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飴山實を読む(29)

■旧暦7月15日、月曜日、

風が吹いて涼しかった。2時まで昏々と眠る。午後から、カイロに出かける。体調は非常に良く、耳鳴りはゼロである。今後の問題は、台風の低気圧と句会の長丁場をクリアすることで、この二つが越えられれば、相当回復したと言えるだろう。これに向けて、調整したいと思っている。

日曜日に、サッチモとビリー・ホリデーの出演した映画「ニューオーリンズ」をDVDで家内と観る。舞台は1917年のニューオリンズ。家内は早口の英語が聴き取れたみたいで、冗談に笑っているが、ぼくの方は、さっぱりで、悔しかった。それはともかく、音楽にも黒人差別が反映されていて、興味深い内容だった。クラシック=白人音楽、ブルース・ジャズ=黒人音楽という構図になっていて、白人でも、ジャズの素晴らしさに気がついている人は、クラブに聴きに来るのだが、人目を偲んでこそこそ来て、知り合いに会うと口止めを頼むのだ。ぼくは、ジャズにそれほど詳しくないが、ビリー・ホリデーの歌とサッチモのトランペット・歌、そして、二人の演技は良かったなあ。演技というより、生き方、地そのまんま。



うぶすなは提灯だけの秋祭   『次の花』

■「うぶすな」(故郷)というのは、離れていると、実にいろいろな思いを抱かせる。これほど、両義的なものもないだろう。久しぶりに帰ると、ああ、帰ってきたなという感慨は、赤城の青い立ち姿であったり、利根川や渡良瀬の流れであったり、空っ風であったり、がらんとした駅の風情であったりする。祭も、ぼくの小さい頃は、楽しみの一つで、夏休みに入るとすぐにあった。風呂に入っている時間も惜しくて、そうそうに夜の町に飛び出して行ったものだった。親子で祭に行くのが、なぜか、気恥ずかしくて、いつも友達を誘って行ったっけ。この句、秋祭りは提灯だけというのである。今みたいにカラオケの騒音もないし、アフリカンドラムの演奏などというしゃれたイベントもない。ただ提灯だけが秋風に揺れている。あたりは、しーんと漆黒の闇。どこからか、祭囃子が風に乗って聞こえてくる。商店街の振興というより、実りの神に感謝する祭。こんな秋祭もいいですねえ。
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