西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

Boris Vian ボリス・ヴィアン

2011年01月28日 | 文学一般 海外
http://www.lemonde.fr/cgi-bin/ACHATS/acheter.cgi?offre=ARCHIVES&type_item=ART_ARCH_30J&objet_id=1143496

ボリス・ヴィアンといえば、サルトルのことをJean Saul Partreと呼んで興じ、恋人とスケートを楽しみ、そして、その結末は彼女との悲しい別れだった『日々の泡』を思い出します。彼はまた、トランペット奏者であったことを知りました。

現代ヨーロッパでは、クラシック音楽は衰退傾向にあるらしい。
日本人に圧倒的な人気をもつショパンも、彼がデビューした当初は、異端者扱いにする音楽家がいたという。ショパンが作曲する曲は、これまでの古典派の音楽とは異なり、不安定な音が連なる前代未聞の音楽だったからだ。サンドがショパンに惹かれたのは、サンドの気質からいって、そうしたショパンのロマン主義的傾向にあったのではないだろうか。
歴史は古きものから新しいものへと常に移行と再生を繰り返してきた。
未来には、ジャズやポップが古典音楽のひとつといわれる時代が訪れるのだろう。

La troisième vie de Boris Vian
Article publié le 18 Décembre 2010
Par Michel Contat

Source : LE MONDE DES LIVRES
Taille de l'article : 877 mots
Extrait :
Son entrée dans « La Pléiade », consécration légitime ou promotion discutable dans la hiérarchie des belles-lettres ?. De son vivant, Boris Vian (1920-1959) vécut des « vies parallèles » : trompinettiste de jazz, ingénieur sorti de Centrale, employé à l'Association française de normalisation, section Verrerie, puis à l'Office du papier, critique de jazz (« alors que ça n'existe pas », disait-il), romancier, nouvelliste, poète, traducteur, dramaturge, satrape du Collège de pataphysique, parolier, chanteur, comédien, directeur artistique d'une maison de disques... Au total une figure majeure et ironique du Saint-Germain-des-Prés de Sartre et Beauvoir.

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サンドの詩

2011年01月25日 | サンドの作品など


Poème de George Sand à Aurore (1866)

La nature est tout ce qu'on voit,
Tout ce qu'on veut, tout ce qu'on aime.
Tout ce qu'on sait, tout ce qu'on croit,
Tout ce que l'on sent en soi-même.

Elle est belle pour qui la voit,
Elle est bonne à celui qui l'aime,
Elle est juste quand on y croit
Et qu'on la respecte en soi-même.

Regarde le ciel, il te voit,
Embrasse la terre, elle t'aime.
La vérité c'est ce qu'on croit
En la nature c'est toi-même.


リストのロマンス "O pourquoi donc" (1848):

"http://www.youtube.com/watch?v=2V8LMATSF_8"

画像はリストの胸像です。
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笛師の群れ

2011年01月23日 | 文学一般 国内
Sur les Pas des Maîtres Sonneurs

Découvrir le GR de Pays « Sur les Pas des Maîtres Sonneurs »

(JPG) L’itinéraire

En 1853, paraissait le roman de George Sand « Les Maîtres Sonneurs », récit d’une rencontre entre paysans du Berry et muletiers du Bourbonnais. Le sentier emprunte leurs pas, sur un circuit de 185 kilomètres dans les départements de l’Indre, du Cher et de l’Allier. Il forme une boucle de Nohant à Huriel, en passant par Saint-Saturnin, puis de Huriel à Nohant, en traversant Sainte-Sévère.

Le roman

George Sand ne pouvait qu’être inspirée par les Maîtres Sonneurs, joueurs de cornemuse reconnus par leurs pairs, qui constituaient au XIXème siècle, une confrérie avec ses rites initiatiques et ses lois. Appréciés pour la qualité de leur jeu par la population, ils étaient également craints pour les rumeurs qui les entouraient : n’auraient-ils
pas pactisé avec le diable pour si bien maîtriser la musique ?

(JPG) Le roman « Les Maîtres sonneurs » raconte l’histoire de l’un de ces musiciens, Joseph. Enfant simple et faible aux yeux des habitants de Nohant, il contraste étrangement avec ses amis, Brulette et Tiennet. Solitaire, il emprunte certains traits de caractères à Chopin. Il se découvre une passion pour la musique, que ne peut satisfaire le mode majeur inspiré par la plaine, le Berry. Il lui faut connaître le mode mineur de la montagne et des forêts du Bourbonnais. Il part donc, sur les conseils de son ami Huriel, muletier bourbonnais, dans la forêt de l’Alleu, rejoindre Bastien, le grand bûcheux, et perfectionner son art de la cornemuse. Dix huit mois plus tard, Joseph tombe malade et réclame ses amis berrichons. Huriel vient les prévenir et les accompagner pour le voyage qui les mènera des plaines de Nohant aux bois du Bourbonnais.

