崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

 生贄

2008年08月04日 06時39分34秒 | エッセイ
 一人息子を神様に生贄として捧げるという話が旧約聖書にアブラハムの信仰として書かれている。その箇所は危険な箇所でもある。その真意をくみとることは難しい。生贄をそのまま過信したスペイン原理主義植民者たちが原住民のインディオを生贄として人種抹殺したことがある。この事実はトドロフによって生々しく記録分析されている。
 私は大学時代漢文の先生から聞いた王昭君の伝説を思い出す。元帝の後宮にあったが、匈奴との融和のために公主とされて一子を産んだ。絶世の美女であったが宮廷画工の毛延寿に贈賄しなかったので醜女に描かれるなどして嘆き死んだとされる。王昭君の悲劇は、戯曲『漢宮秋』となり、傑作として欧米にも紹介された。
 王様は一人子の息子がお釈迦様を侮辱したということで死刑を宣告した。許してほしいという息子に一年間の執行猶予を与え、贅沢な生活を許した。しかし息子はは死ぬことを悩み一年後には非常に痩せていた。父王は死を前にして生きる人間への生き方を訓じている。我々は死を宣告されいるような存在であることを意識すべきであろう。