西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

ジョルジュ・サンド賞の授与

2013年12月31日 | サンド研究


今年、書き忘れていたことがあったことに今頃、気づきました。

6月のベルギーのG.サンド国際学会にて、ジョルジュ・サンド記念賞がアナベル・レア元会長(アメリカのサンド学会)の手より渡されました。
この栄誉を授与したのは、次の三名の若手研究者でした。

1. Rachel Corkle (New York University) pour George Sand Juge de Jean-Jacques : from the Philosophical Dialogue to the Bildungroman.

2. Anne Marcoline (University of California Santa Barbara) pour Hearing Double : the Musical Body and the Female Voice in the Works of E.T.A. Hoffmann and George Sand.

3. Manon Mathias (Oxford Trinity) pour Apprendre a voir: the Quest for Insight in George Sand's Novels

Le precis de ces trois theses est disponible (en angalis) sur le site de la GSA : dans le menu a gauche, cliquer sur « The George Sand Memorial Prize » et ensuite sur « George Sand Memorial Prize ».

Merci Annabelle pour cette info.


日本でも若い女性サンド研究者が誕生しつつあります。
新たな年を迎えようとしている今、彼女たちにも大いに期待したいと思います。

2013年が終わろうとしています。本年も拙ブログをご訪問下さいまして、ありがとうございました。
皆様、どうぞ佳き年をお迎え下さい。





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"Ces femmes qui ont réveillé la France" 

2013年12月30日 | 女性文学・女性


以下は試訳です。



 フランスが占領下に置かれ、国民が殺され、国の行く末が心配となっていた。人々が国力を疑い、国家の統一を見失っていた時だった。
 運命が扉を叩いた。
 伝説によれば、ムーズ川流域のドンレミという小村の出の若い娘が、超自然の不思議な奇跡の声を聞いた。彼女はカトリーヌ聖女とマルガリット聖女に付き添われたミカエル大天使に出会う。聖女たちは彼女に国王とフランスを救うようにと説き諭した。

 こうして、勇気と心意気、そしてとりわけ信仰心が、そしてまた驚くべき純真さと勇猛な即断力、それに生まれつきの大胆果敢さ、これらがジャンヌ・ダルクに百年戦争の流れを一変させ、フランスの運命を自らの懐に戻し、国の悲運と記録に残るはずだと思われていた祖国の歴史を変えたのだった。
 ジャンヌ・ダルクの英雄的な行いは、あたかもフランスの蘇生を告げ鳴り響く勝利のラッパのようだった。彼女が祖国を守ろうとするとき、我々の国を統一した偉大な象徴として、まばゆいばかりに光り輝く姿を現す。

 ジャンヌ・ダルクがフランスのひとつの理念を具現化しているとするならば、マリアンヌはフランス共和国の知名度を高め、擬人化した。1792年の政令以来、国の旗印は、困難に打ち勝ち立ち上がって、自由の帽子フリジア帽と古代の装いに身を包んだ一人の女性となり、それがフランスのイメージとなった。この若い女性は、瞬く間に、18世紀終わりに好んで使われた名前のマリアンヌと命名された。

 この共和国の寓話は、多くの画家や彫刻家、イラスト作家たちに、とりわけ、ローマカトリック教会的な共和国の諸処の像に囲まれたマリアンヌを描くグロにとってインスピレーションの源となった。ドラクロワは高揚したロマン主義を代表する女性である「民衆を導く自由の女神」の像をマリアンヌとして描き、ドーミエにとっては1830年にシャルル10世統治下にいた大臣たちを追放した女性が彼女となった。またアンジェのダヴィッドは、マリアンヌを抑圧のくびきと鎖を踏みにじる武装した女性として描いている。
 マリアンヌはまた、鋳型に収められてレプリカとなりフランス中の市庁舎を飾った。彼女は戦いの犠牲となった兵士たちを讃えるために村や町の数多くの死者を記念する建造物の頂きにも掲げられている。
 
 1792年の革命家たちの意図は、完璧に現実のものとなった。それは、共和国をマリアンヌの表象に一致させ、共和国信仰を樹立することであった。

Jean-Lousi Debré, Valérie Bochenek, "Ces femmes qui ont réveillé la France", Fayard,2013.より
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貴婦人と一角獣 La Dame à la licorne

2013年12月29日 | サンド・ビオグラフィ
「貴婦人と一角獣 La Dame à la licorne」は、ジョルジュ・サンドが小説『ジャンヌ』の中で賞賛しているタピスリーです。サンドは実際にブサック城に飾られていたこの壁掛けのタピストリーを見ていることは、書簡集からも明らかにされています。
サンドとも交友関係にあったメリメは、当時、ナポレオン三世と親しかったこともあって、歴史記念館館長の任を受けていました。このタピストリーは、メリメが発見したとされているようですが、サンドが小説に書いたのは、メリメからこの話を聞いたからだったのかもしれません。これについては、もう少し詳しく調べてみる必要がありそうです。
現在はパリのクリュニー美術館(かつての中世美術館。ブールヴァール・サンミッシェル通りと思います)に所蔵されていますが、塔に幽閉されていたオリエントの王子が退屈しないよう気晴らしとなるようにと特別に製作されたもので、15世紀末にフランドルで織られたと云われています。

六点のタピストリーには、それぞれ次のような不思議な題名がつけられています。

視覚 La vue


聴覚 L'Ouï


嗅覚 L'Odorat


触覚 Le Toucher


味覚 Le Goût


わが唯一の望み A mon seul désir


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%A8%E4%B8%80%E8%A7%92%E7%8D%A3

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リストがピアノを弾くとき...