L’auteur
George Sand oppose deux milieux différents, la plaine berrichonne et « ses paysages graves et silencieux, vivant autour de leurs habitations comme poussins alentour de la mue » et le pays bourbonnais alors couvert de vastes forêts, avec ses bûcherons et muletiers « ne possédant rien, prompts à s’ébranler, parfois portés à l’excès ». Elle décrit deux pays clos sur eux-mêmes, qui semblent agir depuis des siècles sur les habitants pour modeler leurs tempéraments à leur image.

Le topoguide
(JPG) Un topoguide « Sur les pas des Maîtres Sonneurs, entre Berry et Bourbonnais » est disponible depuis le printemps 2006, aux éditions de la « Fédération Française de Randonnée Pédestre ». En vente dans toutes les bonnes librairies, dans la grande distribution et sur le site Internet de la FFRP (Réf. 361 - 13,95€)

Pays de George Sand
134 rue nationale
36 400 La Châtre
Tel. 02 54 48 10 65
Fax. 02 54 48 53 20
paysgeorgesand@pactlachatre.com
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プルースト『失われた時を求めて』新訳

2011年01月20日 | 講演会 Conference
フランス文化講演シリーズ(第253回):



プルースト『失われた時を求めて』新訳―その文体と登場人物

日時:
01月21日(金曜) 18:00 - 20:00
会場:
日仏会館ホール - 渋谷区恵比寿3丁目

イベント参加登録: 参加登録にはログインが必要です。ユーザー登録は、左メニューの「登録する」でお願いいたします。

La nouvelle traduction de Proust, À la recherche du temps perdu : son style et ses personnages

講師 吉川一義 YOSHIKAWA Kazuyoshi (京都大学大学院文学研究科教授)

参加費1,000円(学生500円、日仏会館会員無料)  定員120名 要事前参加登録


プルースト『失われた時を求めて』の新訳第1巻(『スワン家のほうへ I 』(岩波文庫、2010年11月)が上梓された機会に、この大作の新訳を出す意義について、文体を中心にお話します。そのうえで翻訳第1巻「コンブレー」を素材に、家族のメンバー、女中のフランソワーズ、レオニ叔母、ジルベルト、ゲルマント公爵夫人、ブロックやルグランダンなど、さまざまな人物の登場の仕方、話しぶり、振る舞いがどのように描きわけられているかを検討し、プルーストの人間認識について考察します。


吉川 一義(よしかわ かずよし)
1948年、大阪市に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。パリ・ソルボンヌ大学博士号取得。東京都立大学教授を経て、京都大学大学院文学研究科教授。日本プルースト研究会代表。日本フランス語フランス文学会会長。専攻、近現代フランス文学。フランス教育功労章(パルム・アカデミック)のオフィシエ級受章。フランス学士院(アカデミー・フランセーズ)より、2010 年度フランス語フランス文学顕揚賞受賞。


Conférence en japonais sans traduction

会場:日仏会館ホール - Webサイト
日仏会館1階ホール専用エントランスより入館
定員 120名(最大150名)
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Sortie avec Berry Nature

2011年01月19日 | 旅と文学
Sortie avec Berry Nature Environnement à La Chatre
Dimanche 23 janvier 2011

L’association BERRY NATURE ENVIRONNEMENT vous propose une promenade de découverte sur La Vallée de l’Indre autour de La Châtre à partir de 14h.
Pendant 3 heures et sur des parcours de 6 km environ, l’association vous invite à découvrir oiseaux et plantes dans les paysages variés du Berry.
Selon les saisons, nous vous conseillons de vous munir de vêtements adaptés et n’oubliez pas vos jumelles.

tarif : 2,50€

Rendez-vous devant l’église de La Châtre

Renseignements (après 19h)au 02 54 06 02 64 - 02 54 48 19 97 - 02 54 31 10 78

berry.nature.env@wanadoo.fr

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映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」

2011年01月18日 | 映画
ポーランドが総力を結集し、ショパンが送った激動の半生と、ジョルジュ・サンドとの世紀のロマンスを完全映画化した『ショパン 愛と哀しみの旋律』3月5日公開!

