今年もあと一週間、年末年始を区切りと捉える日本の伝統は一つの知恵のように感じる。慌ただしくしながらも、来し方行く末を考えている。年末年始が夜が長く寒い季節にあるのがいつの頃からかは知らないが、優れた設定伝統なのではと思う。一年はあっという間だが、小さくても確とした変化はある。
Tさんは88歳のお婆さん。心臓の音を聞こうと寝間着を上げようとするとじっとりと湿っている。あれ雨漏りがあるわけはなし、
「湿ってるよ」。
「ああ、それはいつも噛んでいるからですよ」。黄色い液体でないからいいのか?。
「どうしてそれを先に言ってくれないの」と憮然とした。
Tさんはさっちゃんと呼ばれ、拘束されず丁寧に扱われている。しかし喜怒の表現はあるけれども意思の疎通は困難で、元気だった頃を知る人には胸を突かれる存在になっている。親族は何十キロ先に居られ、お会いしたこともない。いよいよとなっても病院に入院は不要と施設長から聞いている。費用は負担され、食事介助から排泄まで手厚く世話を受けているが、どこか遠い昔の山奥を思い出す。さりぬ終わりの現実を覆い隠すのは一枚の毛布ならぬ、表層を滑る言葉の数々かもしれない。