西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

『ガブリエル』女主人公の異性装

2009年08月31日 | 日本ジョルジュ・サンド学会(SJES)
新實五穂「ジョルジュ・サンドの対話小説『ガブリエル』における女主人公の異性装」in 『日本家政学会誌』No.6(日本家政学会誌)、2009、PP.579-588.

異性装に関するヨーロッパでの研究は、オランダで中世以来の膨大な裁判記録をたどって行われた研究書が翻訳され、日本でも知られるところとなっていますが、フランスにおける異性装の研究は、遅れていると指摘されていました。ジョルジュ・サンド学会会員の新實五穂氏は、19世紀フランスの女性サンシモン主義者の異性装の研究から出発し、ジョルジュ・サンドの男装や作品に現れた異性装の主題を主要テーマとし、博士号(お茶の水女子大)を取得されました。最近は、独自の研究に更に磨きがかかり、目覚ましい活躍をされている、若き前途有望な研究者です。

サンドの『ガブリエル』は、祖父に男の子として育てられたガブリエルが女性に戻って従兄弟と結婚し、様々な理不尽な女性の運命を生きるという物語です。ショパンとのマヨルカ島の旅の帰途にマルセイユで書かれた作品です。まだ日本語訳は出ていませんが、劇作の要素を多く含んでいて比較的フランス語も読みやすい作品なのでお薦めいたします。

画像は、ヤン・ファン・エイクゲント(聖バーフォ聖堂)の「受胎告知の天使」です。
聖告天使と呼ばれ、キリスト教のガブリエルは聖母マリアに受胎告知を与えた天使とされる。
宗教美術では中性的な姿で描かれることが多く、女性であるとする説もある。昔のユダヤ社会では妻が左側に座る慣習があったが、ガブリエルは神の玉座の左側に位置していることに由来している。

ガブリエルという名前は、キリスト教圏では男性人名としても好まれている。綴りはGabriel、Gabrielle、Gavrielなど。

ルネッサンス初期の絵画では、ガブリエルは羽をつけた女性の天使の姿で描かれている。が、これ以降の時代の絵画においては、力強い男性として描かれるようになった。

ガブリエルは神の使者となって、肉体をもった地上のメッセンジャー(作家や教師、ジャーナリスト)たちを守り助ける天使である。ガブリエルの名を呼べば、てきぱきと物事を片づけることができ、いかなる状況においてもスムーズなコミュニケーションを取れるといわれている。女性の大天使ガブリエルは、聖母マリアにイエス・キリスト、そしてエリザベトに洗礼者ヨハネの誕生を伝えた。ガブリエルは、妊娠している女性と赤ちゃんすべてを守る神の使者として慕われている。

宗教的背景
大天使ガブリエルの主な仕事は神の意志を伝える使者であり、天国の町の広報係という役割をもっている。ガブリエルが伝えた最も有名なメッセージは、聖書にあるように、パレスチナの農夫の娘だった処女マリアに彼女がキリストの母親になるのを伝えたものだった。イスラム教徒は、神から受けたメッセージを口述で預言者ムハンマドに伝えたのが、ガブリエルであると信じている。ものを伝えるという仕事の他に、ガブリエルは天国の管財人としの職務も持っている。伝説によれば、ガブリエルは天国から離れていって生まれ変わる魂を導き、魂が母親の子宮のなかに入っている9ヶ月間の間見守る。夢と幻の解説者であるとも伝えられている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

de Musset a G.Sand

2009年08月29日 | ポエジー 詩 演劇
À GEORGE SAND - ALFRED DE MUSSET

À George Sand

Il faudra bien t'y faire à cette solitude,
Pauvre cœur insensé, tout prêt à se rouvrir,
Qui sait si mal aimer et sait si bien souffrir.
Il faudra bien t'y faire ; et sois sûr que l'étude,

La veille et le travail ne pourront te guérir.
Tu vas, pendant longtemps, faire un métier bien rude,
Toi, pauvre enfant gâté, qui n'as pas l'habitude
D'attendre vainement et sans rien voir venir.

Et pourtant, ô mon cœur, quand tu l'auras perdue,
Si tu vas quelque part attendre sa venue,
Sur la plage déserte en vain tu l'attendras.

Car c'est toi qu'elle fuit de contrée en contrée,
Cherchant sur cette terre une tombe ignorée,
Dans quelque triste lieu qu'on ne te dira pas.

Alfred de MUSSET
[Poèsie posthumes]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Le village en question

2009年08月20日 | 新刊書(海外)
Le village en question : promenades avec George Sand
Georges Lemoine
(La Martinière - Août 2006)

Entre 1857 et 1864, pendant la saison d'été, George Sand quitte son château de Nohant pour rejoindre en calèche le petit village de Gargilesse, dans l'Indre, village qu'elle décrit dans Promenades autour d'un village (1857). Cent cinquante ans plus tard, Georges Lemoine, célèbre illustrateur, part sur les traces de la romancière, en quête du " village en question ". Parallèlement aux textes de George Sand, il remonte le temps, accompagnant cette rencontre de textes sensibles et de délicats dessins rehaussés de couleurs. Son précieux carnet de voyage littéraire est ici reproduit à l'identique.