2013年12月28日 | サンド・ビオグラフィ



「フランツ(リスト)がピアノを弾くとき、私のあらゆる苦しみは詩的なものとなり、魂は高揚するのです」

ジョルジュ・サンド 『日々のことなど』




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映画「ドストエフスキーと愛に生きる」公開

2013年12月27日 | サンド研究

ドストエフスキーは,サンドより後の世紀に生まれた作家だが、フランスの女性作家を心から尊敬していた。
そのドストエフスキーと作家の翻訳者をテーマにした映画が2月22日より上映される。

映画「ドストエフスキーと愛に生きる」公開

1923年ウクライナ・キエフで生まれ、スターリン政権下で少女時代を過ごし、ナチス占領下でドイツ軍の通訳者として激動の時代を生き抜いたスヴェトラーナ。そんな彼女がなぜドストエフスキーを翻訳したのだろうか。一人の女性が歩んだ数奇な人生が、半身不随の重傷を負った息子との関わり合いの物語の中で、ゆっくりと浮かび上がる。


【作品情報】
ドストエフスキーと愛に生きる
出演: スヴェトラーナ・ガイヤー、アンナ・ゲッテ、ハンナ・ハーゲン、ユルゲン・クロット
監督・脚本:ヴァディム・イェンドレイコ
撮影:ニールス・ボルブリンカー、ステファン・クティー
録音:パトリック・ベッカー
編集:ギーゼラ・カストロナリ・イェンシュ
製作:ミラ・フィルム
作品時間:93分
製作国:スイス、ドイツ
2014年2月22日(土)より、渋谷アップリンクとシネマート六本木でロードショー。

http://www.uplink.co.jp/dostoevskii/
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Programmation sonore

2013年12月26日 | サンド研究
sur France-culture a podcaster et/ou ecouter

http://www.franceculture.fr/emission-concordance-des-temps-actualite-de-george-sand-2013-12-07

Nous avons accoutumé ici de nous interroger, de temps en temps, sur l'actualité de telle ou telle haute personnalité du passé et de nous demander, de son temps jusqu'au nôtre, ce qu'elle peut avoir encore à nous dire. Et ce matin c'est de George Sand que nous allons nous saisir, en compagnie de Michelle Perrot, familière aux auditeurs de France culture, qui la connaît admirablement, et qui notamment a publié naguère une belle édition de ses écrits politiques, des polémiques auxquelles elle s'est livrée. Le destin de George Sand recouvre et recoupe tous les tumultes du XIXe siècle, depuis la Révolution de Juillet 1830 jusqu'aux débuts de la Troisième République. Au moment de ses obsèques, Victor Hugo s'est écrié : « Elle est morte, la voici vivante ! » Vivante toujours en effet, et jusqu'à nos jours, c'est ce que nous allons nous attacher à démontrer. Sur la République, dont elle s'est faite très tôt le thuriféraire enthousiaste, sur le socialisme, qu'elle a rallié explicitement un peu plus tard, sur le féminisme, dont elle s'est voulue une propagandiste déterminée, elle a beaucoup à nous dire. Quelle République, portée par le Peuple, un peuple à la fois abstrait et concret ? Quel socialisme, entre fraternité et solidarité, doctrinaire ou évangéliste ? Quel féminisme, souvent critiqué pour avoir privilégié les droits sociaux aux dépens des droits politiques ? Je gage, en tout cas j'espère, que lorsque l'heure qui s'ouvre se sera écoulée, la science et la sagacité de Michelle Perrot nous auront aidé à donner une réponse à ces interrogations, en éclairant l'héritage très actuel d'une femme qui fut, en vérité, hors de pair. Jean-Noël Jeanneney

Programmation sonore :

- Lettre de George SAND adressée au comte Albert GRZYMALA en 1838, une lecture de Sylvia MONTFORT, enregistrée en 1969.

- Lettre de Honoré de BALZAC adressée à Ève HANSKA en 1838, lecture diffusée sur la radio nationale le 16 décembre 1958.

- Extrait d?un Bulletin de la République de Geroge SAND, publié en 1848, une lecture de Nadine ALARI dans le cadre de l?émission Chroniques sauvages de Robert ARNAUT, sur France Inter, le 13 juillet 1991.

- Interview d?Aurore SAND, petite-fille de George SAND, par Eveline SCHLUMBERGER, le 10 juin 1954.

- Lettre de George SAND au prince Napoléon Jérôme datée du 25 novembre 1870, une lecture de Christiane REYGNAULT, diffusée sur la radio nationale le 23 décembre 1958.

