駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

どうしてそれを先に言わないの

2016年12月25日 | 小考

   

 今年もあと一週間、年末年始を区切りと捉える日本の伝統は一つの知恵のように感じる。慌ただしくしながらも、来し方行く末を考えている。年末年始が夜が長く寒い季節にあるのがいつの頃からかは知らないが、優れた設定伝統なのではと思う。一年はあっという間だが、小さくても確とした変化はある。

 Tさんは88歳のお婆さん。心臓の音を聞こうと寝間着を上げようとするとじっとりと湿っている。あれ雨漏りがあるわけはなし、

 「湿ってるよ」。

 「ああ、それはいつも噛んでいるからですよ」。黄色い液体でないからいいのか?。

 「どうしてそれを先に言ってくれないの」と憮然とした。

 Tさんはさっちゃんと呼ばれ、拘束されず丁寧に扱われている。しかし喜怒の表現はあるけれども意思の疎通は困難で、元気だった頃を知る人には胸を突かれる存在になっている。親族は何十キロ先に居られ、お会いしたこともない。いよいよとなっても病院に入院は不要と施設長から聞いている。費用は負担され、食事介助から排泄まで手厚く世話を受けているが、どこか遠い昔の山奥を思い出す。さりぬ終わりの現実を覆い隠すのは一枚の毛布ならぬ、表層を滑る言葉の数々かもしれない。

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絨毯画像診断

2016年12月24日 | 医療

          

 総合病院では画像診断が浸透しており、慢性腎不全や慢性肝炎で紹介した患者さんに、大動脈瘤や肺がんが見付かったりする。表現は適切ではないかも知れないが、取り敢えずというか兎に角というか、気軽にCTやMRIを全身状態把握のために撮影するので、思いも寄らぬ予期せぬ病変が見付かるのだ。それに関しては無症状なので、患者や紹介医は偶然という気がするが、総合病院の医師はよくあることと半ば予期していた様子で、驚くことなく精査加療へと進んで行く。その多くは早期診断なので患者共々紹介医も感謝しなければならないのだろうが、実は患者にもいくらか、紹介医にもそれなりの困惑がある。

 というのは私のようなCT出現前に医師免許を手にした医者や五十過ぎの患者には、輪切り画像で突然ご託宣の印象があり、戸惑うところがあるのだ。勿論、何の症状も無くても画像に歴然と写れば受け入れるよりはなく、手術を受けることになる。手術痕を拝見しながら良かったですねと患者と顔を見合わせることもある。

 画像診断が進歩し世界一の数のCTMRI機器を擁する日本では数多く画像診断が行われている。費用対効果はと言ったところで命が助かるのに何を言うかという建前もあるし、医師は本能的に早期診断早期治療を目指すところがあるし、医療機器メーカーも売り込むしで、画像診断大国になっている。

 揶揄するような書き方になったが、正直なところ色々症候学を勉強し数多くの貴重な経験していても、あっさり画像一発で追い抜かれると、多少詰まらないというか淋しい気分になる。

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躓かないように心の中に杖を

2016年12月23日 | 町医者診言

           

 毎年のことながら陛下のお誕生日を祝いながら、二十三日はどうも困るなあと思ってしまう。まあ、せっかくの休日、今日は好天ぶつぶつ言わず休みたい。

 六十五歳で前期高齢者、この辺りの年齢になるとかなりの個人差はあるが、先達としてひとつ申し上げたい。それは心の中に杖を持つこと。六十代後半ではまだ階段を駆け上る元気あるの人も居るだろう。躓いて転ぶことなどないと自信のおありの方も多いかもしれない。

 しかし、体勢を立て直して転びこそしないが躓かない人は殆ど居ないと思う。二十代三十代と違い、躓いた時体勢を立て直すのが難しくなっているはずだ。手に杖を持つ必要はないが、心の中に杖を持って、躓くのを防ぐのが実は賢明だと申し上げる。躓いた時、転ばない反射神経を養成するのは大事ではあるが、躓かないように用心する方がうんと実行しやすく効果もある。

