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長崎忌

■旧暦6月27日、木曜日、

今日は、雑用を済ませてから、国府台病院で自律訓練法の指導を受ける。よくできているとほめられた。自律訓練法を一日三回やるようになってから、逆に、胸で呼吸するのが苦しくなった。日常でも自然に腹式呼吸になり、その結果、物事に焦りを感じることが少なくなった。これに太極拳を組み合わせて、相乗効果を高めたいと考えている。

先日、家内が娘の誕生日に星野道夫の写真集を買ってきた。星野さんという写真家は、確か、北極グマに襲われて亡くなったのだが、亡くなった後に制作されたガイアシンフォニーという映画をかなり前に観たことがある。そのとき、星野さんの周囲にいた人たちのユニークさ、星野さんの撮影していた自然の雄大さが強く印象に残っていた。今度、写真集を見て、びっくりしたのは、文章がいいのだ。一級の詩人の文章と言っていいんじゃないか。自然を長く見つめてきた人の身体から発せられる言葉は清清しい。


個の死が、淡々として、大げさではないということ。
それは生命の軽さとは違うのだろう。
きっと、それこそがより大地に根ざした存在の証なのかもしれない。



すべての生命が動き続け
無窮の旅を続けている。
一見静止した森も
そして星さえも
同じ場所にとどまってはいない。



人の心は深く、そして不思議なほど浅い。
きっと、その浅さで、人は生きてゆける。



何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
あわただしい、人間の日々の営みと平行して、もうひとつの時間が流れていることをいつも心のどこかで感じていたい。



この世に生きるすべてのものは
いつか土に帰り
また旅が始まる。



さまざまな生きもの、一本の木、森、そして風さえも魂をもって存在し
人間を見すえている。


(以上『愛の物語』星野道夫著 阪急コミュニケーションズ)

■この写真集を見て、「現場で考える」ことの凄さを感じた。そのときには、考えや感じたことは、まとまらないのかもしれないが、現場(それがどんな現場なのかという問題は常に問われるにしても)が促す何ものかの力は非常に大事な気がする。その意味では、俳句の吟行や旅というのは、とても面白いと思う。



湾曲し火傷し爆心地のマラソン   金子兜太

■今日は長崎忌。この句は、てっきり広島のことを詠んだものと思っていたが、昭和三十年代に長崎で詠まれたものらしい。この句は、「爆心地のマラソン」という言葉で、なんとも言えず乾いた現実を伝えてくる。原爆は、投下されてから後が一生地獄だという現実と響きあうからだ。現実を告発した一行詩。
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