シンポジウム「無名時代・表現の獲得と揺らぎ」
表現はどのように獲得されるのだろうか …
人はどのようにして作家、詩人、思想家になるのだろうか …
作品や表現は世に出た後も揺れ続けるのではなかろうか …
今井勉(東北大学):ヴァレリー
深井陽介(立命館大学):ランボー
中島淑恵(富山大学):ヴィヴィアン
鎌田隆行(信州大学):バルザック
司会:阿部宏(東北大学)
東北大学大学院文学研究科
フランス語学フランス文学専攻分野主催
日時:2012年12月8日(土)13:00-18:00
会場: 文科系総合研究棟11階・大会議室
*終了後に懇親会(参加自由)を予定しております*
問い合わせ先:阿部宏(E-Mail : hrshabe.sal.tohoku.ac.jp)
講演レジュメ
今井勉
「イメージの終焉―1930年の欄外注草稿を読む―」
1930年,ヴァレリーは1895年のデビュー評論『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』のテクスト欄外に合計五十九個の注を加える.青年期の思考の総決算から三十五年後の自注は,しばしば批判的な補足の調子を帯びる.なかでも,物質のイメージを論じた箇所については,最新の科学知に基づく見解を加える例がいくつか見られる.本発表では,1930年の欄外注草稿(テクストのゲラ刷りの欄外に手書きの注を記したもの)を手掛かりとして,物理学的エピステーメーの転回が詩人思想家ヴァレリーにおいて持った意味について考察してみたい.
深井陽介
「錯乱(II)ー形式のロジックー」
本発表では、ランボーが初めて公刊した単行本『地獄の季節』のうちで重要な位置を占める、「錯乱(II)」の反故草稿と決定稿を比較しながら、如何なる改変を経て出版に至ったのかを検討していきたい。「錯乱」という題名とは裏腹に、ランボーは引用されている詩や散文の長さや形体、それに扱われているテーマなどに関して、かなり入念な手を加えている。これは読者や出版者に対する配慮や意向、それにランボー自身の考えの推移を表していると考えられる。本発表では、散文のなかに詩を引用するという、ランボーに良く見られる形式に着目して、テクスト生成論の立場から作品に内在する論理を明らかにしたいと思う。
中島淑恵
「20世紀初頭のフランス文学におけるジャポニスムの変容―ハーンを参照するヴィヴィアン」
ルネ・ヴィヴィアンが,エレーヌ・ド・ジュイレン・ド・ニーヴェルトと共同の筆名で1904年に発表した小説『二重の存在』では,日本通のアメリカの女流詩人ヴィヴィアン・リンゼイなる人物が物語の展開の中で重要な位置を占めている.この人物が物語中で披歴する日本に関する知識のうち,「螢」についての記述と「餓鬼」についての記述が,明らかに1902年に発表されたラフカディオ・ハーンの『骨董』の引用であることが判明した.同時代のフランスにおいて,このようなかたちでハーン作品が受容されている事実が明らかになったことはこれまでになく,このことは,英語でハーンを読み直接的な影響を受けた人々が,新たな文学生産を行なっていたことを証明する契機ともなった.本発表では,「餓鬼」に関する記述を中心に,そのあり方を検討してみることにしたい.
鎌田隆行
「バルザックにおける第二次の架空テクスト――支持体の生成論の試み」
本発表は印刷物の生成論の問題の一環として、バルザック『人間喜劇』の作中にしばしば見られる第二次の架空テクスト(登場人物が書いたとされる文学作品の断片、新聞記事、宣伝広告文、あるいは看板、碑文等)の分析を試みる。興味深いと思われるのは、これらはしばしば作者が執筆や校正を進めるうちに(また場合によっては再版の際に)事後的に導入されていることで、その後、校正が繰り返される中で判型に合わせて分量が調整され、また印刷効果にも工夫が凝らされる事例が複数確認できる。本論ではいくつかの具体的なケースを取り上げ、バルザックの作品におけるこうしたテクストの生成過程、そこでの支持体の役割、そして物語に対する意味作用の考察を行いたい。
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