西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

『スコルタの太陽』 ロラン ゴデ (著) 新島 進 (翻訳)

2022年04月30日 | 覚え書き

『スコルタの太陽』 (Modern & Classic) 単行本 – 2008/6/1

ロラン ゴデ (著), Laurent Gaude  (原著), 新島 進 (翻訳)

老婆がその長い沈黙を破ったとき一族の知られざる秘密が明かされる―南イタリア、灼熱の太陽のもと、呪われた宿命に抗って果敢に生きるスコルタ家5世代にわたる波瀾の物語。ゴンクール賞受賞。ジャン・ジオノ賞審査員賞も同時受賞の話題作。

  • 出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社 (2008/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 244ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4309204937
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-430920493

ゴデ,ロラン
1972年パリ生まれ。劇作家として活躍していたが、その後小説作品も手がけるようになる。特に2002年発表の第二長編小説『ツォンゴール王の死』はフランス本国で大ベストセラーとなり、「高校生が選ぶゴンクール賞」と「書店賞」に選ばれた。ギリシア神話や古典悲劇などから自由に材をとり、また戦争状態における不条理な世界を舞台にするなど、その普遍性の高い悲劇作品は現代フランス作家の中でも異色の存在。歯切れのよい、簡素で詩的な文体に対する評価も高い。
2004年に本書『スコルタの太陽』を発表し、「ゴンクール賞」および「ジャン・ジオノ賞(審査員賞)」を受賞。現代フランス演劇界、文学界でもっとも期待される若手作家の一人

新島/進
1969年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒、同大学院修士課程およびレンヌ第二大学博士課程修了。現在、慶應義塾大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


ーーー

『バルザックと小さな中国のお針子 』(ハヤカワepi文庫)
ダイ・シージエ (著),  新島 進 (翻訳)

医者を親に持つ僕と羅は、反革命分子の子として山奥で再教育を受けることになった。厳しい労働にもめげず、僕らは仕立屋の美しい娘に恋をした。僕らは禁書のバルザックを手に入れ、その小説世界に夢中になった。親友の羅はバルザックの語る壮大な冒険を、哀しい恋の物語を娘に読み聞かせ、ふたりは親密になっていくが…。文化大革命の嵐が吹き荒れる中国を舞台に、在仏中国人作家がみずからの体験をもとに綴る青春小説。
  • 出版社 ‏ : ‎ 早川書房 (2007/3/8)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2007/3/8
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 238ページ

『孔子の空中曲芸 単行本 – 2010/10/26

ダイ シージエ (著), 新島 進 (翻訳), 山本 武男 (翻訳)

四人の影武者を持つ、中国史上最も 奇抜な皇帝の人生を綴った幻想譚 ● 16世紀中国、明王朝末期、ときの皇帝、正徳帝は暗殺を恐れて、四人の影武者を引き連れて、すべての行動を行なっていた。「五札の君」と呼ばれる彼らは、帝とその完璧な複製であり、皇后や側近でさえ、見分けがつかないほどであった。 ある日、帝が寵愛する天文学者が新星を発見する。学者によると、この星は国の破滅の前兆を示しているという。先帝に倣い、都を離れて凶星が消失するのを待つことにした帝は、南方へ狩猟の旅に出発する。帝ら五札の君を乗せた巨大な船には、三百人の宮女を娼婦にした色街が再現されていた。そして、その途上では「孔子の空中曲芸」なる奇妙な行為が行なわれていた。その行為を行なっているのは帝なのか、それとも、影武者なのか……? パリ在住中国人作家の著者が、明王朝滅亡の要因をつくったとされる第11代皇帝の人生を、虚実ないまぜて描いた艶笑譚。

著者について
1954年に中国福建省で医師の両親のもとに生まれる。1971年から74年まで、下放政策により四川省の山岳地帯で再教育を受けた。解放後、1984年に国費留学生としてパリ大学に留学、美術史を専攻し、その後、フランス国立高等映画学院で映画を学んだ。2000年に発表された小説第一作『バルザックと小さな中国のお針子』(ハヤカワepi文庫)は、フランス本国でベストセラーとなり、30カ国で翻訳され、自身が監督した「小さな中国のお針子」もヒットを記録した。2005年に製作された監督第五作「中国の植物学者の娘たち」は、2007年に日本で公開されている。本書は、『フロイトの弟子と旅する長椅子』(2003/ハヤカワepi〈ブック・プラネット〉)、『月が昇らなかった夜に』(2007/同)に続き、2009年に発表された著者の長篇第四作である。

  • 出版社 ‏ : ‎ 早川書房 (2010/10/26)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/10/26
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 245ページ

フロイトの弟子と旅する長椅子 
ダイ・シージエ (著), Dai Sijie (原著), 新島 進 (翻訳)

四川省成都。莫は留学先のパリで、夢を解釈するフロイト派精神分析学を学び、故国に戻ったばかりの、心の医師。彼は、大学時代片想いをしていて、今は政治犯として投獄されている女性・胡〓(フーツアン)を釈放してもらうため、法曹界の影の実力者・狄判事のもとを訪れる。賄賂で解決しようとする莫に、判事はある条件に適う女性を用意できたなら、胡〓(フーツアン)を放免すると告げる。だが、広大な国土を誇る中国のこと。莫は終わることのない夢分析の旅に出る羽目に…。フランス在住中国人の著者が、自らの分身とも言うべき精神分析医の旅路を、瑞々しい筆致で描いた長篇第二作。フェミナ賞受賞。

