今日のブログは国宝 松本城と二十六夜月には深~い関係があったというお話です。
松本城を訪れたのは今月上旬に長野県へ観光に行ったとき…この日は早朝に善光寺で日の出とともに始まるお朝事の体験参加をして、午後から松本城へ向かいました。
お朝事の法要では、普段閉ざされている御本尊前の戸帳が上げられて善光寺の御本尊である一光三尊阿弥陀如来像が納められた瑠璃壇と厨子を垣間見ることができます。
お朝事のあとは、ご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下にある暗黒の回廊をめぐるお戒壇巡りに参加しました。
暗闇の中を手探りで進んでご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れることができましたが、回廊の中は本当に真っ暗闇で顔に近づけた手も見えない闇体験は百武彗星を観望したとき以来のコトでした。笑
さて、前置きが長くなりました。本題の松本城です。
松本城は国宝 5城のひとつで大天守が建造されたのは1591年頃と言われています。天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が昭和11年に国宝に指定されており城全体が国宝に指定されているのはめずらしいそうです。
狭くて急な階段を上って複合連結式層塔型5重構造の6階にある大天守にたどり着くまでけっこう時間がかかりましたが、さすが大天守!そこからの眺めはすばらしいものでした~。
景色を一通り見終わってふと気がつくと、大天守の天井中央を見上げて写真を撮っている人がいます。はて、天上には何があるのだろう?…と見上げてみると
そこには二十六夜神が祀られた小さな社がありました。
なんと、天守にある二十六夜神が守護神となって400年間の長きにわたって城を守っていてそのおかげで火災等の災害に逢うこともなく今日に至っているとのことです。
創建当時の天守が残っているいわゆる現存天守と呼ばれるお城は12城ありますが、天守に二十六夜神が祀られているお城はほかにあるのでしょうか?これはオドロキの事実です。
さてさて、「二十六夜様が天守藩の藩士、川井八郎三郎の前に美婦となって現れてお告げをしたのが元和4年(1618年)の正月、月齢二十六夜の月が東の空に昇る頃…」とありますが、
気になるので「二十六夜様が現れてお告げをした日」が西暦の何年何月何日なのか調べてみました。
「元和4年(1618年)の正月、月齢二十六夜の月が東の空に昇る頃」という記述があるので、お告げがあった日は1618年の正月、旧暦の1月26日ということが分かります。
ステラナビゲーターで調べると1618年の旧暦1月26日は西暦1618年2月20日ということが分かりました。二十六夜月が昇ってくるのは、日付が変わったよく朝なので月出時刻は西暦2月21日の03時43分となります。
↓ 1618年旧暦1月27日04時30分(西暦1618年2月21日)に松本城から見た東空
説明板では翌2月26日に社を勧請したとあります。翌月の二十六夜の日から城主の戸田氏が毎月三石三斗三升三合三勺(約500kg)の餅をついてお供えして藩士全員にも分け与えたとはスゴイことです。
↓ こちらは戦乱の世が終わったあとに松平氏がリノベした月見櫓です。
月見櫓は板戸を外すと三方が吹き抜けになるのでキレイな月が見えたことでしょうね。
いつの日か松本城の月見櫓から二十六夜月を見てみたいものです。
さて、2023年も残すところあと6時間あまりとなりました。今年もこのブログを見てくださった みなさん、本当にありがとうございました。
来年も、相も変わらずのゆる~いアップになります(←早くも宣言している)が、時間があるときや思いついた時にちょこっとお寄りいただければ幸いです。
↓ こちらは2023年の初日、明日はキレイな初日が見られるかな?
それでは皆さん、よいお年を~!
