西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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第34回(2017年度)渋沢・クローデル賞受賞者の言葉

2018年03月17日 | 受賞
第34回(2017年度)渋沢・クローデル賞受賞者の言葉

本賞 渡辺 優 「スュランの魅力、神秘主義の魅力」

 スュランという人物については、ポーランド映画の名作『尼僧ヨアンナ』や、A. ハクスリーの歴史小説『ルダンの悪魔』などを通じて耳にしたことがあるという方はいるかもしれません。いずれにせよ、「知る人ぞ知る」という程度には知られている彼の名は、17世紀フランスに起こった「ルダンの悪魔憑き事件」において、エクソシストとして修道女の悪魔祓いに傾注した果てに自らが悪魔に憑かれてしまうという、俄かには信じがたい出来事の主人公として認識されてきました。

 しかし、私の研究の主眼は、むしろその後の彼の歩みに置かれています。悪魔憑き体験以後のスュランの霊的道程――彼は、15年とも20年ともいわれる「魂の暗夜」の試煉を抜けた後、故郷ボルドー周辺の農村地帯で司牧と宣教に奔走します――を辿りなおすことで、センセーショナルな「体験」に目を奪われがちであった従来の見方を問いなおし、スュラン理解を刷新すること。これが本書の第一の目論見でありました。

 ところが、この試みは、たんにスュランという一人物の評価を再考することにはとどまりませんでした。それはそのまま、「神秘体験」をその中心に据えてきた従来の「神秘主義」理解、あるいは「宗教」理解を問いなおすことにも繋がっていったからです。圧倒的な現前の体験をその身に被ったスュランですが、彼はむしろ、一切の体験が去っていってしまった後に到来した境涯、暗く、曖昧で、漠然とした「信仰の状態」に、闇に宿る神を求めて恋い焦がれ、彷徨う魂の幸い(un heureux naufrage)を見いだし、言祝いだのでした。

https://www.mfjtokyo.or.jp/news/388-34-2020.html


奨励賞 宮下雄一郎 「政治学と歴史―第二次世界大戦期の「フランス」」
 1940年6月、フランスは早々と敗れ、フィリップ・ペタン元帥を首班とするヴィシー政府に加え、その正統性を否定するシャルル・ド・ゴール将軍率いる自由フランスが誕生しました。「フランス」という括弧つきの国際政治アクターに引き裂かれたのです。ド・ゴールは敗北の屈辱を払拭し、大国の地位を回復することを目指しました。そのために戦後に夢を託し、第一にフランスを代表する「正統なアクター」としての地位をヴィシー政府から奪取し、第二に連合国の戦後国際秩序の構築に向けた動きに関与し、その秩序の中での大国再興を目指しました。

 本書が力点を置いた国際秩序構想をめぐっては、その内容のみならず、それをどれだけ現実化させることができるかという点に政治力学が垣間見えます。ド・ゴール等は、ベルギーなどとの関税同盟を軸とした「西ヨーロッパ統合」構想や、大国との同盟によって秩序を構築する「二国間条約網」の構築を追求しました。しかし、構想は理想でもあり、それを実現させることは容易ではありません。大国間の権力政治にフランスも巻き込まれました。戦後に向けた議論を主導したアメリカは、フランスが追求したいずれの構想でもなく、国際連合へとつながる普遍的国際機構構想の実現を目指し、地域統合構想には批判的でした。

 自らの理想が実現できないときへの対応に、国際政治アクターの「外交力」がみられます。フランスは、「西ヨーロッパ統合」構想を放棄し、普遍的国際機構構想のなかで「二国間条約網」構想を残すことに尽力しました。国際連盟の機能不全を経験したフランスはその後継機構に懐疑的でした。しかし、「二国間条約網」はイギリスやソ連との軍事協力によって秩序を維持するという大国間協調主義に基づく構想でもあったのです。これは「五大国」の優位を前提とした国際連合にも通じるものであり、フランスはいち早くこの構想に順応することで大国の地位を再興する道を選択したのです。「独自外交」というイメージの強いフランスであり、ド・ゴールですが、極めて柔軟に対応したことで大国としての地位を取り戻したことが見えてきます。


https://www.mfjtokyo.or.jp/news/388-34-2020.html

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