駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

真を写すか、写真

2017年04月13日 | 小考

         

 昨日から暖かい好天が続き淡い青空が見えている。落葉樹には薄緑の新芽が噴いてきている。春爛漫の候になった。

 明治の人は漢文の素養が深く、西洋から入ってきた新しい概念や機器に漢字を充てて名前を作り出した。正確には何時作り出されたか知らないが経済、電気、写真などなど、数多い和製漢字語が生み出された。素晴らしいと思う。最近はカタカナ外来語でそのまま流用が多いので、詰まらない感じがする。まさか読めない政治家に配慮しているわけではないと思うが。

 写真とは言い得て妙だが、果て本当に真を伝えるか?。風景や建造物はともかく人物となると微妙だ。シャッタースピードは遅くても百分の一秒、報道写真はぶれるとまずいので恐らく五百分の一秒で撮られているのではないかと思う。

 報道写真の人物像に写っているのは切り取られた真で、客観性に好意悪意が混じっている。昭恵夫人はもうちょっと知性ある可愛い人と思っていたが、この頃の写真を見ると知性に欠けたおばさん面が多く、えっこんな人だったのかと見直している。やってきたことを読み聞きすると、今出回っている写真の方が真実を伝えているようにも思える。どんな名優も天然、子役や動物には勝てないという。名優の安倍首相もたじたじらしい。どうも家庭内野党というのは天然にマスコミが踊らされていただけのようだ。

 この頃は三行読めば何新聞の記事かわかるようになったが、写真はどうだろう。眼を凝らすとこれは**社とわかるようになるかもしれない。

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うんにまつわる話

2017年04月12日 | 診療

        

 もう四十五年も昔の話だ。医者に成り立ての私は、若い消化器の医師に付いて回って研修していた。その頃は婦長、院長、看護婦、医師、研修医という序列で、病棟での婦長の存在は絶大であった。

 どんな状況だったかはっきりは記憶しないのだが、腹痛を訴える初老の男性を先輩が看護師と二人で診察をしているのを脇で見ていた。何か気になることがあったか婦長もやって来た。次の瞬間ううと言ううなり声が上がった。あれっと看護婦が下着を下げると太いバナナが二本湯気を上げ、うっと声を上げたくなる臭気が襲ってきた。思わず身を引く先輩に、背後から「消化器の医者がこんなものに驚いてどうするの」、眉一つ動かさない婦長の静かな声が響いた。

 確かに、3Kを避ける医師はともかく、多くの医師は下々のことにも対処しなければならない。本当を言えば医者はまだよほどいい。看護師は本当に大変だ。彼女達にはこの一点でも頭が下がる。眉が一寸動く人は居るが、殆どの看護師は顔色一つ変えず、黄色い大洪水をテキパキと処置してゆく。患者にも辛いことだ。惚けるのはそうした辛さを感じなくなる効用もあるのかもしれない。

 年を取るとどうしても排泄に問題が出やすい。Mさんは87才、少し惚け始めているけれども一人で杖をついて500mの道を歩いてくる。4年前に免許を取り上げられてしまったのだ。近くの整形に毎日リハビリに通っているのだが、だんだん足が弱ってとひとしきり嘆かれる。以前から一寸小便の締まりが悪く、少し下着を汚すことがあったようだが、大の方もわからないことがあると言われる。風呂場で失敗したのは拙かったとため息が出る。婿に「出て行け」といわれと言う。えっと驚いた。なんということを、なさぬ仲はどうしようもないなと思ったが、上手く言葉が掛けられない。慰めともならない「それは大変ですねえ」という言葉を背後にMさんはとぼとぼと診察室を出て行った。 

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処方とレシペは同じ

2017年04月11日 | 診療

          

 今日も雨が降っている。風はないが本格的な雨で、雨用の靴を履いてきた。目まぐるしい寒暖の変化に振り回されて風邪っぽい患者さんが多い。

 風邪っぽくてわざわざ医者を受診する人は多くないが、高血圧、糖尿病、脂質異常症など内科系慢性疾患で通院されている患者さんが、受診ついでに風邪症状を訴えられることは多い。こういうのを一石二鳥とは言わないかもしれないが、風邪っぽくて受診して、ちょっと早いが定期の薬も頂戴という患者さんも多い。そうしたわけで、このところ咳痰鼻水嗄声(声枯れ)咽頭不快などの薬を処方することが多い。

 風邪なんかどんな薬でも変わりないよから鼻かぜにまで抗生剤を出してしまう医者までいろいろ居る。どちらかと言うと総合病院の風邪処方の方がワンパターンで、風邪はいずれにしろ良くなるんだからという見識からかきめ細かさに欠ける。そこへ行くと開業医は自分なりの工夫をしている医師が多い。工夫にもいろいろあって、経験に裏打ちされたきめ細かい処方をする医師と外れがないようにやや過剰な処方を出す医師とに分かれるようだ。