 冬になると患者数が殖え、午前の診療では一時間に十五人以上診なければならない。定時に終えるには、テンポ良く流れるように診察しなければならない。勿論、重症や訴えの長たらしい患者さんが混じってくるが、流れを乱されなければさほどの時間を取らない。ところが手順前後あるいは予測を間違えると蹈鞴を踏み、躓くと大渋滞を起こし、終診が三十分四十五分と遅れ、悪循環に陥ってしまう。適切な予測と手順で、難症例を診てゆく心の中の杖が必要になる。まあこれは一つの喩えなのだが、何事に依らず、躓かぬ先の心の中の杖が高齢者には必要と思う。馬齢と謙遜される方も、年を取っていれば数多くの失敗から学んでいるはず、心の中の杖を使えると思う。

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何だか暖かいのに寒い

2016年12月22日 | 医療

       

 三寒四温というのは冬から春への陽気の変化を言ったものだったが、今は秋から冬への季節の移ろいにも四寒三温で使えそうだ。今朝は曇っているせいか寒くない。そのせいか患者さんの動きも不安定で、昨日は十二月半ば過ぎにしては暇だった。

 尤も、それには一年ほど前近くに出来た内科医院の影響も少しありそうだ。同じような距離に整形外科が出きた時は全く影響が無かったので、競合とはそうしたものかと実感している。勿論、大歓迎というわけではないが、時に会食などをして仲良くやるようにしている。困った時は助け合うのが同業者で、表では立派なことを言っておきながら裏でイジメに掛かる某先生のようなことはしたくない。

 一年が経つのは早く、あっという間だが、早く感じても変化ないわけではなく、少しづつだが世の中は変わり、身近なことでははっきりと個人医院の経営環境は厳しくなっている。総合病院と在宅医療に力を入れ、薬品メーカーと個人医院には厳しく当たるのが、医療費抑制を図ろうとする厚労省というか背後の財務省の作戦なのだ。確かに国の財政は火の車だろうから抑制政策に一定の理解はするが、それならば正直に医療費の自己負担を増やし、濃厚な診療は削ると、国民に厳しいことを言って戴きたい。

 これから個人医にとって職員の給与賞与を増やすのは、困難というか不可能だ。どうしてもと言うのなら、自分の給与を減らさねばならない。十年据え置きの自分の給与を減らすのは、難しい相談だ。身勝手かも知れないが、他社の社長の給与を減らすのには理解を示せても、自分の給与となると余程のことがないと減らしにくい。そう愚痴りながらも、数年先には減らさざるを得ない状況になりそうだ。

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ケアマネの力

2016年12月21日 | 医療

           

 ケアマネという仕事がある。彼ら彼女らは要介護者の在宅生活全般を気遣い支援してくれる優れ者達だ。尤も、何によらずピンキリと相性があるから,あまり高評価を与えるとうちのんはそうでもないという声が出るかも知れない。例外はあるかも知れないが、医者でケアマネというのは駄目だろうと思う。取り敢えず資格だけは取ったという医師が殆どだし、こうした仕事に向いているように見える同業者は周りには居ない。

 ケアマネは言い得て妙で、二つの能力が要求される。ケアには優れているがマネージはもう一つ、ケアは駄目だがマネージに優れているというケアマネは多い。前者は女性、後者は男性に多い。勿論、どちらにも優れているケアマネも居られる。

 数十人のケアマネと付き合いながら、十分には彼等彼女らの仕事の全容を把握できていないが、要介護の人には無くてはならない存在なのは間違いなく、在宅医療を行う医師にとっても表現は適切ではないかも知れないが便利で欠かせない存在だ。要介護者は多様な支援支持を必要としており、全体を見渡してコントロールする人が居ないと効率的で適切な介護が受けられない、正にその全体を見渡してやりくりしてくれるのがケアマネなのだ。

 あまり知られていないかも知れないが孤死は珍しいものではなく、市内でも毎月何人もの人が人知れず亡くなり、検死を受けている。当院にも枕元に診察券があったと、年に一度は警察から問い合わせの電話がある。大抵は一年ほど前が最後の通院歴の患者さんだ。ケアマネが居ると孤死が避けられることが多いのではと思う。

 K婆さん91歳、子供に死なれ天涯孤独(近所に縁戚が居ない)で生活保護を受けている。介護度は2で何とか一人暮らしをしている。先日インフルエンザで39Cの発熱で 唸っている所をケアマネに発見され担ぎ込まれた。幸い受けてくれる病院があり入院できた。多分一命を取り留めると思うが、退院しても一人暮らしは無理そうでケアマネが中心となって、何処かの施設に送り込まれることになるだろう。日本死ねなどという書き込みがあったが、日本凄いと思う。

コメント (2)
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