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原爆詩181人集(7)

■旧暦6月19日、水曜日、

8月! 旧暦だとまだ、6月なんですね。こんなに暑かったわけですか、昔の6月のという月は。

午前中、雑用。自律訓練法を実施して、そのまま眠。起きると、みんな出かけていた。シャワーを浴びて、午後から、図書館。そろそろ、本格的な長い日本語散文に挑戦しようと、アーレントの『責任と判断』を読んでいる。今の日本の状況と重なる部分もあって考えさせられる。大江健三郎の『沖縄ノート』をめぐって、今、司法の場で審理が進んでいるが、アーレントは、司法判断について、こんなことを述べている。

(前略)しかし、個人が法廷に足を踏み入れた瞬間から、現代社会では、通例のように行われていること、すなわち自分の責任を他人になすりつけることが急に許されなくなるのです。(中略)そして人が一人の個人となった瞬間から、問われるのはもはや「このシステムはどのように機能するか」ではなく、「被告がこの組織の一員になったのはなぜか」というものに変わるのです。(『同書』pp.72-73)

この頃、物語にも関心が拡大してきて、図書館で、沖縄と北海道の昔話のCD、開高健の言語をめぐる講演テープを借りる。



西岡光秋、1934年大阪府生まれ。


その朝

その朝 町に出かけた少年がいる
その朝 町から村へ帰ってきた少年がいる

その朝 炎につつまれて消えた少年がいる
その朝 芽生え行くいのちを
しっかりとつかんだ少年がいる

その朝 ヒロシマの町をめぐって
二人の少年の物語が生れた

舞台に上がらない物語のプロットを
生きのこった少年は
あれから じっとあたためている



■この生きのこった少年はどうしたんだろうか。村で被爆したんだろうか。健康で生活できたんだろうか。「生きのこる」ということも、アウシュヴィッツを生きのこったプリーモ・レーヴィの自死やシベリア収容所を生きのこった石原吉郎の自死に近い死に方など、非常に重い問題があると感じる。どうして、あんなに善良なあの人でなく自分が生き残ったのかと。いい人は帰ってこなかったと。
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