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広島忌

■旧暦6月24日、月曜日、

土曜日に松戸花火があってから、花火で句を作ろうとしているのだが、どうもできない。花火は簡単にできそうで、なかなか難しい。ぼくの技量に問題があるのかもしれないが。今日は、午後から、カイロ。このところ、調子のいい日が増えてきた。普段、カイロの後は一時的に、耳鳴りが激化するのだが、今日は、終日、ゼロ。



今日は、広島忌。広島で14万人、長崎で7万の死者。現在生存中の被爆者は国内外に約25万1,000人。これを無差別爆撃の犠牲者と比較してみると、
・1937年のドイツ軍によるスペイン・ゲルニカ爆撃の死者:数百~2,000人
・1938年から5年間に及ぶ、日本軍の重慶爆撃の死者:2万人以上(中国側資料)
・1945年3月の東京大空襲の死者:数時間で約10万人
(以上は、朝日新聞2007年8月6日の記事から)

人が一人死ぬことの重みも、言葉ではなかなか表現できないと思う。これだけの数の多様な人間が一挙に、しかも人為的に地上からいなくなったことに俳句はどう拮抗したのだろうか。

教堂に純白の壁原爆忌    飴山實『おりいぶ』

朝の膳に向ふ八月六日晴れ   原朋冲

片脚のばつたが歩く広島忌   井上土筆

魔の六日九日死者ら怯え立つ   佐藤鬼房

原爆忌海一滴もそこなはず   宮坂静生

■詩の拮抗の仕方とは明らかに異なるが、短い言葉で、見事に表現されていると思う。


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