冬には二空がある。淡青の晴天と鉛色の曇天だ。今朝は鉛色の空の下を歩いてきた。日本海側では冬、鉛色の空が続く、太平洋側から移った人は青空が恋しくなるらしい、尤も人情温かくいいんですよとフォロウがある。
この二年ほどで徐々に往診が減り半数になってしまった。今までは測ったように患者さんが亡くなると次の往診が入っていたのだが、新規の往診が激減した。往診が減って困るわけではなく、身体は楽で良いのだが、一寸寂しくもある。減った一番の理由は往診専門の施設が出来たせいと教えられた。そうしたところでは医師を数名抱え、数百軒の往診をするらしい。往診を一つの産業と捉えている業者が出てきているのだ。いつもいつの時代にも思わぬ飯の種を見出す人達が居る。詳しくは知らないがケアマネージャーや訪問看護ステーションと連絡を取り合って(悪く言えば結託して)、往診患者を増やしているらしい。不機嫌で腰の重い医院よりも、ハイハイと二つ返事で往診を引き受けて呉れる往診専門施設の方が選ばれるのは当然かもしれない。
患者を診るより他に才能の無い私は、つい最近こうした展開があることを医業に詳しい友人から教えられたばかりで、どの程度本当かはよく知らない。
そうした動きのある往診事情だが、今も週に五六軒の往診に行っている。往診に行くと五軒に一軒くらいお茶が出る。十軒に一軒くらいお茶菓子が付いてくる。これが有り難いようで、申し訳ないがそうでもないのだ。先ず時間を取る、次いでさほど小腹が空いているわけではない。看護師が遠慮して手を付けないので、本当は遠慮したい私が折角の好意をとやむなく戴く羽目になる。お心遣いは無用ですと、お断りして帰るのだが、次も用意してあって閉口するお宅もある。中にはわざわざコーヒー豆を挽いてドリップして下さる所もあった。こんなことされなくて結構ですからとお断りすると、いや私の趣味ですからと言われ、弱ったこともあった。
有り難いが感謝はお気持ちだけでというのが、往診医の偽らざる気持ちだ。兎に角何だか忙しいのだ。開業医が比較的高収入といっても、それはやたらと忙しく毎日数多い患者さんを診ているからで、往診先でゆっくりお茶を飲んで世間話をしてはいられないのだ。