2011年3月5日(土)よりシネスイッチ銀座他にて公開

上映時間: 本編 126分
配給:ショウゲート

~愛と運命に翻弄された知られざる激動の人生~
生誕200年 天才作曲家ショパン

ショパン生誕200年を締め括る音楽映画の決定版
ショパンとサンドの激動の愛と運命を描いた、真実の物語
帝政ロシアの専制支配下にあった19世紀ポーランド。愛国心を胸に秘めた若き作曲家フレデリック・ショパン(ピョートル・アダムチク)は、ロシアの圧政に蹂躙されていく母国の姿に心を痛めながらも、自由な芸術活動を求めてポーランド出国を決意する。パリでは音楽が認められず失意の底にいたが、当代随一の人気作曲家フランツ・リストの計らいで念願のパリ・デビューを果たし、たちまちサロン界の寵児となった。名声の階段を昇りつつあった彼は、男装の麗人として知られる稀代の人気作家ジョルジュ・サンド(ダヌタ・ステンカ)と運命的に出会い、彼女の情熱に飲まれるように愛が始まる。彼女の大いなる愛のもと、彼も音楽にのめりこむが、ふたりの愛は平穏なままではいられなかった。ピアニストと作家という芸術家同士のぶつかり合いに加え、サンドの子・長男モーリス(アダム・ヴォロノヴィチ)と長女ソランジュ(ボジェナ・スタフラ)が引き金となる愛の悲劇。9年に及ぶサンドとの日々は、ショパンの運命と音楽そのものにも、激動の変化をもたらしていく。

http://movie.felista.jp/
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寒中お見舞い申し上げます。

2011年01月17日 | 授業・講義・その他
寒中お見舞い申し上げます。

神戸震災から、すでに15年も経過したのでした。
あの日の早朝、偶々つけていたテレビの中の異様な静けさを思い出します。
6000人と言われていた被害者数が、知らぬ間にどんどん増えていたとのこと、
ご冥福をお祈りいたします。

1838年の1月は、サンドにとってもリューマチに悩まされる辛い時だったようです。19日付けの編集者フランソワ・ビュローズの手紙にも、病がひどく今後、一ヶ月は仕事ができなくて2月15日までに『スイリディオン』を終えられないのではないかと書いています。その一方で、ラムネーに関する草稿は、一両日中に何とかするとも書いているのですから、やはりサンドは相当エネルギッシュな作家だったようです。


卯年の今年は、自然が猛威を奮うことがないことを祈りつつ、画像はフランスのうさこちゃんです。お送りした画像がご覧になれなくて残念だったとのこと、すみません。こちらにアップいたしましたので、よろしかったらご覧くださいますよう。





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サンドの『書簡集』

2011年01月16日 | サンドの作品など
受験生にとってはセンター試験、大学では期末試験の多忙なこの時期、日本列島は異例の寒さが続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか。
寒中お見舞い申し上げます。

【サンドの書簡集について】
サンドは生涯にわたり数多くの手紙を書いています。その数は、これまでに発見されたもののみで二万通近くに及び、他にもまだ未発見のものもあると言われています。G.リュバンが編纂した『書簡集』は、1964年に第1巻が Classiques Garnierから出版されて以来、第25巻まで同出版社から毎年一冊のペースで1991年まで刊行されてきました。第26巻の補追版は、オランダのDu Lerot社から1995年に出版されました。この26巻のほか、チエリ・ボダンThierry Bodinが付け加えた『再発見された書簡』Lettres retrouvees, Gallimard, 2004があります。

【ジョルジュ・リュバン氏】
サンドは自身の個人的思索や私生活が作品に反映されやすい作家であるとされています。それだけに、リュバン氏の『書簡集』が世界のサンド研究を推進する大きな梃子の役割を果たしたことは、言を俟たないといえるでしょう。書簡集につけられた注釈は並大抵のものではなく、そこには、時系列に沿ったサンドの家族関係、家庭環境、あらゆる分野における交友関係、文学や芸術の潮流、社会、政治状況から、サンドの住居、旅などの移動状況、当時の交通、天候、気候、災害、流行病にいたるまでが詳細に網羅されています。

ジョルジュ・リュバンの『書簡集』は、1964年から1991年まで二十七年間にわたり、ほぼ毎年一冊ずつのペースで本屋さんに並びました。南仏に留学中(四年間)の貧しい院生生活を送っていたサンド研究初心者にとって『書簡集』はまさに年一回の心躍るサンタの贈り物、相当に高価ではあったものの、何を置いてもまずは『書簡集』といつも本屋さんの本棚に目を凝らしていたものでした。それだけに、途中の巻で刊行停止になるかもしれないという噂を耳にした時には胸が痛みましたが、こうした危機も乗り越え、『書簡集』は最終刊まで無事に出版を完遂したのでした。
これには、ジョルジュ・リュバンの並々ならぬサンドに対する熱い情熱とそれを理解し支え続けたマギー夫人の努力が反映されていたからでした。

