いつもと同じ時間に家を出たのだが、どうも雨で歩くのが遅かったらしく、改札口で電車が到着する音が聞こえた。階段を駆け下りれば間に合ったかも知れないが滑って転んでは大変、プラットフォームに着いた時には車掌が指差しして、電車が出るところであった、ニャロメ!。
若い友人が電気自動車を買ったというので、乗り心地を聞いてみた。何でも中古は随分割安と言うことで、新車の半値で購入したそうだ。走行距離は百五六十キロで宣伝の二割減だが、非常に静かで加速が良くトルクがあるので坂道も軽々と上るそうだ。高速で燃費が改善するわけではないので、高速での遠出には向かないが市内走行には何の問題もなく、これからは電気自動車ですよというのが先物買いのA君のご意見だった。機会があれば試乗してみたい。唯、気に入ったとしても、我が家は拒否権を持つ保守派が実権を握っているので購入は難しそうだ。
エネルギーをどう賄ってゆくのかが、人類生存の最大の問題なのは明らかで、環境を汚さず低コストで得られるエネルギーをどのように生み出すことができるかに、五十年百年先の人類の行く末が掛かっている。
口先言葉でまやかす政治家がすることは、敵を排斥し味方に大半の分け前をぶんどってくることで、それも生き延びる一つの方法かもしれないが、おそらくそれでは一部の人が勝ち残っても、多様性を失うことになって結局人類は滅びるだろう。
もんじゅが廃炉になる。科学と政治の生煮えの関係の象徴で、なんでこうなったか本当にこれでよいのか、もっともっと深く専門的な議論が必要なのに、目先の政治的損得でうやむやにしてしまう。文学賞もいいが、こうした社会科学的な問題の論文にも賞を出して、国民の目を開かせる必要があると思う。