  • 出版社 ‏ : ‎ 早川書房 (2007/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2007/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 326ページ
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Journée d’hommage et d'études pour Annarosa Poli le 28 avril 2022

2022年04月28日 | 覚え書き
MATIN
10h00 -                  (Japon+7h :5pm )
Adresses de bienvenue et hommages des autorités
Anna BOGNOLO, Dipartimento di Lingue e Letterature straniere Corrado VIOLA, Dipartimento di Culture e Civiltà
Emanuele KANCEFF (Università degli Studi di Torino, Président de la Fondation), L’héritage: la «Fondazione Annarosa Poli – George Sand e il mondo» Franco PIVA (Università degli Studi di Verona),Les trente ans du C.R.I.E.R. (Centre de Recherche sur l’Italie dans l’Europe Romantique)
Brigitte DIAZ (Université de Caen), Hommage des Amis de George Sand à Annarosa Poli
Béatrice DIDIER (ENS-Ulm), Annarosa

Pause

Paolo VALERIO (Teatro Stabile del Friuli-Venezia Giulia), Un pensiero per Annarosa Giuseppe LORENZINI (Fondazione Annarosa Poli), Annarosa Poli: un ‘faro’ per i suoi studenti Marisa BAUCHAL (AUF - Verona), Annarosa Poli e l’Associazione Universitaria Francofona di Verona Annalisa BOTTACIN (Università degli Studi di Trieste), In Memoriam - Il Journal di Delacroix visto da Annarosa Poli

APRÈS-MIDI
15h00 –                 (Japon     +7h :  3am)
Une grande chercheuse : Annarosa Poli  Allocution de M. François REVARDEAUX, Consul Général de France à Milan

Mary RICE DE FOSSE (Bates College), Hommage de la George Sand Association à Annarosa Poli
Catherine MASSON (Wellesley College), Pour faire entendre la voix d'Annarosa Poli: lecture d'extraits de son article George Sand et l’opéra italien
Isabelle NAGINSKI (Tufts University), Annarosa Poli: Triomphes et difficultés de la biographe

Pause

Nicola PASQUALICCHIO (Università degli Studi di Verona), Dietro il sipario: Annarosa e il teatro di George Sand
Valentina PONZETTO (Université de Lausanne), La Venise de Sand. Sur les pas de Casanova avec Musset … et Annarosa Poli

Laura COLOMBO (Università degli Studi di Verona), 2015: la flamme brille toujours Discussion, et la parole au public pour d’autres souvenirs…

Conclusions
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日本フランス語フランス文学会 2022 年度春季大会

2022年04月24日 | 覚え書き
事前登録(重要):検問があるため事前登録が必要です。
必ず5 月29 日(日)までに行ってく ださい。

http://www.sjllf.org/taikai/?action=common_download_main&upload_id=2537

2022 年6 月4 日(土)・5 日(日)
会場:立教大学 〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1

第1 日 6 月4 日(土)
開会式 13:30‐13:45 5121 教室 
司会 関 未玲(立教大学) 
開会の辞 澤田 直(立教大学) 
開催校代表挨拶 河野 哲也(立教大学文学部長) 
会長挨拶 小倉 孝誠(慶應義塾大学)

6 月4 日(土)10:00‐12:00 研究会
日本ジョルジュ・サンド研究会 5 号館2 階 5205 教室

ワークショップ 14:00‐16:00 
1. 日本の学生が選ぶゴンクール賞―総括と展望  5222 教室 
2. 北米大陸におけるフランス語文学―ケベック 文学の現在 5221教室 

特別講演 16:30‐18:00  5121 教室 
William MARX (Collège de France) Pour une bibliothèque mondiale 
司会:澤田 直(立教大学)

第2 日 6 月5 日(日研究発表会 
A 第1 部 10:30‐11:35 
 司会:杉山 利恵子(明治大学) 
1. 思考動詞の否定文の補足節における叙法選択において、 引き受けの果たす役割―フランス語コーパス Frantext と eslo の比較に基づいて 井上 大輔(上智大学大学院博士課程満期退学) 
司会:御園 敬介(慶應義塾大学) 
2. レ枢機卿の自己表象―マザリナードと『メモワール』を 比較して 涌井 萌子(大阪大学大学院博士課程)
B 18 世紀/19 世紀① 5222 教室 
司会:辻慶子(白百合女子大学)
 1. 翻訳における「長さ」―18 世紀から19 世紀にかけて 菊田 怜央(東京大学大学院博士課程)
 2. マネによる画家モリゾの一連の肖像画に見られる特徴― マネの他作品との相関性 松本 夏恵子(東北大学大学院修士課程修了)
C 20-21 世紀①/表象 5223 教室
司会:永井 敦子(上智大学) 
1. ジュリアン・グラックの風景描写 佐藤 太郎(慶應義塾大学非常勤講師) 
2. 他者性のセノグラフィー―ルイ・ジューヴェによるジャ ン・ジロドゥ古典劇の演出  田ノ口 誠悟(日本学術振興会特別研究員PD)
D 20-21 世紀② 5224 教室 
 司会:小黒 昌文(駒澤大学) 
1. プルースト『失われた時を求めて』のラシェルにおける動物 愛護 松田 真里(関西大学非常勤講師) 
2. ヴァントゥイユの《ソナタ》をめぐる考察の継承―スワ ンから語り手の「私」へ  関野 さとみ(一橋大学大学院博士課程)