すでに15年ほど以前のことになりますが、リュバン氏に一度でもお会いしてみたいと思い、手紙で会見をお願いしたところ、驚いたことに、見も知らぬアジアの一介のサンド研究者に会ってくださるという好意あふれるお返事を頂戴いたしました。
パリ郊外のサンクルーにある広いご自宅の門のベルを押すと、リュバン氏が二階のバルコンから、にこやかに手を振ってお迎えくださいました。その姿は、今でも鮮やかに目に浮かびます。家の中に通されると、お食事をされた後だったのでしょうか、マグロのお料理の香りが漂っていて緊張感がほぐれていくのを感じたことを覚えています。年上の夫人の面倒を見ておられるとのことでしたから、お食事も氏が用意されていたのかもしれません。お二人とも長寿でおられました(夫人は102歳、リュバン氏は確か98才で数年前に逝去されました)。

書斎に通されると、そこには特別に取り付けられた何本もの整理棚が天井まで聳えていました。パソコンもインターネットもまだ普及していない時代のことです。氏はサンドに関するデータをすべてカードに手書きで書き込み、テーマ別にABC順に引き出し式の整理箱に整理しておられたのでした。サンドの手紙を一通ずつ読み、日付順に整理していくという、一見ごく単純そうな作業も、サンドが日付を書き忘れていたり、間違えた日付を記載していたこともあって、改めて、差出人、宛先人の手紙と照合して手紙の順番を決定しなくてはならなかった煩雑さ、あるいはどうしても順番を決定しえない苦悩、あとから新たに出現した手紙の内容が以前の並び順を覆すもので、すべて最初からやり直さなくてはならなかったこと等々、氏は、様々なお話をしてくださいました。

二階はサンドのギャラリーのようになっていて、そこにはサンドが亡くなった1876年6月8日に採取されたという月桂樹の葉に縁取られたサンドの肖像画や写真、絵画が壁に飾られており、陳列棚にはサンドに因んだ品々が並んでいました。リュバン氏は、サンドの生地ノアンの木工職人が作ってプレゼントしてくれたという、サンドが実際に使っていたライティング・デスクのミニチュアがとてもお気に入りのようでした。それを見せて下さったときの氏の堪らなくうれしそうな笑顔は、今でも懐かしく心に残っています。

サンド『書簡集』については、霧生和夫先生がコンコルダンスを作成してくださっていましたが、すでに全巻を読破されたとのこと、是非ともお話を伺うことができる日の近いことを願っております。


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スーザン・ソンタグ・朝吹真理子

2011年01月15日 | 新刊書(国内)
『私は生まれなおしている 日記とノート1947-1963』 
スーザン・ソンタグ著 木幡和枝訳 河出書房新社 3200円

Susan Sontag=1933~2004年。20世紀米国を代表する批評家・作家。著書に『反解釈』『写真論』『隠喩としての病』など。

本書について、朝吹真理子(作家)と今福龍太(文化人類学者・東京外語大教授)の書評を次のサイトで読むことができます。

"http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20110111-OYT8T00298.htm"

朝吹真理子(1984年12月 ~):
2010年第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少で受賞
1984年、東京生まれ。慶應義塾大学前期博士課程在籍(近世歌舞伎)。2009年9月、デビュー作「流跡」を、2010年8月、新作「きことわ」を発表。同年9月、「流跡」で堀江敏幸氏選考によるドゥマゴ文学賞を最年少受賞。『流跡』が初めての著書となる。

* 『流跡』(「新潮」2009年10月号)(2010年10月29日:新潮社:ISBN 978-4-10-328461-1)
* 『家路』(「群像」2010年4月号)
* 『きことわ』(「新潮」2010年9月号)
第144回芥川龍之介賞受賞・平成22年度下半期

父は詩人・仏文学者の朝吹亮二、祖父は朝吹三吉。
フランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』、ボーヴォワールの翻訳やサルトルとの交遊で知られる翻訳家の朝吹登水子は、大叔母にあたる。

『流跡』新潮社 (2010/10)
第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少で受賞した大型新人の鮮烈なデビュー作。
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ジャンヌ・ダルクの画像

2011年01月13日 | 授業・講義・その他
フランス文学の授業の受講生の皆さんへ

『ジャンヌ』(Gサンド)の授業で画像が真っ白になって見られなかったジャンヌ・ダルクの画像をこちらにアップします。

 

ルーアンの町


アングルが描いたジャンヌ・ダルク (1854年)


銅像


オルレアンの解放


尋問  P・ドラルーシュ


ジャンヌの塔


銅像
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