西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

『読書する女たち 〔十八世紀フランス文学から〕 』

2017年12月11日 | 新刊書(国内)
内容紹介
かつて“小説を読む女性は堕落している"とされていた!
◎男女ともに識字率が大きく上昇した十八世紀フランスでは、「女性が読書する」習慣も根づきつつあった。
◎しかし知恵や理性のイメージが大きい「男性の読書」と対照的に、「女性の読書」は感情的・官能的な夢想を恣にする「小説」の読書として、好ましからざるイメージが大きく、「道徳性」と強く結びついていた。
◎ルソー『新エロイーズ』、アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』、ラクロ『危険な関係』…などから、ほぼ家庭運営のみ意図されていた「女子教育」の黎明期の「女性読者」を軸に、十八世紀フランス文学の世界を描きだす。

-----

序 読者のイメージ、イメージの読者
第一章 十八世紀フランス絵画における書物
第二章 文人たちの女子教育論と小説
第三章 小説の有害性と効用
第四章 小説における読書する女性たち
結論

註/参考文献/参考URL/初出一覧/あとがき/図版一覧/索引

出版社からのコメント
◎女性と小説は視覚的なイメージの中で結びつけられ、道徳的に非難されまた揶揄される対象になっていたのではないか。
◎そのような女性と小説の読書の関連付けが行われたのは、女性が読者たりえる現実的基盤が十八世紀において実現しつつあったということと、女性が小説を読むことを道徳的観点から制限する言説が生み出されていたことに由来しているのではないか。
◎あらかじめ女性にとって「反道徳的」とされた小説において、作家たちは道徳的教訓を盛り込むことで、小説を「道徳化」し、現実の女性読者が接近しやすいようにしていたのではないか。
◎小説内の登場人物である女性たちの読書は、明らかに男性たちの読書とは異なった価値観を付与され、美徳あるいは堕落といった道徳的規準で語られる傾向が顕著ではないか。
◎このような同時代の共通認識・イメージを作家たちはときに周到に利用しつつ小説を構築していったのではないか。
(「序」より)

単行本: 320ページ
出版社: 藤原書店 (2017/1/26)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハイブリッド・リーディング―紙と電子の融合がもたらす〈新しい文字学〉の地平」

2017年02月21日 | 新刊書(国内)

日本記号学会編『ハイブリッド・リーディングー―新しい読書と文字学』新曜社 2016

読むこと、書くこと、そして書物の未来に向けて
かつてあらゆる書物が消滅し、電子情報に置き換えられる、と危惧された時期もありましたが、SF的空想にすぎないことも明らかになってきています。ただ、「メディアはメッセージ」だとすれば、デジタルメディアの進展とともに、「読書」という行為も以前の「サラブレッド」な読書とは変わってこざるをえないでしょう。スティグレールなどの「デジタル・スタディーズ」をも援用しつつ、「読むこと」がもともと持つハイブリッド(混淆)性を解き明かしていきます。さらに、1970年代からずっと書物のかたちをラディカルに問い、ブックデザイン界をリードしてきた杉浦康平氏に、書物と文字についての考えと実践活動をお訊きします。新時代のハイブリッドな「読書」から、新しい図書館計画、文字学などまで、「よむ/かく」をめぐる冒険的思索満載の特集です。 

目次
刊行によせて 吉岡 洋

はじめに ハイブリッド・リーディング 阿部卓也

Ⅰ部 [実践編]ブックデザインをめぐって
一即二即多即一──東洋的ブックデザインを考える 杉浦康平
対談 メディア論的「必然」としての杉浦デザイン 杉浦康平×石田英敬(阿部卓也)
杉浦康平デザインの時代と技術 阿部卓也

Ⅱ部 [理論編]ハイブリッド・リーディングとデジタル・スタディーズ
新『人間知性新論』 〈本〉の記号論とは何か(抜粋) 石田英敬
器官学、薬方学、デジタル・スタディーズ ベルナール・スティグレール
極東における間メディア性の考古学試論
  ──人類学・記号論・認識論のいくつかの基本原理 キム・ソンド
「かくこと」をめぐって──記号・メディア・技術 西 兼志