第2 部 13:10‐14:50  
A 19 世紀② 5221 教室
 司会:三原 智子(群馬大学) 
1. 二つのボヘミアン生活をめぐって:コレットと世紀転換期 伊藤 靖浩(東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員) 
2. フローベール『感情教育』と男らしさ―決闘の場面をめぐ って 森本 悠人(立教大学大学院・日本学術振興会特別研究員)
B 19 世紀③ 5222 教室 
司会:海老根 龍介(白百合女子大学)
 1. 「悪」のモラル―白鳥の形象から読まれる詩の道徳性につい て 佐藤 陽介(早稲田大学非常勤講師) 2. 二人の幽霊―エロディアードとトゥリア・ファブリアナ 坂口 周輔(法政大学非常勤講師)

C 20-21 世紀③ 5223 教室 
司会:吉村 和明(上智大学名誉教授) 
1. 単数にして複数なるものたちの系譜―ポンジュのマレル ブ論について 太田 晋介(大阪大学招聘研究員) 
2. アンドレ・デュブーシェの手帖と詩作品―創作現場で捉え られるポエジー 山口 孝行(神戸大学非常勤講師) 
司会:廣松 勲(法政大学) 
3. 戦時下マルチニックにおける『トロピック』誌の戦略と詩 学―地方性とエコポエティックをめぐって 廣田 郷士(日本学術振興会特別研究員PD)
D 20-21 世紀④ 5224 教室
 司会:松本 潤一郎(就実大学) 
1. 悪魔の用法―ピエール・クロソウスキーにおける悪魔の分 布と傾向から 後庵野 一樹(筑波大学大学院博士課程) 
司会:有田 英也(成城大学) 
2. 月と星―稲垣足穂とシモーヌ・ヴェイユ 今村 純子(立教大学非常勤講師) 
司会:ローベル 柊子(東洋大学) 
3. ミラン・クンデラにおける生と芸術作品 田村 知也(神戸大学大学院博士課

総 会 15:00‐16:30 5121 教室
議長 寺田 寅彦(東京大学) 
閉会式 16:30‐16:45 5121 教室 
会長挨拶 小倉 孝誠(慶應義塾大学)
閉会の辞 関 未玲(立教大学)

http://www.sjllf.org/taikai/?action=common_download_main&upload_id=2536
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Hommage à Annarosa POLI 30 juin 2022

2022年04月22日 | 覚え書き
Annarosa Poli, 1922-2016

Le 19 mars 2022 sera célébré le centenaire de la naissance d’Annarosa Poli, professeure de Langue et Littérature françaises à l’Université de Vérone. Le Département de Langues et Littératures étrangères et la Bibliothèque Arturo Frinzi lui rendent hommage par une exposition, qui ne peut qu’accueillir une partie seulement des très nombreux documents qui ont accompagné, comme le dit le sous-titre, Une vie pour la littérature.
Après sa maîtrise à l’Université de Bologne, Annarosa Poli se rend très jeune à Paris, accompagnée par ses parents, pour effectuer les recherches qui amèneront à sa thèse de doctorat, et à ce grand volume sur L’Italie dans la vie et l’oeuvre de George Sand, publié en France en 1960, ouvrage fondateur qui contribue à mieux faire connaître l’écrivaine, ainsi que son exégète, au niveau international. De ces recherches sortira également, en 1965, George Sand vue par les Italiens, tandis que les études d’Annarosa Poli s’ouvrent à la littérature comparée, à l’écriture du voyage, à la littérature française au sens le plus large. Certes, les oeuvres sur George Sand, qu’Annarosa Poli contribue à revaloriser d’un point de vue littéraire, culturel et esthétique, mais aussi comme figure-phare pour son existence vouée à la recherche de la liberté et à la contestation des idées reçues, constituent la partie la plus considérable de sa production. Et célèbre est restée la phrase du grand acteur Giorgio Albertazzi, souvent reprise dans les journaux, quand il lui écrivait : «Chère Annarosa, sans toi, George Sand n’existerait pas». Et vice-versa, pourrait-on dire, pour ce que la vie d’Annarosa, grande pionnière, a pu réverbérer de la fécondité éditoriale et du courage de sa devancière, jusqu’à l’actualité la plus récente.
D’un autre côté, l’attention d’Annarosa Poli pour l’Italie a toujours été considérable, jusqu’à la création, en 1992, du CRIER (Centre de Recherche sur l’Italie dans l’Europe Romantique), qui redonne visibilité et centralité à la culture italienne dans l’Europe du XIXe siècle. Devenu maintenant Centre de Recherche Interdépartemental sur l’Europe Romantique, grâce également à sa revue Romanticismi le CRIER élargit sa vision au niveau interdisciplinaire, au théâtre, à la peinture, à la musique ou à la danse. Ce qui était d’ailleurs typique de l’esthétique du temps, mais aussi des intérêts d’Annarosa, qui portait ses regards vers les arts ainsi que vers l’histoire, la politique ou l’engagement du romantisme, dans une vision éthique qui recoupait sa manière d’être. Son importante activité didactique et institutionnelle, dans le respect constant pour les collègues et les étudiants, était toujours orientée vers le développement de la Faculté et de l’Université auxquelles elle appartenait. Ce qui allait de pair avec son rôle de conceptrice et organisatrice infatigable de projets scientifiques, colloques et manifestations, impliquant le territoire et de nombreuses autres universités italiennes et étrangères, et coordonnant les énergies de grands spécialistes et jeunes chercheurs, avec un rare ouverture humaine et intellectuelle.
Une renommée internationale a toujours accompagné Annarosa Poli, comme lorsqu’en 2015 elle a participé à Vérone à un dernier colloque, sur George Sand et les femmes artistes et intellectuelles, avec d’éminent(e)s spécialistes provenant de quatre continents, qui l’ont entourée de leur amitié et admiration. Ce qui reste d’elle, au-delà des publications innombrables et prégnantes, ce sont les organismes qu’elle a créés, le CRIER, l’Association Universitaire Francophone de Vérone, et cette «Fondation Annarosa Poli – George Sand et le monde», à laquelle elle a pensé jusqu’à son dernier souffle, le 2 mars 2016. Sans jamais oublier la sereine alliance, dans sa personnalité, de rigueur scientifique et de générosité pour accueillir, avec empathie, ironie et curiosité, tant les personnes que les idées et les nouveautés.
Laura Colombo