Bibliographie :

- George SAND, Politique et polémiques (1843-1850), présentation de Michelle PERROT, Belin, 2004.

- Martine REID, George Sand, Gallimard, 2013.

- Martine REID, Signer Sand, Belin, 2004.

- Michelle PERROT, Histoire de chambres, Seuil, 2009.

- Michelle PERROT, Mélancolie ouvrière, Grasset, 2012.

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Actualité de George Sand - Histoire - France Culture
www.franceculture.fr
Nous avons accoutumé ici de nous interroger, de temps en temps, sur l’actualité de telle ou telle haute personnalité du passé et de nous demander, de son temps jusqu’au nôtre, ce qu’elle peut avoir encore
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1875年12月25日

2013年12月25日 | サンド・ビオグラフィ



サンドの日誌より

1875年12月25日(土)

天気悪く、雨。子供達は家の中でもらったばかりのおもちゃで遊んでいる。大変な楽しみようで、まさにクリスマス休暇のまっただ中。
おちびさんたちは、クリスマスツリーの贈り物を村の子供たちに配ることが楽しくてたまらない。
このようなパーテイでは決して見かけることのない貧しい子供たちに。

ジョルジュ・サンド
日誌 第五巻 1872-1875
トウゾ出版社 p.324




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1875年ノアンのイヴ

2013年12月24日 | サンド・ビオグラフィ

この世を去る半年前、最後のクリスマスをサンドはどのように過ごしたのでしょうか。
ショパンとの別離の後、サンドの伴侶となったのは、彫版家のマンソーでした。彼は忠実な秘書としても尊敬する作家に献身的な愛を捧げました。サンドがどのように日々を過ごしたかをマンソーが記録した日誌は現在も貴重な資料として残されています。マンソーの死後は、サンド自身が日誌をつけていました。1875年のイヴのノアンの様子をサンドは次のように記しています。


1875年12月24日(金)

温暖な気候、白い霧。
子供達は感動と遊びに酔いしれた一日を過ごした。孫娘たちはお人形さんのためにクリスマスツリーを作り、母親が村の子供達のためにと勤しんでいるツリー作りを手伝っている。モーリス(サンドの長男で孫娘たちの父親)は、劇場で福引き作りをしている。私は原稿の手直しである。
(・・・)福引き券を配ると、大当たりの期待ではちきれんばかりの大騒ぎ。そこで、幕間を入れせざるをえない。人形劇の人形たちは、陽気で魅力的だ。
さきほどからずっと、全員がちょっとしたことにも笑い転げている。
満ち足りて大忙しだったおちびさんたちは、自分たちの部屋に寝に行く。彼女達は喜びに酔いしれている。
われわれは真夜中に夜食を取る。リナが作ってくれた美味しいものをむさぼり食べる。
午前二時、客間にゆきダンスを躍る。
私はピアノを弾き、リナが歌う。
三時にお開きとなる。
今は三時半。私はいたって健康である。

ジョルジュ・サンド
『日誌 第五巻 1872-1875』
トウゾ出版社 p.324


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お詫びとお願い

2013年12月23日 | サンド研究
このところ、パソコンの調子がおかしくなってしまっています。
完全にダウンしてしまっていれば修理に出せるものを、時に応じ快適なので安心して使っていると突然ご機嫌斜めとなってしまうので、まったくもって手に負えません。

Chromeとマックの相性が悪いせいらしいと云うので、Chromeを排除してみたけれど、やはりスリープの後の立ち上げが駄目なのです。

スリープをやめ、毎回、電源を切ってやり直せば、何とか大丈夫かというような現状ですが、立ち上がりに異常な音が伴う場合があり、いつまでもつことやら。やはり修理に出すべきなのか、パソコンを新調すべきなのか。

最も頭を悩ませているのがメールです。
同じメールが同時に10通も送られてくる、送受信不可能、etc. この数日来、harukon@....にメールをお送り下さっていたみなさま、本当にごめんなさい。せっかく送って下さったメッセージが何度も戻ってきてしまったというご連絡をいただきました。大変、申し訳ございません。

yahooメールは問題なく機能していますので、そちらのアドレスにご連絡下さいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
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「女性作家を読む」研究会

2013年12月23日 | サンド研究

28日の会が迫って参りました。ご連絡が遅れておりまして申し訳ございません。
ご参加下さいます皆さま、押し迫った時期で恐縮です。まだ今週も授業のある大学も沢山あり、最近は昔のように教師がなかなか休みを取れないというのが実情ですので、ご了承下さいますよう。年末の多忙な時期ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


      第28回「女性作家を読む」会

日時  2013年12月28日(土)2pmー4pm
場所  跡見学園女子大学文京キャンパス:1号館3階小会議室

研究会

- テーマ:"Ces femmes qui ont réveillé la France" を読む 

-企画案討議: 佐藤浩子 松田裕子 吉川佳英子 田戸ひろ子 西尾治子

- 報告:2014 年春の講演会開催に関する経過報告

懇話会:丸の内のワインバーにて

コーデネーター
西尾治子

いよいよ寒さが厳しくなってきました。みなさま、どうぞ風邪にお気をつけ下さいますよう。

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