松本城を訪れたのは今月上旬に長野県へ観光に行ったとき…この日は早朝に善光寺で日の出とともに始まるお朝事の体験参加をして、午後から松本城へ向かいました。
お朝事の法要では、普段閉ざされている御本尊前の戸帳が上げられて善光寺の御本尊である一光三尊阿弥陀如来像が納められた瑠璃壇と厨子を垣間見ることができます。
お朝事のあとは、ご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下にある暗黒の回廊をめぐるお戒壇巡りに参加しました。
暗闇の中を手探りで進んでご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れることができましたが、回廊の中は本当に真っ暗闇で顔に近づけた手も見えない闇体験は百武彗星を観望したとき以来のコトでした。笑
さて、前置きが長くなりました。本題の松本城です。
松本城は国宝 5城のひとつで大天守が建造されたのは1591年頃と言われています。天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が昭和11年に国宝に指定されており城全体が国宝に指定されているのはめずらしいそうです。
狭くて急な階段を上って複合連結式層塔型5重構造の6階にある大天守にたどり着くまでけっこう時間がかかりましたが、さすが大天守!そこからの眺めはすばらしいものでした~。
景色を一通り見終わってふと気がつくと、大天守の天井中央を見上げて写真を撮っている人がいます。はて、天上には何があるのだろう?…と見上げてみると
そこには二十六夜神が祀られた小さな社がありました。
なんと、天守にある二十六夜神が守護神となって400年間の長きにわたって城を守っていてそのおかげで火災等の災害に逢うこともなく今日に至っているとのことです。
創建当時の天守が残っているいわゆる現存天守と呼ばれるお城は12城ありますが、天守に二十六夜神が祀られているお城はほかにあるのでしょうか?これはオドロキの事実です。
さてさて、「二十六夜様が天守藩の藩士、川井八郎三郎の前に美婦となって現れてお告げをしたのが元和4年(1618年)の正月、月齢二十六夜の月が東の空に昇る頃…」とありますが、
気になるので「二十六夜様が現れてお告げをした日」が西暦の何年何月何日なのか調べてみました。
「元和4年(1618年)の正月、月齢二十六夜の月が東の空に昇る頃」という記述があるので、お告げがあった日は1618年の正月、旧暦の1月26日ということが分かります。
ステラナビゲーターで調べると1618年の旧暦1月26日は西暦1618年2月20日ということが分かりました。二十六夜月が昇ってくるのは、日付が変わったよく朝なので月出時刻は西暦2月21日の03時43分となります。
↓ 1618年旧暦1月27日04時30分(西暦1618年2月21日)に松本城から見た東空
説明板では翌2月26日に社を勧請したとあります。翌月の二十六夜の日から城主の戸田氏が毎月三石三斗三升三合三勺(約500kg)の餅をついてお供えして藩士全員にも分け与えたとはスゴイことです。
↓ こちらは戦乱の世が終わったあとに松平氏がリノベした月見櫓です。
月見櫓は板戸を外すと三方が吹き抜けになるのでキレイな月が見えたことでしょうね。
いつの日か松本城の月見櫓から二十六夜月を見てみたいものです。
さて、2023年も残すところあと6時間あまりとなりました。今年もこのブログを見てくださった みなさん、本当にありがとうございました。
来年も、相も変わらずのゆる~いアップになります(←早くも宣言している)が、時間があるときや思いついた時にちょこっとお寄りいただければ幸いです。
↓ こちらは2023年の初日、明日はキレイな初日が見られるかな?
それでは皆さん、よいお年を~!
明けましておめでとうございます。ただいま1月1日の0時10分です。今年もたくさん天文宇宙気象飛行機の話題を待っています。
さて、現存天守閣に二十六日月が祀ってあるというのは驚きですね。二十六日月が宮沢賢治作品に登場するのも晴れスターさんのこのブログで知ったわけですが、お城を守ったり餅を大量に配るほど大事なものだったとは。1月は日の出が一番遅いときですし、太陽からも割と離れているから見やすいでしょう。太陽は絶対的な力を持つ感じがしますが、月には神秘的な力を感じます。初日の出と両方見れば、なお結構、でしょう!
旧暦は月齢とリンクしているので昔の人は月の満ち欠けがそのまま生活のリズムになっていたのでしょうね。そういった意味では現在よりも月の神秘的な力は身近だったことでしょう。月の信仰が各地にあるのも分かりますね
勉強になりました、ありがとうございます。