une brève biographie ‘illustrée’ de Mme Poli : https://www.youtube.com/watch?v=Vh39jbCxBUw


 
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第1回「ゴンクール賞日本」(2022):『受け入れたならば』クララ・デュポン=モノ)に決定!

2022年04月21日 | 覚え書き
 
2022/04/20
書籍・グローバル討論会部門 ニュースレター
Les nouvelles du Pôle Livre et Débat d'idées

 
第一版「ゴンクール賞日本」は S'adapter、Clara DUPONT-MONOD (『受け入れたならば』クララ・デュポン=モノ) に決定。

この度、在日フランス大使館とアンスティチュ・フランセ日本は、史上初の日本版ゴンクール賞(ゴンクール賞日本)の受賞者の名前を発表しました。Stock出版社のクララ・デュポン=モノ『S’adapter』に決定しました。2021年に創設された第1版のゴンクール賞日本は、2022年3月29日に東京で、学生審査員、教授陣、組織委員会メンバーの臨席のもと、そして芥川賞・三島賞を受賞した権威ある作家で、ゴンクール賞日本の後見人(フランス語 : « Parrain »)である小野正嗣氏、作家マリー・ンディアイ氏と共に、フィリップ・セットン駐日フランス大使によって宣布されました。
ゴンクール賞日本は、2021年から2022年にかけて、日本の5つの地域で、大学教授有志を中心とする8つの読書委員会を設け、1委員会あたり十数名の学生が参加して審査が実施されました。文学やフランス哲学を専攻する学生たちが、6ヶ月間、フランスゴンクール賞(本ゴンクール賞)の選書から4冊の本を読み、発見し、交流し、そして批評を行いました。
その4冊の本は以下の通りです :
  • Sorj CHALANDON, Enfant de salaud, Éditions Grasset (グラッセ出版社)
  • Clara DUPONT-MONOD、S'adapter (受賞), Stock出版社
  • Abel QUENTIN, Le Voyant d’Etampes, L’Observatoir出版社
  • Mohamed Mbougar SARR, La plus secrète mémoire des hommes, Philippe Rey/Jimsaan出版社
クララ・デュポン=モノは、受賞作に選出されたという発表を受けて、次のように述べています :
「ゴンクール賞日本を受賞したことは、とても嬉しく、感動しました。この賞は新しいので、私は最初の受賞者ということですね。素晴らしいことです。谷崎の言葉を借りれば、「語る石、寄り添う不在者、余白へのオマージュ、つまり影への賛美」、日本文化と『S’adapter』の間に絆を感じないわけがありません。私の小説と日本の文化が、出会うべくして出会ったのだと信じています。石に、異なる存在に、兄弟に、国境を越えて感性を結びつけてくれたことに感謝いたします。」
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Balzac, Hugo... d'exceptionnelles lettres aux enchères

2022年04月15日 | 覚え書き
Dimanche 17 avril, à partir de 14 h 15, partiront aux enchères à l'Hôtel des ventes de Bayeux, un ensemble de lettres et de documents aux prestigieuses signatures. La littérature française du XIXe siècle s'exhume, avec Chateaubriand, Hugo, Balzac, mais également Théophile Gautier, George Sand, Alfred de Vigny… De quoi ravir tous les grands collectionneurs d'objets d'exception. 200 pièces au total, découvertes au hasard d'un placard, dans un manoir normand.

https://actualitte.com/article/105518/encheres/balzac-hugo-d-exceptionnelles-lettres-aux-encheres
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Appel à communications – MLA 2023 à San Francisco, du 5 au 8 janvier

2022年04月03日 | 覚え書き
Olivier Bara, université Lyon 2, Institut d’histoire des représentations et des idées dans les modernités GSA -
 