Ⅲ部 [実験編]これからの「リーディング」をデザインする
デジタルアーカイブ時代の大学における「読書」の可能性
  ──東京大学新図書館計画における実験と実践
                 阿部卓也・谷島貫太・生貝直人・野網摩利子
もう一つのハイブリッド・リーディング
  ──ワークショップ「書かれぬものをも読む」をめぐって 水島久光

Ⅳ部 記号論の諸相
スーパーモダニティの修辞としての矢印
  ──そのパフォーマティヴィティはどこから来るのか? 伊藤未明
日本という言語空間における無意識のディスクール
  ──折口信夫の言語伝承論を手がかりに 岡安裕介
「意味」を獲得する方法としてのアブダクション──予期と驚きの視点から 佐古仁志
自己表象としての筆致──書くことと書かれたものへのフェティシズム 大久保美紀

資料 日本記号学会第三四回大会について
執筆者紹介
日本記号学会設立趣意書

装幀―阿部卓也
(シリーズ装幀原案 岡澤理奈)

<ハイブリッド・リーディング はじめに>より
あらゆるテクノロジーは、人間の能力を広げてくれる人工器官であると同時に、人間を縮こまらせるものでもある。
メモ帳が、人間の記憶力を増大させると同時に、脳だけで記憶する力を弱らせるかもしれないように、技術はつねに原理的に薬にも毒にもなるものである(スティグレールの言う「薬方学」の問題)。だからこそ、人類の活動の基盤がデジタルという新しい記号技術へと移行しつつある今、私たちは、それが人間の記憶、知、意味生活、社会を破壊するような方向にではなく、豊かに伸ばしていくような形で使われる可能性を模索しなくてはならない。そのために、記号技術をブリコラージュし、使い方を提案し、社会における意味を作り出していくような実践活動こそが、語義本来の意味でのデザインである。

スマートフォンが急速に普及し、一四年末の総務省調査では世帯保有率六五パーセント(二〇代では九五パーセント)に迫るいっぽう、ディープラーニングに基づく第三世代のAIが商用利用の段階に入り、ビッグデータの活用と結合することで、機械の「よみ」は人々の日常生活をすでに基底で支えつつある。同時にヘッドマウント型VRシステムやウェアラブル・デバイス、ARコンテンツやプロジェクション・マッピングなどの技術的ブレイクスルーや低廉化にともなって、今やわれわれの視界は丸ごと情報紙面で覆い尽され、現実世界のあらゆる間隙が本の頁となるような世界の完成が間近に迫っている。「ハイブリッド・リーディング」は、ますますアクチュアリティを増し、より切迫した未解決の「記号論的問い」として、われわれの眼前に立ちはだかっているのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『犯罪・捜査・メディア: 19世紀フランスの治安と文化』

2017年01月24日 | 新刊書(国内)


『犯罪・捜査・メディア: 19世紀フランスの治安と文化 』(叢書・ウニベルシタス)
ドミニク・カリファ (著), 梅澤 礼 (翻訳)
法政大学出版局, 2016

秩序をおびやかす犯罪者たち、公権力を担う警察・司法組織、そして両者の近代的イメージを創り出した大量発行の新聞・出版ジャーナリズムは、民主主義社会の治安の危機をいかに映し出してきたか。犯罪文化史研究の第一人者が、連載小説や三面記事、警察官の回顧録などの膨大な資料をもとに、犯罪や監獄に関わる文学的表象や、“社会防衛”の言説史を多面的に分析した新しい社会史。

単行本: 358ページ
出版社: 法政大学出版局 (2016/10/25)
言語: 日本語
ISBN-10: 4588010492
ISBN-13: 978-4588010491
発売日: 2016/10/25

