーマは「唾液とストレス」という心理学的研究である。ツバ、ツバキという唾液は生理的に重要なものであるが、それが口から出ても質は同様であるが文化的にはその瞬間「汚いもの」と思われる。すなわちその瞬間から文化的に「不浄」の意味を持つようになる。人の顔につばを吐くことによって侮辱する。またそれは邪気を祓う呪術力をもっているとも思われる。韓国では商売人が最初の売上の札につばをかける習俗がある。涙は強く訴える力をもつ。私の泣きの文化説と、イギリス人類学者メリーダグラスの不浄の理論に発展していく。
 
 北京オリンピックの閉会式の模様が印象に残っているだろう。私はその素晴らしいマスゲームのような模様を見て数年前に北朝鮮の平壌でみたアリラン祝祭を思い出した。構成が非常に似ていて、むしろ北京のものがリズム感覚の律動感が弱い。それは過去社会主義がマスゲームやカードセクションパレードなどで人間を均一化して独裁化した残滓のようなものである。オリンピックが個人のスポーツ的能力を発揮させる場ではなく、国家の示威の場になっている感がある。IOCのメンタリティに失望し、改革を期待するところである。