 Appel à communications – MLA 2023 
 à San Francisco, du 5 au 8 janvier
 Insurrections en représentation : les discours politiques de la fiction chez George Sand Dans Les Misérables, l’irruption du discours au cœur de la représentation hugolienne des journées des 5 et 6 juin 1832 est célèbre ; une bipartition sémantique, juridique et politique s’y effectue entre « l’insurrection » et « l’émeute » : Il y a l’émeute, et il y a l’insurrection ; ce sont deux colères ; l’une a tort, l’autre a droit. Dans les états démocratiques, les seuls fondés en justice, il arrive quelquefois que la fraction usurpe ; alors le tout se lève, et la nécessaire revendication de son droit peut aller jusqu’à la prise d’armes. Dans toutes les questions qui ressortissent à la souveraineté collective, la guerre du tout contre la fraction est insurrection, l’attaque de la fraction contre le tout est émeute […]. Les mêmes journées insurrectionnelles de juin 1832 se trouvent représentées, plus de vingt ans auparavant, dans Horace de George Sand ; on y cherchera en vain un semblable discours, ce dernier se trouvant diffracté dans le dialogue des personnages et pris en charge, indirectement, par la mise en scène des événements à l’intérieur de la fiction. Du moins Horace mise-t-il sur la valeur référentielle des faits et représente-t-il une insurrection survenue moins de dix ans avant la publication du roman. Les autres grandes insurrections du « siècle de George Sand », des trois journées révolutionnaires de juillet 1830 à la Commune de Paris en passant par l’explosion révolutionnaire de 1848 ou les tragiques journées de juin 1848, trouvent-elles une semblable place dans les récits romanesques ou dramatiques de Sand ? Il semble qu’un double processus d’effacement et de déplacement soit alors à l’œuvre et qu’il faille traquer les discours sur ces événements dans les creux des textes, les métaphores ou les déplacements historiques. Sand s’en est expliquée dans la préface de son roman dialogué Cadio, en 1867 : rappelant l’exaction criminelle commise par la garde nationale en juin 1848 contre un « homme qui avait l’air d’un insurgé », elle dit aussitôt son refus de représenter des faits aussi proches, qui feraient « appel aux passions et aux ressentiments » ; aussi choisit-elle d’évoquer avec Cadio l’insurrection vendéenne de 1793. D’autres exemples de déplacement historique ou symbolique pourraient être rappelés, comme le naufrage des comédiens de Pierre qui roule (1869), métaphoriques de l’échec de la révolution de 1848. Alors que les discours politiques sandiens dans sa correspondance privée ou dans ses interventions médiatiques publiques ont déjà été étudiés, nous nous proposons de nous concentrer sur les « discours de la fiction » pour les analyser selon une démarche sociocritique. Que disent les romans ou les pièces de théâtre, avec leurs moyens propres, dans les détours de la fiction, dans le miroir déformant du récit historique, des insurrections populaires du XIXe siècle ? Date limite pour l’envoi des propositions de 200 mots maximum, en français ou en anglais : le 5 avril 2022.
Envoyez votre proposition à tous les membres du comité de sélection
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Appel à contribution aux Cahiers George Sand n° 44, 2023

2022年04月03日 | 覚え書き
Appel à contribution aux Cahiers George Sand n° 44, 2023
 « Le théâtre de marionnettes »

https://www.amisdegeorgesand.info/events/event/appel-a-contribution-cahiers-george-sand-2023/



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Fabula LhT no.27 : " Écopoétique pour des temps extrêmes"

2022年04月03日 | 覚え書き
DOSSIER CRITIQUE n°65
2021DÉCEMBRE 2021 (VOLUME 22, NUMÉRO 10)

Écopoétique pour des temps extrêmes
Coordonné par Christine Marcandier et Jean-Christophe Cavallin, ce dossier d’Acta Fabula s’articule au numéro Fabula-LhT intitulé « Écopoétique pour des temps extrêmes ». Les traductions sont le fruit du travail collectif de différent.es étudiant.es du master « écopoétique et création » d’Aix-Marseille Université. Elles ont été relues pour publication par Christine Marcandier, Étienne Leterrier et Jean-Christophe Cavallin.
PRÉSENTATION
 
  • CHRISTINE MARCANDIER
    Found in translation
OUVERTURE
 
  • FLEUR COURTOIS-L’HEUREUX
    Audaces tentaculairessur : Vinciane Despret, Autobiographie d’un poulpe et autres récits d’anticipation, Arles, Actes Sud, 2021, 160 p., EAN 9782330147631.
COMPTES RENDUS
 
  • LAURENT DEMANZE
    Pour une écologie de l’imaginairesur : Jean-Christophe Cavallin, Valet noir. Vers une écologie du récit
  • CHRISTINE MARCANDIER 
    Faire Loi(re) pour déconstruire « le grand roman dans lequel nous avons vécu »sur : Le Fleuve qui voulait écrire. Les auditions du parlement de Loire
  • ÉLISABETH PLAS
    Zoopoétique & humanimalité, des bêtes entre les lignes sur : Anne-Simon, Une Bête entre les lignes. Essai de zoopoétique
  • ALAIN ROMESTAING
    Faire voir le monde différemment : sur l’engagement environnemental de la littérature de langue françaisesur : Pierre Schoentjes, Littérature et écologie. Le mur des abeilles
  • MARION COSTE
    Le souci du lieu : écopoétique transculturelle & éthique de la recherchesur : Littérature