Prix : 25€
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

18世紀のお菓子

2009年08月20日 | 料理 cuisine お菓子 ケーキ gateau
ガトー「コンヴェルサシヨン・オ・マロン」

このお菓子は、ジャン=ジャック・ルソーの庇護者でもあり、自分も文筆家でもあった エピネー夫人(ルイーズ・デピネーLouise d'Epinay 1726-1783)の 『Conversations d'Emilie』(1774年刊)に由来するそうです。 現在、日本ではほとんど知られていませんが、見かけによらず、当時は大人気のお菓子だったとのこと。社交場の場であったサロン「salons de conversation」で出されたことから、 conversationと命名されたといわれているとのことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第九回「女性作家を読む」研究会の報告

2009年08月19日 | 女性文学・女性
   第九回「女性作家を読む」研究会の報告

日時  2009年7月26日(日)午後2時より5時半
場所  慶應義塾大学日吉キャンパス・来往舎・二階会議室
    東横線日吉駅下車・徒歩2分
発表
*14:00ー15:30
「18世紀女性サロンと啓蒙思想家における「性の補完論」との連関性
 ーデピネ夫人、ジョフラン夫人とルソー、ディドロ」
 西尾治子     
*15:45ー17:15 
「モニック・ヴィティッグの文学的・思想的功績」  
 小野ゆり子

*発表のレジュメ
「18世紀女性文学サロンと啓蒙思想家における性の補完論との連関性ーデピネ夫人、ジョフラン夫人とルソー、ディドロ」において、西尾は、ジョルジュ・サンドの祖父Louis Dupin de Francueilの愛人でもあったデピネ夫人の『エミリーとの会話 "Les Conversations d’Émilie"』(1773)および彼女がかつて作家生活を積極的に援助したルソーの『エミール"Emile, ou de L’Education"』(1762)の二作品を比較検討し、ルソーの女性観の中心にある「性の補完論」および、これに対立するデピネ夫人の女子教育論にみられるジェンダー理論の相違を明らかにした。ルソーと同様、彼女のサロンの論客であった啓蒙哲学者ディドロの『女性について』(D. Diderot, "Sur les femmes", 1773)に検証されるジェンダー観について、ラカーの「ツーセックス・モデル論」と当時の医学の発達との関連性を射程に入れつつ、ルソーとディドロが抱いていたもう一方の性に対する理念の近似性が論じられた。また、宮廷内ではなく、パリの町中に雨後の筍のように林立した18世紀の女性文学サロンが他国にはみられないフランス固有の独自の文化であり、出身階層の異なる女性たちにより多様な知の文化が拓かれた事実について、ジョフラン夫人やレスピナス嬢のサロンなどを例に論証した。近代ブルジョワ家族観の原型を形成した18世紀の「母性革命」が提示しているように、女性サロンから生まれた論争が、時代の習俗、思想潮流や政治を動かす隠れた力を含有していたのであった。これまで取り上げられることの少なかった「女性の世紀」といわれる18世紀について、サロンの側面から啓蒙思想家たちのジェンダー観を考察することができたことは、研究会にとって新鮮な試みだったといえるだろう。

 小野による「モニック・ヴィティッグの文学的・思想的功績」は、MLFの創始者のひとりであるモニック・ヴィティッグの文学的・思想的功績を1970年代のフェミニズム運動の流れの中に正確に位置づけ、J.バトラーの批判的立場を視野に入れつつ、その代表的作品の再読を試みる画期的な発表であった。ヴィティッグの思想的独自性は、フランスで初めてレズビアニズムを中心に据えた女性解放思想を展開したこと、その際、性の差異が社会的に構築されるという立場から、つまり「女性的なもの」の称揚に反対する立場からこれを行ったことである。文学的革新性は、人称代名詞を中心に文学の語りを革新したことにあり、また、この革新が女性や女性同性愛者の自由というテーマと切り結びながらも、主体の自由な変容の場としてのエクリチュールの実践として、言い換えれば、ひとつの固定された立場、たとえばレズビアニズムや「女性的なもの」の擁護を否定する視点から成されたことである。彼女はまた、デビュー作"Opoponax"で、人称代名詞Onの使用により、子供の感覚を彷彿とさせる形で子供時代を語る方法を見出すと同時に、女性への恋に目覚める少女の成長過程を特殊なものとしてではなく「みんなの子供時代」の枠内で語ることを可能にする方法を作り出した。またMLFのフェテッィシュ本と言われた次作" Les Guérrières"では、主語のEllesが、Ilsの支配する抑圧的な世界に打ち勝ち、フランス語の文法に逆らって男性をも含有しながら、新しい自由な世界を打ち立てる過程を描いた。コレットの作品を取り上げた大著『娘と女の間』の著者でもある小野のヴィティッグの文学的・思想的功績に関する発表は、多くの作品の引用や一時資料を使い、説得力をもって論証されており、啓発されるところの多い貴重な発表であった。

 発表後の質疑応答では、参加者の間で、母と娘のテーマをめぐり、mère chaperonやmère confidentielleについて、デュラス、コレット、ボーヴォワール、デピネ夫やサンドがこの問題をどのような観点から取り扱っていたか、また、女性のエクリチュールについて、熱心な議論が交わされた。                  (西尾治子・記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンドと写真家ナダール

2009年08月04日 | 新刊書(海外)
サンドと19世紀フランスの名高い写真家ナダールに関する書が出版されました。ナダール一家とサンドとの交流の様子やサンドが当時の革新的技術であった写真撮影に対して取った姿勢、またその変化についても描かれているようです。

"George Sand Felix Nadar" par Malecot Claude
Editorial: Patrimoine
ISBN 13: 9782858227853

http://www.actuphoto.com/10941-george-sand-felix-nadar-.html

George Sand - Félix Nadar, portraits photographique
une exposition photographique autour du portrait mettant en lumière les relations entre Sand et Nadar - 2004

画像:ナダールの息子と日本の第2回遣欧使節団、1863年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする