駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

目的のために手段を選ぶ

2016年12月06日 | 小考

      

 曇り空のせいか、今朝もさほど寒くなく、ゆっくり出勤してきた。曇ると朝は寒くなくても、夜は冷え込むので油断は出来ない。

 十六年前転居した時、通勤に何を使うか考えたのだが、一種の座業なので運動のため電車通勤にした。と書くと解説が必要なのだが、電車を使うと駅まで二十分歩かねばならない。そうしたわけで電車通勤を選んだ。いつも患者さんに申し上げている、運動を生活の中に取り込むのが賢い方法ですよと。意志が強いあるいは習慣になるまで何年も続けらればともかく、たいていの人はわざわざやる運動だと三日坊主とは言わなくても三十日坊主で終わってしまう。否でも応でも、運動せざるを得ない通勤の歩行は良い方法なのだ。

 友人のM氏は糖尿病でストックを付いて夜四、五十分歩いてヘモグロビンA1Cが下がったと自慢していたが、いつの間にか止めてしまい、カードゲームをしながら我々と同じようにむしゃむしゃと食べるようになった。注意すると嫌な顔をするし、ちゃんとTという巨体の主治医が居るので、口を挟まないようにしていたのだが、二年ほどして成績不良でK病院に入院になってしまった。最近は注射を打ちながら、食事を節制しているようでA1cも下がっているようだ。病院の主治医がぴちぴち元気で可愛いな女医さんで、気に入られたくて?ハイハイと指示を守っているらしい。女医さんには影でお礼を申し上げている。

 目的のためには手段を選ばないのは狡いというか悪党のやり方のように思っていたし、そのように使われてきたと思うが、最近は悪い響きは減ってきた様子だ。尤も、本当に(狡)賢い人は目的の為に深謀遠慮で手段を選らんでいるということに今頃気が付いた。あらゆる手段の中から一見矛盾しているようでも有効な手段を巧みに選んで、自己の主張をすり抜けさせる政治家も居るようだ。

 目的の為に手段を選ばないというのはちょいと乱暴で問題になることもことあり、あらゆる手段の中から深謀遠慮で実効の出るものを上手に選ぶのが昨今の実力者事情らしい。

 

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