TRADUCTIONS
  • TIMOTHY CLARK 
    Vertiges d’échellesur : Timothy Clark, « Derangements of scale », dans Telemorphosis: Theory in the Era of Climate Change
  • SIMON C. ESTOK
    L’écocritique dans un âge de terreursur : Simon C. Estok, « Ecocriticism in an Age of Terror », CLCWeb: Comparative Literature and Culture, 15.1, 2013.
  • VAL PLUMWOOD
    La Nature à la voix activesur : Val Plumwood, « Nature in the Active Voice », Australian Humanities Review, n° 46, mai 2009.
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Race et discours. Langues, intersectionnalité, décolonialités

2022年04月03日 | 覚え書き
Appel à contribution pour le numéro 2021-2 de la revue Itinéraires. Littérature, textes, cultures 
Race et discours. Langues, intersectionnalité, décolonialités
 
Coordination
Gloria França, professeure en linguistique et analyse du discours,Universidade Federal do Maranhão, GEPEDIS (Grupo de Estudos e Pesquisas em Discursos, Interseccionalidades e Subjetivações), Brésil.Yosra Ghliss, doctorante en analyse du discours, Université Paul Valéry-Montpellier 3, GRASS (Groupe de Réflexion Autour des Savoirs Situés) & LHUMAIN (Langage, Humanités, Média·tions, Apprentissage, Interaction, Numérique).Gnenonsegouet Noelle Gléo, doctorante en analyse du discours, Université Paris 13, EA Pléiade.
Marie-Anne Paveau, professeure en sciences du langage, Université Paris 13, EA Pléiade.
 
Argumentaire
1. Travailler avec la race
 Ce numéro s’inscrit dans un mouvement actuel, de moins en moins minoritaire mais toujours controversé dans le contexte français, de prise de conscience par les chercheur·e·s de l’importance de la race dans les existences humaines. Par travail avec la race, nous entendons la manière dont les expériences de vie et les formes sociales sont déterminées par le critère racial : « La question raciale tout comme la question économique sont des questions sociales. Nous ne sommes pas passés de la “question sociale” à la “question raciale” pour la simple et bonne raison que le racial est social » (Célestine, Hajjat et Zevounou 2019).
 Le mot et la notion de race sont assumés comme tels dans cet appel, ce qui implique une prise de position, formulable de la manière suivante : la race existe car elle est traduite en termes de rapport de domination et de hiérarchisation, dans des dispositifs sémiotiques et des configurations discursives. C’est ce que posait Colette Guillaumin il y a déjà 40 ans en écrivant que la race « est aujourd’hui, au xxe siècle, une réalité juridique, politique, historiquement inscrite dans les faits, et qui joue un rôle effectif et contraignant dans les société concernées » (Guillaumin [1981] 2016 : 209).
Travailler avec la race en analyse du discours implique de reposer la question du sujet. Penser un sujet situé, c’est le penser dans toutes ses conditions, comme sujet genré, classé socialement, situé politiquement, marqué culturellement, déterminé par l’âge, etc. mais aussi racialement : le sujet du discours est aussi, entre autres, un sujet racial. Alors que les recherches existantes en linguistique se font quasi exclusivement sur les sens et usages du mot race, ou sur les marqueurs du discours raciste, nous proposons de travailler la production des énoncés avec ou à partir de la race.