ドミニク・カリファ:アラン・コルバンの後任.パリ第一大学教授

http://sand200balzac.sakura.ne.jp/archives/2975


http://sand200balzac.sakura.ne.jp/archives/2975 より以下、転載させて頂きました :
19世紀フランスの犯罪者像をロマン主義時代の文学作品(バルザックやユゴー、ウジェーヌ・シューなど)を参照しながら読み解き、実在の人物ヴィドックをモデルとしたヴォートランやジャベール、ジャン・バルジャンなど、ピトレスクな犯罪者からルイ・シュバリエが指摘する匿名の労働者階級が次第に「危険な階級」となり、さらに世紀末になるとその労働者階級からドロップアウトしたならず者集団「アパッチ」が人々の恐怖の的になる、という時代精神の推移を当時の新聞・雑誌(とりわけ大衆紙)を通して分析されています。面白いのは、新聞では「アパッチ」族の夜襲というのがしばしば語られているのに、実際はそのような事件は起こっていない、という現実との乖離で、言わば「都市伝説」のようなものが新聞によって作られていたことです。他にもご著書の中で、公権力を担う警察、司法組織についても言及されていますが、19世紀当時、警察官は民衆に嫌われ、軽蔑されていて警察は「恥ずべき職業」であったこと、そのイメージを立て直し、警察を正当化し擁護しようとする努力が警察官の回想録の中に現れている、というご指摘が大変印象に残りました。また、先生のご著書の後半は、新聞の三面記事と新聞小説の相互影響、犯罪小説の隆盛の分析に当てられています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝吹亮二評論集『アンドレ・ブルトンの詩的世界』(前編)

2016年09月11日 | 新刊書(国内)
シュルレアリスムの正統後継者
朝吹亮二評論集『アンドレ・ブルトンの詩的世界』(前編)

発行:慶應義塾大学法学研究会
発売:慶應義塾大学出版会株式会社
初版発行:2015年10月30日
定価:4,900円(税別)

 もちろん〝シュルレアリスムが終わった〟というのは言葉の綾のようなものだ。それが当初持っていた衝撃的な思想(パラダイム転換)が、今ではポピュラリティを得て一般化してしまったのである。ごく素朴な言い方をすれば、シュルレアリスムは人間の無意識(前意識)を解放した文学運動だった。サルバドール・ダリなどの絵に典型なように、人間の夢を芸術の世界に解き放ったのである。

 現実世界ではモノとコトバが一対一対応で結びついている。しかし無意識界にはモノ以前の存在が蠢いている。それが時に現実界に現れてモノ=コトバとなり、あるいは新たな発想や発明の源になる。無意識界の解放を前提としなければ、前衛絵画やアニメなどは成り立たない。このシュルレアリスムの無意識界の解放を、広い意味での言語実験としていち早く取り入れたのが日本の自由詩だった。絵画では印象派が現代絵画のベースになったが、シュルレアリスムは現代では自由詩の基本技法の一つである。


 ダダイズムは徹底した虚無主義である。圧倒的な現実世界の悲惨を目の前にして、倫理を含む前時代までの思想や芸術など信じられるものではない、ということだ。そのためダダは凄まじいまでの思想や芸術形式の破壊を始めた。その代表的作家はダダの創始者トリスタン・ツァラよりも、前衛美術家のマルセル・デュシャンだろう。

 デュシャンは社会的評価や金銭的見返りなども含め、あらゆる既存価値を拒否した。
ダダからシュルレアリスムへの移行は必然でもあった。デュシャンのような一握りの芸術家を除いて、なんびとも虚無的廃虚に留まり続けることはできないからである。なんらかの形での廃虚からの復興が必要になる。それを担ったのがシュルレアリスム運動だった。

 驚くべきことに朝吹は正統シュルレアリストである。アンドレ・ブルトンが生きていたら、シュルレアリスト名簿にその名が記載されても良いような正統シュルレアリストである。

http://gold-fish-press.com/archives/41434

鶴山裕司 on 8月 18, 2016
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新刊書『ロマン主義文学と絵画: 19世紀フランス「文学的画家」たちの挑戦』

