駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

視野から外すと気にならなくなるが

2016年12月02日 | 町医者診言

     

 今朝は気持ちの良い青空を見ながら出勤してきた。晴れている割にはさほど寒くない。

 電車に最初から座れることは少ない。次降りそうな人の近く出来れば前まで移動するのだが、いつも当たるとは限らないし、混んでいると上手く移動できない。降りるくせに停車しても直ぐ腰を上げない妙な人も居て、降りないんだと横に移動したら、さっと降りて行ってしまい、しまったということもある。駅で一緒に乗りこむ人は八割方いつも同じ顔ぶれなのだが、既に乗っている客は結構変化するので、降りそうな人を見付けるのはそれほど易しくはない。

 大学に居た頃は同年配の競争意識もあったし論文も書いたから、所謂文献を一杯集めていた。集めても実際に読むのは四分の一くらいで、ファイルに収めればそれで読んだような気になって満足?していた。それこそ本箱一杯にあった文献も開院する時に捨ててしまった。40年前は図書館でインデクスメディクスを時間を掛けて引いて、コピーをして貰ったものだが、今はコンピュータの時代だから文献集めも様変わりしているだろう。

 物の整理はあまり良い方では無いが、書斎が雑然としているのは嫌いで、見た目はまずまず整理されている。時々引き出しを開けるのだが、中には雑多な取説や文房具、小冊子などが一杯入っている。薬屋の呉れる読み物は大半は捨てるのだが、面白そうだなと思ったものはいつか読もうと放り込むのだ。放り込むと読まないのに一件落着に感じてしまう。

 こうしていつか読んだ方が良いなとあるいは読まなきゃいけないと思った紙情報や、いつか使う時もあるだろうとしまわれた雑多な小道具などは、一端仕舞い込むと一段落と忘れることが出来る。

 果たして忘れてしまって良いものか疑問もあるが、気懸かりではなくなるので、仕舞い込むのは一つの智慧と言えるかもしれない。一時断捨離などと言われ、ごっそり捨てることが勧められたが、仕事に関する本を捨てては駄目と中年のみなさんには忠告したい。以外に昔の知見は生きているというか今に繋がっている。読み込むんだ本は謂わば脳の外部記憶で、捨ててはいけません。

コメント
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