2. État de la question
La situation française est particulière par rapport à d’autres aires géographiques et culturelles, comme les États-Unis ou le Brésil par exemple, où la race est une catégorie usuelle mobilisée dans la vie sociale et la recherche. Dans le contexte français, l’emploi même du mot race est toujours débattu, comme le montre un numéro récent de la revue Mots. Les langages du politique, intitulé « Dire ou ne pas dire la race aujourd’hui » (Devriendt, Monte et Sandré 2018), interdit (le mot a été supprimé de la Constitution française en juillet 2018) ou soupçonné de produire du racisme, dans une mise en équivalence entre le mot et la chose. Que « les races n’existent pas » a désormais en France le statut d’évidence ou d’« argument d’autorité » (Belkacem, Direnberger, Hammou et Zoubir 2019) ; mais, comme le dit Norman Ajari de manière critique, c’est aussi un « mantra » (Ajari 2019).
Des travaux de plus en plus nombreux interrogent cette affirmation. Colette Guillaumin avait ouvert la voie dès 1981 : « Non, la race n’existe pas. Si, la race existe. Non, certes elle n’est pas ce qu’on dit qu’elle est, mais elle est néanmoins la plus tangible, réelle, brutale des réalités » (Guillaumin [1981] 2016 : 211 ; italique de l’auteure). Elle considérait la race comme un signifiant, et proposait dès 1972 le terme de racisation (Guillaumin 1972 : 161), largement repris depuis tant dans les milieux militants que scientifiques. Un peu plus de trente ans plus tard, un champ de recherches important s’est développé, notamment en histoire (N’Diaye 2008, Schaub 2015), en philosophie (Dorlin 2006, 2009 dir., Boggio Ewanjé-Epée et Magliani-Bellkacem 2012 et 2012 dir., Bessone 2013, Bentouhami-Molino 2015, Ajari 2016, 2019), en sociologie (Guénif-Souilamas 1999, 2005, Guénif-Souilamas et Macé 2004, Dhume 2010), en sciences de l’information et de la communication (Cervulle 2013, Cervulle et Freitas 2015), en science politique (Vergès 2017, 2018).
Dans le champ des approches contextuelles du langage, c’est-à-dire en analyse du discours, en sociolinguistique, dans les linguistiques interactionnelles, toutes approches qui conçoivent le sens comme une production située et non comme une donnée langagière simplement contextualisée, la réflexion porte, on l’a dit, sur la race comme mot ou comme discours. Dans le numéro 116 de Mots, la question abordée, qui s’inscrit dans une interrogation anciennement posée par la revue dans les numéros 18 (1989) et 33 (1998) notamment, maintient le travail sur la race ou plus exactement sur ses expressions lexicales et discursives et reste aux portes du travail avec la race ; il situe en outre le numéro dans une perspective normative (dire ou ne pas dire) à laquelle il est encore difficile d’échapper. L’introduction au numéro fournit une recension très complète des travaux traitant des « usages lexicaux et discursifs de la “race” » et portant sur « des discours racistes, antiracistes, racialisants ». La perspective est donc celle des usages du mot et de la notion de race, et non celle de la race comme lieu d’expérience et par conséquent comme point d’origine de la parole, même si Émilie Devriendt signale dans un autre texte la nécessité d’« analyses sémantiques, énonciatives et argumentatives des discours de l’antiracisme postcolonial envisagés pour eux-mêmes » (Devriendt 2018). La perspective dominante en analyse du discours reste l’approche de la race dans les discours racistes ou racialisants, comme le montre par exemple un collectif publié en 2012 sur le « discours politique identitaire », cette désignation étant reformulée par les expressions discours racialisant, discours raciste, identités discursives racialisantes (Hailon, Richard et Sandré dir. 2012).
En marge de cette approche, de rares chercheurs et chercheuses ont choisi de travailler avec la race comme point d’énonciation et paramètre de production/réception des discours. Il faut d’abord citer la thèse de Gloria França, Genre, race et colonisation : la brésilianité dans le regard touristique en France et au Brésil, préparée dans les deux pays, à partir de l’analyse du discours dite française. Rédigée en portugais et soutenue au Brésil, elle met en place une approche intersectionnelle (França 2018). Dans une perspective sociolinguistique, Suzie Telep pose la question à travers la notion de « whitisation symbolique », ensemble de pratiques langagières et sémiotiques consistant, pour des sujets racialisés, à occidentaliser leur manière de parler et de se présenter, notamment sur le plan phonostylistique (Telep 2017, 2018, 2019). Des productions récentes abordent la question de la race dans le traitement des discours (França 2019, Gleo 2019, Paveau 2019a, 2019b), et, parmi les travaux en cours, il faut mentionner la thèse de Noelle Gnenonsegouet Gléo, « Discours (afro)féministes. Pour une articulation entre intersectionnalité et discursivité », qui concerne les terrains ivoirien, sénégalais et français.
Cette intégration de l’intersectionnalité en analyse du discours a été largement amorcée par le travail épistémologique accompli à partir du genre par Noémie Marignier (2016, 2017, 2018 dir.), Anne-Charlotte Husson (2018, 2018 dir.), Marie-Anne Paveau (2018) et, dans une perspective plus socio- et anthropologique, Luca Greco (2014 et 2015 dir.). L’analyse du discours au Brésil a entamé ce travail depuis quelques années, comme le montre une série de travaux (par exemple França 2017, 2019, Cestari 2015, França (dir.) 2018, Cestari, Nogueira 2019, Elias de Oliveira 2019, Zoppi-Fontana 2017, Modesto 2018a, 2018b), se développant à partir de l’analyse du discours de tradition française. L’ouvrage récent de Gabriel Nascimento ouvre plus largement la linguistique à la question raciale (Nascimento 2019).