2015年05月31日 | 新刊書(国内)
『ロマン主義文学と絵画: 19世紀フランス「文学的画家」たちの挑戦』
商品の説明
内容紹介
フランス文学と芸術の関わりは深く、画家や音楽家、彫刻家を主人公とする芸術家小説をはじめとして、美術や音楽に関連する作品が数多く見出せる。本書はそうした作品を題材に、絵画がフランス・ロマン主義文学の中でどのように扱われているのかを、ジェンダーの視点を加味しつつ探るものである。例えば「近代小説の祖」と呼ばれるバルザックは、作品中で女性を描写する際に、しばしばラファエロの聖母像などの絵画を引き合いに出している。
人物描写において絵画の比喩が用いられるようになったのは、バルザックの生きた時代、すなわち一九世紀前半からのことである。その背景として、1大革命後にルーヴル美術館が一般開放されたこと、2複製画やリトグラフ(石版画)が普及したこと、3経済的に余裕のできたプチ・ブルジョワが、文化的教養を求めてサロン(展覧会)に通うようになったこと、などが挙げられる。この時代、大衆にとって絵画がより身近な存在となり、その結果、登場人物のイメージを喚起させるために小説内で絵画を比喩として使うことが可能になったわけである。
文学作品で絵画が言及される場合、それがどのようなメタファーとして使われているのかを注意深く見定める必要がある。とりわけ人物像には、「男らしさ」「女らしさ」に関する当時の社会的通念が無意識のうちに投影されている。本書ではこうしたジェンダーの観点から、バルザックやテオフィル・ゴーチエ、マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール、ジョルジュ・サンドらロマン主義作家の作品を取り上げ、絵画受容の相違点(とりわけ男性作家と女性作家の視点の違い)を浮き彫りにする。
バルザックは自らを「文学的画家」と呼び、絵筆の代わりに言葉を使って画家と競おうとしていた。そこには、芸術家たちが分野を超えて連帯し、互いに影響を与え合った時代の空気がみてとれる。本書では、そうしたロマン主義の文学作品と絵画との相関性を探ることで、文学作品の読解に新たな視角を加えることができればと思う。(むらた・きょうこ)

単行本: 217ページ
出版社: 新評論 (2015/3/2)
言語: 日本語
ISBN-10: 4794809980
ISBN-13: 978-4794809988
発売日: 2015/3/2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サルトル伝 1905-1980 上』『サルトル伝 1905-1980下』

2015年05月30日 | 新刊書(国内)
アニー・コーエン=ソラル/〔著〕 石崎晴己/訳  藤原書店 2015   

本の内容
20世紀最高の哲学者の全体像。サルトルは、いかにして“サルトル”を生きたか。「世界をこそ所有したい」―社会、思想、歴史のすべてその巨大な渦に巻き込み、自ら企てた“サルトル”を生ききった巨星、サルトル。“全体”であろうとしたその生きざまを、作品に深く喰い込んで描く畢生の大著が、満を持して完訳!
サルトルは、いかにして“サルトル”を生きたか。
数多あるサルトル評伝のなかでこれが決定版!! 幻の決定版サルトル評伝が遂に完訳!

歴史、社会、思想のすべてをその巨大な渦に巻き込んで、自ら企てた“サルトル”という試みを生ききった巨星、サルトル。既存の文法を破壊し、打ち立てた新しい規範をまた破棄し、無限の闘いに捧げたその生涯を、作品に深くくいこんで描く畢生の大著! 自らの内部で輝く知性のみを恃んで生きる世紀の天才・サルトルを描ききった、世にもダイナミックな伝記。(「近刊情報」より)

内容紹介
世紀を越えてなお暴力とテロリズムが横溢する現在、一層の存在感と影響力を増す20世紀最大の思想家サルトル―気鋭の研究者たちが芸術・文学・哲学などの多面的角度から、いまを生きるサルトル思想を解読する。生誕百周年にあたって開催されたシンポジウムの全容を記録する画期的論集。