 確かに大きな差は出ないのだが、微差でより良いものを求めてしまうのが職人気質の臨床医の習性なのだ。脳梗塞や胃癌など命に関わる重い病気を診ている医者には大同小異と笑われそうでも、私なども十数種類の風邪処方を繰り出している。実はレシペには処方の意味もあって、開業医はレストランのオーナーシェフや街角中華の親父と似たところがある。コックがどうやって微妙な味を極めているのか知らないが、開業医はかかりつけ患者の経過反応を知ることができるので、そこからより良い処方を作り出している。まあ、正直大差はないが、つい工夫をしてしまうのだ。

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あと五分が五十分になる不思議

2017年04月10日 | 人生

     

 例年より十日遅れで桜が満開になった。春爛漫と言っても曇り空、風は冷たく何だかちぐはぐな感じがする。春眠暁を覚えずと言うのは多分もう少し春の浅い時期のことを謳ったのだろうと思うが、今朝は六時五分に目覚めて、あと五分と寝たら七時になっていた。春眠暁を覚えずというのは年寄りには無縁のことと思っていたが、そうでもなかったようで大慌てで出てきた。

 若い元気な人にはわからないだろうが、睡眠の気持ち良さ、十二時間眠るなんてことは五十過ぎると中々できなくなる。快適な排尿や排便も、今は昔になる時が来る。昨日山小屋で飯の用意をしていたら、九十六歳の婆さんの家族から便がうまく出ないで苦しんでいると電話があった。嫁さんに一番先のやつをうまく出す方法を教えた。その後、電話がないところを見るとうまくいったらしい。

 飯が旨くてよく眠れて、出るものが快適に出る有難さに、健康な人は気が付かないもんだ。最前線の医者から失って始めて知る健康の有難さ、転ばぬ先に杖と申し上げたい。

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「人工知能の核心」NHK出版新書

2017年04月09日 | 

           

 人工知能の核心というのは一寸大袈裟な題にも思えるが、実際に核心を突いているのかもしれない。著者は羽生善治 NHKスペシャル取材班となっている。羽生さんが核心を書いて章末にNHKの中井暁彦さんがトピックの解説と補足を書いたとある。

 内容とは少し離れるが、一読して本当に羽生さんが書いたの?と思ってしまった。というのは、羽生さんは前人未踏の高みに上り詰めた将棋の天才なのだが、何度かテレビで話されるのを見聞きした感じでは天才にありがちな深いが守備範囲は狭く人間にはあまり興味がない方の印象があった。ところが、この本では常識があり世の中のことを随分かっておられる感じがしたからだ。

 将棋の天才羽生さんは人工知能に興味を持ち造詣も深い。将棋ソフトを通して得た経験と人工知能開発者の取材を交えながら、人工知能の特徴に迫り解説している。


 人工知能に対比して人間の知能の特徴も解説されている。将棋を例に挙げて説明されているのだが、人間は直感と大局観に優れ、不要な道筋を省くことによって問題点を絞って効率よく良い手を指せるのに対し、コンピュータは人間とは桁違いの計算力でしらみつぶしに組み合わせを考えて差し手を見つけてきた。この方式ではコンピュータは中々人間に勝てなかったのだが、ディープラーニングという人間の脳のネットワークを真似た方式で大量データを学習するプログラムを取り入れてから急に強くなり今では人間を負かすようになった。

 人間の直感や大局観は美意識と関係している。そして美意識は人間の持つ恐怖と関係があるのではないかというのが、羽生さんの指摘である。これはさすが天才、当っているのではと頷きながら読んだ。

 天才棋士を負かすほど強くなった人工知能だが、以外に簡単なこと、例えば見知らぬ人の家に入ってコーヒーを淹れるといったことが出来ない。また心や感情を持って居らず、恐怖心もない。今のところ応用力が不充分で汎用性に乏しく指定されたことしか出来ない。感情については感情を持たせるような研究はされているが、上手くいっていない。それに人工知能に感情を持たせて良いものかは微妙な問題で止めた方がいという考えもあるようだ。

 羽生さんは人間の脳のニューラルネットワークを真似たディープラーニングの思考過程が不明で、その結論に違和感を感じると言われる。人間が人工知能からどう学びその結論をどう評価すれば良いのか、人工頭脳に頼りすぎて自分で考え経験しなくなるのは拙いのではないかなど問題点を挙げながら、人工頭脳を恐れず侮らずきちんと向き合っておられる。この本からその姿勢も学ぶことができる。
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