3. Objectifs du numéro. Race et discours
Nous ne souhaitons pas développer la conception de la race comme construction sociale, largement mobilisée et désormais mise en critique par la sociologie notamment, mais souhaitons la dépasser en la problématisant pour la perspective discursive. L’approche constructiviste présente le risque d’évacuer la catégorie elle-même, qui sera donc plutôt envisagée comme un rapport de domination et de hiérarchisation sociale, manifestant dans l’actualité des sociétés des fonctionnements coloniaux, ce que signifie l’expression race sociale : « Ainsi, parler de races sociales, c’est d’abord pointer la singularité du lien social médié par ces différences ; c’est appréhender les modalités à travers lesquelles il a pris la forme d’une polarisation sociale spécifique délimitant, en termes de race, des groupes statutaires. J’entends par là des groupes sociaux dont les relations hiérarchisées sont l’expression de dispositifs d’assignation et de contrainte principalement politiques, de l’imposition de normes et autres distinctions symboliques, autrement dit par un statut plus ou moins explicitement institutionnalisé, qui ne relève pas nécessairement de l’ordre économique » (Khiari 2009 : 21 ; italique de l’auteur). Dans cette perspective, il faut aussi parler de blanchité (ou blancheur), ce qui « ne signifie pas faire des Blancs un groupe culturellement ou biologiquement homogène, mais renvoie à une position de pouvoir dans un régime racial hiérarchisé » (Delgado Hoch 2012 : 22). Nous définirons la blanchité comme « hégémonie sociale, culturelle et politique blanche à laquelle sont confrontées les minorités ethnoraciales » (Cervulle 2013 : 15).
Au-delà d’un rapport social ou politique, la race peut être considérée comme une essence, dans une définition renouvelée. Pour Norman Ajari, il existe une essence noire, définie comme une « historicité profonde », qui dote un individu racisé d’une « puissance de signifier », c’est-à-dire de « la possibilité de se présenter dans l’espace public en tant que Noir (ou Arabe, ou musulman) afin d’y faire valoir ses intérêts collectifs […] au premier rang desquels le droit à une vie digne d’être vécue » (Ajari 2019, Introduction). La race, comme rapport de domination, schéma discursif, expérience et mémoire, est donc constitutive du sujet, ce qui permet de parler de sujet racial ; elle apparaît ainsi comme un point d’énonciation (Paveau 2019a). Mais les travaux des chercheuses du black feminism autour de la notion d’intersectionnalité empêchent désormais de penser les déterminations sociales de manière discrète (Crenshaw 1991, puis Hill Collins et Bilge 2016) : les oppressions de race, de classe et de genre sont articulées les unes aux autres. En France, Elsa Dorlin a largement montré comment les catégories de sexe et de race, définies comme des schémas cognitifs et discursifs, s’auxiliaient l’une l’autre pour construire des hégémonies et des stigmatisations (Dorlin 2006). La race ne constitue donc pas un rapport social et politique en tant que tel, mais elle est prise dans un réseau de dominations qui s’articulent et s’étayent.

4. Cadres de la réflexion et pistes possibles
L’objectif de ce numéro est de penser le discours avec la race. Par discours, nous entendons toute production sémiotique verbale ou hybride regardée dans son environnement écologique de production, c’est-à-dire in situ, à partir des coordonnées expérientielles, sociales, politiques, économiques, géographiques, etc., des locuteur·trice·s.
Penser le discours avec la race signifie développer une activité discursive à partir d’un point de vue qui intègre le critère racial comme un rapport de domination sociale et politique, un lieu de colonialité, une mémoire expérientielle du sujet et une puissance de signifier. Les articles attendus adopteront cette perspective, qu’elle soit celle du·de la chercheur·e, et/ou celle de l’énonciateur·trice producteur·trice des énoncés ou signes pris comme objets du travail. Les cadres épistémologiques intégreront la notion d’intersectionnalité, y compris dans ses discussions et renouvellements, et pourront mobiliser l’épistémologie du point de vue, et/ou les perspectives postcoloniale et décoloniale. Les cadres disciplinaires attendus sont ceux de l’analyse du discours, de la sociolinguistique, des études textuelles et de la littérature. Les perspectives matérialistes et intersectionnelles sont les bienvenues, comme les approches pluri- et transdisciplinaires intégrant les sciences de l’information et de la communication, les études visuelles, l’anthropologie, la philosophie (liste ouverte).

On accueillera des articles qui s’éloignent des travaux mobilisant la race en tant qu’elle est un objet énoncé (travaux sur les discours ou les mots racistes et antiracistes, sur le mot race employé dans différents discours, etc.), mais qui interrogent la race comme point d’énonciation d’une expérience mise en discours. On pourra aborder par exemple : les activités lexicologiques des personnes concernées ; plus largement, les activités linguistiques profanes dans le cadre de la vie quotidienne, de la recherche ou du militantisme ; la question du lieu d’énonciation (lieu d’expérience subjective), dans le sens que les féministes noires brésiliennes donnent au terme lugar de fala (Gonzalez, Hasenbalg 1982, Ribeiro 2017, França 2019) ; la race comme point d’identification et de désidentification (Munoz 1999, França, 2018, 2019) ; les phénomènes d’appropriation, de destitution ou d’oppression discursive (Paveau 2016) ou au contraire de resignification discursive (Paveau 2019b) ; les modifications sémantiques liées aux positions énonciatives antiracistes politiques (décoloniales, racisées), relatives par exemple à l’universalisme, aux Lumières, à l’indigénité (Bouteldja, Khiari 2012, Sibony 2019) ; les questions liées aux langues parlées, refoulées, réapprises, imposées (Calvet 1974, Iveković 2007, Harchi 2016).
Informations pratiques

Calendrier
  • 9 janvier 2020 : Lancement de l’appel à contribution
  • 15 mars 2020 : Date limite de réception des propositions
  • 15 octobre 2020 : Date limite réception d’article V1
  • 15 novembre 2020 : Envoi des articles pour évaluation
  • 15 décembre 2020 : Retour des évaluations.
  • 15 février 2021 : Révision des articles et envoi V2
  • Publication prévue : juin 2021
Format de la proposition
Prénom, nom, coordonnées institutionnelles, adresse électronique, titre, résumé 3 000 signes maximum, 5 mots clés, 5 références bibliographiques, à envoyer à : projet-discours [at] orange [dot] fr


https://journals.openedition.org/itineraires/
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