目次

ヒューマニズムと反ヒューマニズム―『サルトルの世紀』をめぐって
文体への郷愁?―ジャン=ポール・サルトルの哲学的文章に関する考察
他者による自伝―『言葉』と『家の馬鹿息子』をめぐって
『家の馬鹿息子』と発達心理学
作者と読者の間―「交わり」commerceの概念の文化的源泉
解放された芸術
ティントレットの空間―サルトルにおける「奥行き」の問題
サルトルの美術批評とアメリカ滞在
サルトルと映画の詩学―ロマン/vs/レシ
サルトルとロボット〔ほか〕

5月31日付け『日経新聞』の書評欄で大きく取り上げられていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『境界を越えて』

2015年05月26日 | 新刊書(国内)
『境界を越えて』 単行本 – 2015/3/10
C・L・R・ジェームズ (著), 本橋哲也 (翻訳)

内容紹介
スポーツと植民地解放闘争を結びつけた歴史的名著。
英国植民地であった西インド諸島トリニダードに生まれ、最も英国的なスポーツ=クリケットに
育まれたひとりの黒人革命家が、この競技の倫理とこの競技への民衆の熱狂に政治的解放の
原動力を見いだすさまを描いた自伝的著作。 「
ジェームズは独学者にして運動選手、そして早熟な小学生の面影をつねに宿している人物であり、
歴史や政治や理論について革命家の見地から関心をもちつづけ、思想や矛盾に対しても知識人と
しての感度を失わず、すぐれた文学や音楽や会話のもつ純粋にスポーツ的冒険要素に鋭敏であった」
(E・W・サイード『文化と帝国主義』)。

内容(「BOOK」データベースより)
英国植民地であった西インド諸島トリニダードに生まれ、最も英国的なスポーツ=クリケットに
育まれたひとりの黒人革命家が、クリケットの倫理とこの競技への民衆の熱狂に政治的解放の
原動力を見いだすさまを描いた自伝的著作。

単行本: 456ページ
出版社: 月曜社 (2015/3/10)
言語: 日本語
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新刊書『ロマン主義文学と絵画―19世紀フランス「文学的画家」たちの挑戦』新評論、2015年

2015年03月11日 | 新刊書(国内)


『ロマン主義文学と絵画―19世紀フランス「文学的画家」たちの挑戦』

村田 京子 【著】
出版社      新評論
発売日      2015年03月
税込み価格    3,024円

内容紹介
芸術が大衆化した時代、絵画のイメージを作品に貪欲にとりいれながらも、「絵筆ではなくエクリチュールで」世界を描こうとした作家たちの創意を読み解く。
古代から新古典主義まで図版80点収録。


目次:
http://sand200balzac.sakura.ne.jp/hp/wp-content/uploads/2015/03/目次(ロマン主義文学と絵画).pdf
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『テオフィル・ゴーチエと19世紀芸術』

2015年01月10日 | 新刊書(国内)

『テオフィル・ゴーチエと19世紀芸術』
著者名 澤田肇、吉村和明、ミカエル・デプレ共編
訳書の場合は訳者名
出版社 上智大学出版
出版年 2014


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『巴里で逢った人』

2014年12月12日 | 新刊書(国内)
サンド学会会員の秋元千穂先生がお書きになられた新刊小説です。

秋元千穂 著『巴里で逢った人』Rencontres à Paris 文芸社 2014

最後の元老、西園寺公望ら19世紀末の芸術家。
政治家の濃密な関係を描いた小説。


昭和12年、最後の元老、西園寺公望はパリでの青春時代を思い出す。
当時、友人の光田、サロンの女主人と、切なくも幸せなときを過ごした。
半世紀以上前の秘密に西園寺を引き戻したのは、一通の手紙。光田の遺児、
東屋三郎と、ジュディット・ゴーティエを慕うシュザンヌに関わることだった。
綺羅星のごとく並ぶベル・エポックの芸術家、政治家を背景に繰り広げられる人間ドラマ。


http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10071870&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする